司馬遼太郎×尾崎秀樹  現代と維新のエネルギー 『週刊読書人』1967(昭和42)年1月9日号(1/2合併) 2~3面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年2月15日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第657号)

司馬遼太郎×尾崎秀樹 
現代と維新のエネルギー
『週刊読書人』1967(昭和42)年1月9日号(1/2合併) 2~3面掲載

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第4回
筆の及ばない西郷 理窟でなく肌で理解すること

尾崎 
 維新の場合にそういう人物を一人あげると誰になりますか。
司馬 
 チャーミングなという意味ですか。実在の人物で、人間の典型になるようなといえば、やはり坂本竜馬でしょうね。それと片一方はやはり河井継之助だと思います。
尾崎 
 西郷なんかはそこに入って来ませんか。
司馬 
 入って来ます。入って来ますけど、西郷という人は、もう小説家の短い筆では及ばないところがあるんです。つまり、人工的な部分がある。彼自身がつくりあげたものがある。その彼自身がつくりあげたものというのは、陽明学が少し入った朱子学的な人間像というようなもんですね。彼は学者ではありませんけれど、非常に当時のいう学問の本質というのをわかった人だったんです。だから人間はこうあるべきだということが一つあり、それから、この世に出て大事を成すにはこういう人間であらねばならないということが一つあり、その二つに向かってつくり上げていったところがあるんですね。

そうすると三百年の朱子学史とそれから精神史をとかなきゃいけない。これは海音寺先生の自説ですけれどもね。

これはうろ憶えの表現ですが、つまり三百年の武士の教養というようなやつがコンデンスされてそしてポトッと一滴落ちたのが西郷だと。確かにそうで、二度と人類に出て来ませんね。やっぱり背景というものがつくる、その背景も三百年の背景というものがつくるものですから、二度と人類には出てこない。坂本竜馬は出て来ます。だけど西郷は出てこない。
尾崎 
 思想史的な面が非常に強いんですね。
司馬 
 強い。強い。
尾崎 
 思想史的にとらえるにしても竜馬は割合いやさしいでしょう。ところが、西郷をどう評価するかというと、これは保守と反動の接点みたいなところに立っている人物だから大変むづかしい。だからこれの持っている全重量とそれ以来の西郷的傾向、これをどうつかむかという問題は容易に答えが出ない。
司馬 
 むずかしいです。江戸時代人が煮つまってくるのが幕末人ですが、非常に興味がありますのは、世界の人類の中でそういう実験をした人間群というのは彼らしかいないんです。そういう実験というのはですね、三百年経って朱子学というのをやった人種ですね、大まじめに。その朱子学というのも、普通のシナで発生した朱子学ではなくてですね、それを拓かんとして日本の陽明学者の刺激を受けながら、つまり、彼らの反対側であるはずの陽明学の刺激を受けながら、かえって陽明学が弾圧されてますね。弾圧されているんだけど、朱子学はそれに満足せずにかえって刺激されて非常に陽明学的な行動主義になっているんですね。

