愛のあるところ、神はそこに おられる 書評|マザーテレサ(女子パウロ会)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年2月2日 / 新聞掲載日:2019年2月1日(第3275号)

愛のあるところ、神はそこに おられる 書評
人智を越えた力が働くとき
貧しい人々のなかにいるイエスを見つめて

愛のあるところ、神はそこに おられる
著 者:マザーテレサ
出版社:女子パウロ会
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「この本は当分、日本語に翻訳されないかもしれない。それほどセンセーショナルな内容だ」と書店の店主から熱心に勧められ、一〇年前、買い求めた一冊の本がある。それがマザーテレサの死後、発表された『C o m e B eMy Light』だった。そこにはマザーが何度も何度も襲われた「自分は神に見捨てられた」という深い絶望感が、霊的指導者である神父への手紙のなかで書き綴られていた。

驚くことにこの「霊的な闇」は、一九四九年頃、カルカッタ(インド)のスラムで働き出した直後に始まったという。それは一九九七年にマザーが帰天するまで続く。五十年間近くにもおよぶ「霊的な闇」との闘いだった。 ある意味、その続編ともいえるのが本書である。前著が自身のこころに起きた衝撃的な事実を包み隠さずさらけ出し、神に近づいていく苦悩を私たちに示してくれたのに対して、今回は愛のうちに神と弱い人々に仕えていくマザーが何を見つめ、迷いのときにどう判断していったらいいのか、指導的立場から私たちに道を示してくれている。

本書に収録されているメッセージは、修道家族や「神の愛の宣教者会」の教えに触れたい人々へ向けたものが中心だが、マザーの言葉は耳を傾ける者すべてにふと立ち止まり、考える機会を投げかける。

「不平やつぶやきは喜びを殺します。不機嫌は病気です」「わたしは、あなたがたが不親切によって奇跡的な仕事をするよりは、親切によって間違いをすることのほうを好みます」「小さなことを大きな愛をもって、目立たないことを普通以上の愛をもって」

マザーの教えは実にシンプルだ。すべての基本に「愛があること」を求める。

一方、マザーは「自分たちはソーシャルワーカーではない」とも強調する。困窮者に助けをもたらすという点においては同様でも、自身の使命の起源は神からの明確な呼びかけであり、その目的は神からの任命だったというのだ。

つまりマザーは貧しい人、寂しい人、忘れ去られた人のなかに、十字架上から「わたしは渇く」と呻くイエス・キリストの姿を見つめていく。マザーを長年苦しめた凍てつくほどの孤独が、実はイエスも経験した痛みであり、貧しい人々と同化するために神が用意した〝恵み〞だったと気づくまでの道のりは途方もなく長かった。

睡蓮の花は、泥水の中からしか立ち上がってこられないという。真水では立ち上がることができない。しかも泥水が、濃ければ濃いほど、鮮やかな大輪の花を咲かせる。

一九五〇年、修道女一二名で発足した「神の愛の宣教者会」は現在、四千名以上のシスター、ブラザー、司祭を擁し、世界一二○ヶ国以上に支部を持つまでに成長した。それは現在も拡大し続けている。

たったひとりでスラムにやって来たとき、マザーの手元にあったのはわずか五ルピー(百五十円ほど)だったという。人智を越えた力が働くとき、人は何と大きなことを成すことができるのだろう。

「わたしは神のみ手にあるたった一本の鉛筆です」

あらためてマザーの言葉が深く響いてくる。(ブライアン・コロディエチュック神父:編集とまえがき、里見貞代訳)
この記事の中でご紹介した本
愛のあるところ、神はそこに おられる/女子パウロ会
愛のあるところ、神はそこに おられる
著 者:マザーテレサ
出版社:女子パウロ会
以下のオンライン書店でご購入できます
「愛のあるところ、神はそこに おられる」出版社のホームページはこちら
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