並んで座る二人を捉える長回しの魅力 三宅唱監督作品「ワイルドツアー」|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年2月12日 / 新聞掲載日:2019年2月8日(第3276号)

並んで座る二人を捉える長回しの魅力
三宅唱監督作品「ワイルドツアー」

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3月30日(土)より、ユーロスペースほか全国順次ロードショー!©Yamaguchi Center for Arts and Media [YCAM]
 人が待っていると聞いて男子中学生が公園に行くと、ベンチに同級生の女の子がいる。少年が隣に座ると、「ずっとほんとに好きでした。今までありがとう」と彼女は言う。だが、「他に好きな人がおる」と少年は断る。「引っ越す前にちゃんと言いたかっただけ」と少女は返し、その上で彼に告白を勧める。「告白してふられたら嫌じゃね」と返す少年の言葉は、素直な気持ちから出たのだろうが、今まさにそれを経験した少女に言うにはきついものだ。彼女は彼をじっと見つめ、「この野郎」と軽く殴る。この時の少女の視線や仕草が素晴らしい。この瑞々しい会話の全体がたった二つの固定ショットで示されることにも注目したい。二人が並んで座るというそれだけの構図が驚くほど映画的だ。恋の断念をめぐる映画、三宅唱の『ワイルドツアー』の一場面である。

ともかく、少年は少女の言葉に影響されて好きな女性への告白を決意するが、この恋はその後思わぬ展開を迎えることになる。前作『きみの鳥はうたえる』で描かれた二人の親友の男と一人の魅力的な女の関係が、ここで大胆に変奏される。しかしその詳細を語ることは控えたい。愛されている筈の女が両手に三本のジュースを抱えたまま取り残される様子が、最高に楽しいとだけ指摘しておこう。

見逃せないのは、男女が並んで座って話すのが公園の場面だけでないことだ。女子高校生の四人組が植物を採取しに、年上の男性に導かれて登山するくだりを思い出そう。途中で挫折しかけながらも、少女たちが山頂に辿り着くと、手持ちカメラの揺れるショットが彼女たちのはしゃぐ姿を生々しく捉える。すると、そのなかの一人が岩の上に座る男のもとへ、採取された茸を見せに行き、隣に並んで座るのだ。男がスマホに見入るのが気になり、「何、メール? 彼女?」と少女は聞く。「違うよ」と男が返す。実は、彼は登山の様子を動画に撮り、元彼女に送り続けていたのだ。その後も少女はスマホを覗き見し、男が視線を感じて顔をあげると、そっと目を逸らす。少女が再び男を見ると、両者の視線が合い、二人は気まずい笑みを浮かべる。このやり取りがとてもいい。注意すべきは、並んで座る二人の会話を、カメラはただひとつの固定ショットで捉え続けることだ。山頂の風景や二人を照らす夕日が画面を豊かにしているとはいえ、ここでは、二人を正面から捉える単純な構図こそが映画的な表現の核である。

このくだりで、人物の交流は自然との接触を通じて生き生きとしたものになっていく。男子中学生の二人の親友が魅力的な女性と親しくなるのも、森でのことだ。三人は日曜に森へ行き、急斜面を降りたり泥沼を渡ったりする際に女が戸惑って、そのことが少年たちと彼女の距離を縮めていく。映画全体が、植物採取のワークショップをめぐる人間模様を語りつつ、自然と人間の関係を描いている。

さらに、映画は自然と人間の間に登場人物による動画撮影を差し込む。動画は豊かな自然を記録する。また、自然に触発された人間の振舞いも記録し、離れた人々を結ぶコミュニケーションの道具にさえなる。まるで映像についての映画のようだ。とはいえ、どんなに構造が凝っていようとも、『ワイルドツアー』の魅力の根底にあるのは、並んで座る二人の人物を捉える長回しのような単純さである。

今月は他に、『バーニング 劇場版』『王朝の陰謀 闇の四天王と黄金のドラゴン』などが面白かった。また未公開だが、オーソン・ウェルズの『風の向こうへ』も良かった。(いとう・ようじ=中央大学教授・フランス文学)
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