自転車泥棒 書評|呉 明益(文藝春秋)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年2月9日 / 新聞掲載日:2019年2月8日(第3276号)

饒舌なモノたちの鎮魂歌
無名の人々や器具や動物が小説中で語り出す!

自転車泥棒
著 者:呉 明益
出版社:文藝春秋
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自転車泥棒(呉 明益)文藝春秋
自転車泥棒
呉 明益
文藝春秋
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 「饒舌」―日本では「冗舌」とも書くが―という言葉は、中国語では二つの意味がある。一つは、日本語と同じように「やたらにしゃべること」(大辞泉)という意味で、二つ目は「ヒップホップ音楽のラップ(rap)の翻訳語」という意味である。この小説はまさに色んな意味で「饒舌」なものである。

分厚い物語は、終始作者の「我が家族と盗まれた自転車」に関わっている。主人公の小説家「私」は、自転車に熱狂的な感情を抱き、自転車に関わる家族の話だけではなく、自転車各部や部品の呼称と機能、ブランドと、その歴史などを饒舌に語る。しかし、「盗まれた」自転車やその由来を探り始めると、母親、旧品コレクター、カフェのオーナー、日本統治期に南洋に従軍した台湾人の老人、など、周りの「者たち」も恣意に饒舌になり、皆一人称の名義で語り始める。そして、容赦無く騒音のように主人公の語りを細かく分断し、語り手と読み手に混乱をもたらす。一見「意識の流れ」で片付けられる手法は、実はあまり傾聴されていない前述の人々の声を、ある意味「平等」に聞こえるようにした。

さらに、口を開いて語れるはずのない自転車のパーツ、戦場や動物園にいるゾウ、羽が切られた蝶などの「物たち」も、主人公や登場人物の語りの中で、自分のストーリーを持つようになった。これらの無名の人々や器具や動物は、ようやく小説の中で(作者によって渡された)マイクを手にしたので、精一杯自分の語りをせざるを得なくなったのだ。これは前述の「饒舌」の第二義を想起させる――ラップも当初は、アフリカ系アメリカ人が、世に知られない自分たちの生きづらさを語るものであった。ただこのような微小な語りも、まさに作中に出たゾウや元兵士のように、徐々に死んでゆくという残酷な運命が待っている。作者がこの騒音たちを記録するのは、まさに鎮魂歌を綴るようなものなのである。

もちろん、創作で常に物質史や常民文化に焦点を当てる作者にとって、本作は必然の結果でもあり、一部の論者も中国古来の「格物致知」論を連想している。しかし大学の文学の教授であると同時に著名な作家でもある(両者ともなんと饒舌な職業であろうか!)作者は、おそらく一番わかるのだろう――これらの微小な「モノ」の語り、あるいは「知」は、「台湾史」「中国史」「日本国史」、あるいは「政治史」「経済史」「軍事史」などの「大きな歴史」に埋もれるものだが、それこそが「大きな歴史」の血液と筋肉であり、もし消えてしまったら、「大きな歴史」はただの骸骨にすぎなくなる。

このような物質史に関わる意識の流れ的な語り方は、実は台湾文学ではさほど珍しくない。日本語でも読める作品を挙げてみると、李昂『海を渡る幽霊』、朱天文『荒人手記』、朱天心『古都』などがある。しかし前述の作品は、自己のアイデンティティを確立、再確認ないし再発見をすることを中心とするものが多い(それは直近の一九八七年まで続いた中国国民党による「戒厳令」という長期間の政治的弾圧のためだが)。勿論力を入れて考証をしながら語りを「想像/創造」する作者の語りを鵜呑みしてはいけないが、今までの作品に貫いてきた重層のモノの見方が、本作ではさらに視野を東アジア全域とその歴史に広げていく。一見「誰得」のトリビアたちが、お互いに繋がると、なんと南方熊楠の『十二支考』のような、豊饒で生命力旺盛な思想体系に近づいていくのだ。

付記するが、本書の訳者・天野健太郎氏(この方もまた饒舌な方)は、呉明益作品の前の日本語訳『歩道橋の魔術師』における複雑な語り方と広い知識についてもよく理解して翻訳している。残念ながら、天野氏は本書の東京での新書発表会の前日に持病で亡くなられ、華語文学の良き翻訳者としての天野氏の作品は、もう二度と世に出られないことに無念を感じざるを得ない。(天野健太郎訳)
この記事の中でご紹介した本
自転車泥棒/文藝春秋
自転車泥棒
著 者:呉 明益
出版社:文藝春秋
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