芹沢光治良  読者の手紙と私 ――新年特大号 随想 『週刊読書人』1969(昭和44)年 1面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年2月12日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第757号)

芹沢光治良 
読者の手紙と私 ――新年特大号 随想
『週刊読書人』1969(昭和44)年 1面掲載

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芹沢 光治良氏
私は小説を発表しはじめて、四十年になろうとしている。その間、読者の手紙をもらったのは、処女作を発表してから三年間ばかりと、戦争中であった。最初は女子大学生や闘病者が多かったが、戦争中は戦地の兵隊が多かった。しかし、読者の手紙には答えたことがなかった。私の小説に対する答えとして読んだので、読みすてた。

戦後は読者の手紙がこなくなった。戦後一時期、正気でないような読者の手紙が翔いこんだが、また読者だと稱して、正気と思えない女客がしばしば訪ねて来たことがあったが、それも昭和三十年頃から、なくなった。雑誌や新聞に作品を発表している頃には、読者の手紙が来ないことが、常態だと考えていたから、これで平和になったと、安心した。

私は八年前に「人間の運命」という大河小説の創作にかかった。この小説を書きおろしで発表することに決意してから、あらゆる雑誌や新聞に原稿をことわることにした。書きおろし小説だけしか、発表しないことを二、三年つづけているうちに、私は不安におそわれた。読者がほんとうにあるのか、最後まで机上にある原稿はどれほど推敲しても、いつも不満であり、ようやく出版されても、文学仲間や批評家は繁忙で書きおろし小説は読んでくれない。こんなことをつづけていていいのだろうか――私はやりきれなくなると、愛読するバルザックの書簡集をひろげて自ら慰めた。この偉大なフランスの作家はポーランドに住む「異国の女」、ハンスカ伯爵夫人にだけでも、数巻の書物になるほど多くの手紙を書いて、どれにも創作家の孤独な心を語っている。

しかし「人間の運命」を発表して三年目ぐらいから、読者の手紙が届きはじめた。それは嘗てもらった読者の手紙とちがって、真面目なものが多く、しかも、広い社会層の老若男女からであった。そして年とともにその数が増して、全十四巻完結するまでつづいた。作者のいとなみは孤独なものであるが、それからは、私は読者に励まされた。バルザックは、辛いけれど読者が待っているから今夜も徹夜すると、しばしばハンスカ夫人に書いているが、私にもその心がわかった。

必ず誤植を親切に指摘し、成語について疑問を申し出る篤学な読者もあった。出版が予定よりも遅れると、筆者が病気ではないかと心配して問いかける手紙がたくさん届いた。しかし、私はやはり返事を書かなかった。返事を送っていたら、かんじんの「人間の運命」が書けなくなると怖れたからだ。この大作が終わってから、返事を書きたいと思うような手紙だけは大きな袋に入れて保存したが、いざ終ってみると、二千通ばかりあって、とても返事を書くことなど、気力的に不可能だ。疲労が出たというのか、ペンを持って、机に向かう気力が今はない。

従って、或る新聞の広告に使われた小松一江さんへの手紙は、実は、この読者にはじめて書く返事のようなものであった。いつか出版社の担当の者に、読者の手紙についてうつかり話したことから、小松さんの手紙がたまたま担当者の目にとまり、担当者が小松さんの許可を得て、私が公に返事を書くという仕儀になってしまった。小松さんに迷惑をかけたのではなかったか。

私は元気になったら、読者の手紙を整理して、同一人から来た手紙をそろえ、その読者がこの数年間に、どんな変化をしたか、読みとりたいと、たのしんでいる。(作家)
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