小田実 「アンポ」の一語にこめる ――〈体制〉を打破るための運動とは何か ‘70年代知識人論 『週刊読書人』1969(昭和44)年 1面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年2月12日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第757号)

小田実
「アンポ」の一語にこめる ――〈体制〉を打破るための運動とは何か ‘70年代知識人論
『週刊読書人』1969(昭和44)年 1面掲載

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運動の中の自己改革 「アンポ」とは、運動形成のためのお題目ではない

年が明けたことしは一九六九年――”安保”再改定の年にあたる一九七〇年も眼の前である。この七〇年は、知識人にとっても、一つの選択を迫られる年である。そこで、六九年をむかえた時点で、七〇年にむかう知識人の課題について、「ベ平連」などの行動をとおして精力的に反戦運動をつづける作家の小田実氏に執筆してもらった。(編集部)

第1回
「アンポ」という言葉の中に

小田 実氏
新しい年、一九六九年をどんなふうにとらえるか。私なら、たぶん、世の多くの人たちと同様に、一九七〇年、すなわち、安保条約期限切れの年の前年だと考える。いや、「アンポ」の年の前年と言ったほうがよい。そのほうがピッタリする。

「ベイタン」ということばがある。言わずと知れた米軍のジェット機用の燃料を積み込んで、たとえば、新宿駅を日に三度通過して行くタンク車のことだが、人々がデモ行進のなかでそんなふうに叫びをあげるとき、そこには、もちろん、「ベイタン」の動きをとめようとする人々の意志ばかりではなく、アメリカの基地の存在、現在の日本とアメリカのかかわりあいそのものに強く反対する気持が働いているにちがいない。同じように私が「アンポ」とカタカナで書くとき、このごろデモ行進のなかでよく耳にするのはシュプレヒコールの「アンポ・フンサイ」ということばだが、そのことばと同じように安保条約をやめさせたい、やめなければならないという気持の他に、国際社会のなかに日本が占めている位置に根本的な変更を加えたいという思いが私の内部で働いているのだろう。そして、もう一つ言って、安保体制をあくまで保持して行こうとする政府とまっこうから対立する立場を、私は「アンポ」という一語にこめる。あるいは、その体制を打ち破るためにどのような運動をかたちづくって行けばよいのか、という思いが私の胸に来る。ことに、一九六九年という「アンポ」の年の一年前の年にあっては、その思いはいっそう切実な思いとして胸に来る。
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