司馬遼太郎×尾崎秀樹 『週刊読書人』1967(昭和42)年1月9日号(1/2合併) 2~3面掲載 現代と維新のエネルギー|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年2月15日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第657号)

司馬遼太郎×尾崎秀樹 『週刊読書人』1967(昭和42)年1月9日号(1/2合併) 2~3面掲載
現代と維新のエネルギー

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1967(昭和42年)新年号
2-3面
“戦後二〇年か、明治百年か”という問いかけで顕在化した日本近代史をめぐる評価は、明治百年の接近とともに、論壇の主要なテーマになりつつある。そこで、維新の激動期を生きた日本の近代化の担い手たちを追求し、昨年度の菊池寛賞を受賞したユニークな歴史小説作家・司馬遼太郎氏と、文芸評論家の尾崎秀樹氏に、現代を生きる明治維新のエネルギーをさぐってもらった。(編集部)
第1回
歴史を捉える視点 きわめて素朴な"歴史の体験"が

司馬 遼太郎氏
尾崎 
 ちょうど、昭和三年が戊辰に当りましたね、維新から数えて六〇年目。あの時すでに維新ブームというのが一つあったと思うんです、で、そのブームは生き残りの最後の線がわずかに発言し合うことで、残された同時代的歴史観としての意味がありましたね。子母沢寛さんの『新撰組始末記』は、まさにそういうものの成果として定着するわけでしょう。それに比べると、いまいわれる明治百年維、新百年のこの盛り上がりは、まさに現代史から、歴史への切り変わりの時期にあるんだという感じがしますね。
司馬 
 ぼくは、歴史というのは、その当時目撃した年寄りがなくなってしまった時代から、歴史だと思っているんです。おれのひいじいさんはまだそれを見てしかも元気だという時代はだめです。だから、まだまだ明治末期とか大正時代というのは歴史になりません。なまなましくて。
あの大東亜戦争はまだ百年たたなければ、歴史にはならないですねえ。あれはなまなましくて…。いや、そうじゃなかったというのも出てますがね。
尾崎 
 ええ、生きているわけですから…。
司馬 
 生きている。生きているということは、つまり、大へん歴史家にとって便利がいい、あるいは文字を書くひとにとって、大へん便利がいいというように見えますが、必ずしもそうではないんですね。……何というんですか、高見に立つて、物を見られませんね。
尾崎 
 ええ、客観的性格が出ないですねえ。
司馬 
 その意味で明治維新はほやほやの歴史なんだな。だから単に百年経ったということではなくて、非常に新鮮な感じがしますね。まあ、日本人の社会は遠い意味で見れば織田信長から出発しているし、近い意味で見れば明治維新から出発してますから、その系譜は織田信長以来の家というのが今でも上流社会におるし、それから明治維新以来の家というのは、たとえば官軍・賊軍ともですね、いろんな目にあって社会に生きていますけれども、もう恩讐を超えましたな。
尾崎 
 そうですね。
司馬 
 京都の黒谷の丘の上にですね、墓石が散乱している場所があるんです。それこそ風でも吹けば、すさまじい感じの風景になりそうなね。それが会津墓地なんです。維新前夜、京都でたおれた会津人たちの墓なんですけれども、そこは、荒れに荒れてるだろうと思うと、そうじゃないんですね。いつでも香華が上って、埃一つないように掃かれてあるんです。ただ、墓石が散乱している形は、これはどうにもならない。それが歴史のすさまじさというものを、われわれに感じさせるだけですけれども。しかし、会津若松市の人が定期的に来てはそうしているんです、未だに。だから、ちょっとこわいようなところもありますよ。
尾崎 
 戊辰で流された血は、その直系の人たちにとって乾ききってはいない。生きている。それを乾かすためには歴史の歳月が必要だし、歴史文学の課題も残されているんだ、ということになりますね。戊辰に限らず、たとえば関ガ原でもそうです。毎年のように薩摩から高校生たちが修学旅行に出てきて、島津義弘の伊勢街道を逃げるコースをずっとバスで廻りさらに宝暦治水のあとを行く。

絵空事で、昔何々がありました、というのじゃなくて、むしろ自分自身のじいさまがどうした、ばあさまがどうした、その時にどういうことがあったという形で歴史に結びついていく。これはいかにも日本的な発想だと思うんだけど。そういう素朴なところから歴史の体験が始まる。
司馬 
 なるほど、いまの話はおもしろい。
尾崎 
 戊辰のおり、奥羽列藩同盟で苦労した連中は一番分の悪いことをやらせられたようなもんでしょう。みんなそれで血を流しているわけですからね。東北の人たちが西南雄藩に対して持つ屈折した意識、これは三代経てもなお牟固としたものがあるでしょうね。
司馬 
 それはありますね。南部藩出身の原敬だって、生涯頭の中にまつわりついていたことでしょう。つまり、自分たちは賊軍だったけれども、あれは勝手に薩長がそうしたんだ、自分たちをその立場に追い込んだ、と。
尾崎 
 客観的に見てもずいぶん政府側は無理押しをしている。賊軍にするために、いろんな手をこうじて、レッテルを張って行く。
司馬 
 それは革命ですからね変革じゃありません。変革ならばね”まあまあ”でいいんです。だけど、革命だからどんどん血を流さないと成立しませんわ。で、その血を流す相手が全部、お前たちとおんなじだといっているんですよ。たとえば尊皇ということについても、東北諸藩の方は伝統が古いし、しかも尊皇については強要的ですね、東北諸藩の方が。その点についても、お前たちとちっとも変わらない、とさかんにいっているんだけれども、いや、お前たちは賊軍だ、どうしても賊軍として討たないと完成しないもんですね。これは長州が背景にありますが、西郷と大久保だけの革命理論ですね。とにかく討たなきゃいけない。江戸を火の海にして始めて革命は成立する、と。ぼくが彼らの側でも思ったでしょうな。また、ぼくはそれに追い詰められていく東北諸藩の歴史的悲劇というのには、もう万哭の涙を流しますけれども。
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