「大東亜共栄圏」と幻のスマトラ鉄道 玉音放送の日に完成した第二の泰緬鉄道 書評|江澤 誠(彩流社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年2月2日 / 新聞掲載日:2019年2月1日(第3275号)

「埋もれた」歴史を掘り起こす
スマトラ横断鉄道の全貌解明、初の日本語書籍

「大東亜共栄圏」と幻のスマトラ鉄道 玉音放送の日に完成した第二の泰緬鉄道
著 者:江澤 誠
出版社:彩流社
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本書は第2次世界大戦中にオランダ領東インド(現インドネシア)のスマトラ島中部に建設されたスマトラ横断鉄道の全貌の解明を目指した初めての日本語書籍である。この鉄道はスマトラ島中部の主要都市プカンバルと、オランダが建設した西スマトラ鉄道の終点ムアロを結ぶ延長220㎞の路線であり、1944年1月に着工され、全通したのは終戦の日である1945年8月15日であった。プカンバル自体は内陸都市であるが、ここからシアック川を下るとマラッカ海峡に到達し、マレー半島やシンガポールへ船で到達することが可能であった。他方で、ムアロから西スマトラ鉄道を西に進めばインド洋側の港町パダンへと至ることから、この鉄道の開通によって列車と船を接続させることでスマトラ島を東西に横断するルートが構築されることになった。これがスマトラ横断鉄道と呼ばれる所以である。

著者の江澤氏は、日本とオランダを中心に各地に散在する数多くの資料を集め、さらに鉄道沿線の住民への聞き取り調査を行うことによって、知られざる鉄道の全体像を明らかにしようと試みた。本書の副題に「第二の泰緬鉄道」と書かれているように、著者は常に泰緬鉄道と対比させながらこの鉄道建設を語っている。周知のように、タイとビルマを結ぶ目的で建設された泰緬鉄道は、第2次世界大戦中に日本軍が建設した軍用鉄道の中ではもっとも有名である。とくに、鉄道建設に従事させられた連合軍捕虜に焦点を当てた映画『戦場にかける橋』が戦後公開されたことで、戦時中の日本軍による蛮行の1つとして広く知られるようになった。これに対し、スマトラ横断鉄道のほうはその存在がほとんど知られておらず、当時建設にかかわった日本兵の回想録や戦後行われたオランダ側の軍事裁判記録などから断片的な記述を集めることしかできない。既に多数の書籍が刊行されており、一次資料も相対的に豊富な泰緬鉄道とは雲泥の差である。

このような格差について、著者は戦後のインドネシア独立戦争の混乱と独立の高揚の中で鉄道建設問題が相対的に重要性を低下させたことと、この鉄道建設がスマトラ島という「周縁」の地で起こったことが要因であると指摘している。確かに、泰緬鉄道が有名になったのは、動員された連合軍捕虜の数が約6万人(うち約1万人が死亡)という被害者数の多さによるところが大きい。これに対し、著者によればスマトラ横断鉄道建設に使用された捕虜は6600人であり、ジャワ島を中心に集められた「ロームシャ」が労働力の主役であった。また、泰緬鉄道が戦後もタイ国内の一部区間において現役であるのに対し、スマトラ横断鉄道は戦後全く用いられることなく消え去ってしまったことも要因の1つであろう。

このように、「埋もれてしまった」スマトラ横断鉄道の歴史を掘り起こし、多岐にわたる資料を発掘して断片を組み合わせながら全貌を明らかにしようとした本書の功績は大きい。著者は泰緬鉄道研究の第一人者であった故吉川利治氏の『泰緬鉄道』(同文館、1994年)を手本に本書を執筆したものと思われ、良くも悪くも構成や展開が似ている印象を受けた。研究者の視点から見れば疑問な点もないわけではないが、少なくとも「てっちゃん」としては新たな知見を得られる十分に満足できる本であった。先の戦争を経験した人が少なくなる中で、1人でも多くの日本人が本書を手に取り、70余年前に遠くスマトラの山奥で我々の先祖が関わった出来事に想いを馳せるべきであろう。
この記事の中でご紹介した本
「大東亜共栄圏」と幻のスマトラ鉄道 玉音放送の日に完成した第二の泰緬鉄道/彩流社
「大東亜共栄圏」と幻のスマトラ鉄道 玉音放送の日に完成した第二の泰緬鉄道
著 者:江澤 誠
出版社:彩流社
以下のオンライン書店でご購入できます
「「大東亜共栄圏」と幻のスマトラ鉄道 玉音放送の日に完成した第二の泰緬鉄道」出版社のホームページはこちら
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