行動主義と言いますか、とにかく「知行一致」というか、知るだけじゃいけない、知ったと同時にやっぱり行わなきゃ。で、行なうなかに知というものがあるという、非常に行動主義的なまあ熱気を帯びているんですね、日本の朱子学というのは。幕末に至ったら特に。だから、それを理解しなきゃいけないんです。それを理解しなきゃ幕末人の行動主義は出てこないんです。ただ単に騒乱期であり、かつ変革期であるから、雲を望んでみんなが集まって来たという水滸伝的とはいえない、もっとインテリジェンスに富んだ、もっと精神分析的な問題をつんでいるんですね。その点が最も濃厚なのが西郷なんですよ。…
尾崎 
 ここで個人的な体験を補っていただきたいんですけれども、つまり、歴史小説を書くようになった動機みたいなものですね。
司馬 
 ぼくはなんで小説を書くのかといったら、これはまあ簡単にいえば体質だろうと思いますけれども、少年期、青年期には日本の歴史に興味なかったんですね。世界史か、東洋史がおもしろかったですね。まあ、私が少年期で一番血をわかしておったのはね匈奴の問題ですな。あのフンヌの彼らが、つまり自然条件がだんだん悪くなって、砂漠があるしね。草原が北の方から砂漠になって行く、そのため草原が小さくなってくるため、南へ南へ生きるために下っていかなきゃいけない。これはもう五千年の間下っているわけです。そこで、長城ができるもんですから、その長城に対して、もう肉体をぶっつけてでも長城を越えなければ生きていけない。そういう壮大な民族の宿命とか、悲しさがあるわけです。
尾崎 
 ええ…。
司馬 
 で、漢民族はそれに対して、非常に緩慢な防衛をやったといいますけれども、常に鮮烈な襲撃をされますね。しかしながら、襲撃者は何度もその屍を長城でうずめて行くわけです。その民族の悲しみというものを考えるとね、非常に興奮したんですよ。それがいまの私の原型になっているんです、そのイマジネーションが日本の歴史を見る場合に、やっぱりそれがちらちら顔を出しょるしな。
尾崎 
 どこに素材を求めるかじゃなくて、それの持っている民族的な悲しみとでもいったドラマ、歴史のドラマの壮絶な展開。そういうものにひかれるということは同時に先ほどいわれたいわゆる変革期の状況が煮つまっていく過程に魅力を感じるということに相通ずることです。
司馬 
 ええ、私もそう思います。
尾崎 
 最初にそのことを考えられたのはいつごろですか。
司馬 
 十七、八のころです。
尾崎 
 そうすると、学生時代に蒙古語をやられたというのもそのせいですか。
司馬 
 そのせいですね。
尾崎 
 つまり、日本の卑れなゆがんだ書斉的なあるいは四畳半的な、そういう文学の中へ入り浸っちゃうわけではなく、いきなり歴史の正確さとでも言いましょうか、あるいは草原のすばらしいスケールというものにひたれるということね。歴史のもっているビジョンにひかれて行ったということね。これはやっぱり日本にないロマンの構想ですからね。これはもう司馬さんにとってプラスだったと思います。
司馬 
 そうですか。私はちゃんとしたオーソドックスな文学的青年時代をもたなかったんで、それが、自分のやっぱり一種の文壇的宣言ですから――。本人は悲しみを持ってますな。ええ、まあ、歴史上の巨人。巨人といったらおかしいんですが、信長とか家康とか秀吉とかいうやつはおかしなやつですわね。いわゆる自然主義風の伝統では書けないんですよ。
尾崎 
 そりゃそうですね。
司馬 
 内面を書いちゃいますとね、当たり前になっちゃう。あたり前のその辺の文学青年に……、秀吉も信長もみんな。だから内面も書かなきゃいけないけれども、外面からも多く見なきゃいけない。外面から見る場合は、もう内面は入り込まないんです。入り込ますと普通の人間になってしまう。それは坂本竜馬もそうですね。こいつがこの行動からこの行動へ飛躍するという時に、つまり小説としちゃ真理を書かなくちゃならない。で、彼も悩んだでありましょうから、その悩みを書かなきゃいやませんが、書くともうそれは坂本竜馬がなくなっちゃうんです。つまり文学青年になっちゃうんです。
尾崎 
 ええ。
司馬 
 だからその場合には、彫刻家が彫刻をするように外面から彫らなければいけないんで、まあどういうかな、歴史小説とういのは私はやっぱり普通の小説とは違うところがあるようですなあ。
尾崎 
 それで、その人間把握の仕方は、大衆のレベルにおいては、そういう形で共感されると思うんですね。理屈で理解するんじゃなくて、肌で感じとるのみたいなのがあるでしょう。たとえば大衆の持っている家康や信長についての評価は、まさに人間論そのものだと思うんです。で、司馬さんのなかにあるのは、歴史論であるまえに、まず人間論の形でまとまっている。これが大衆にとって、大へん魅力的で親しめるポイントになると思うですがね。
司馬 
 そうでしょうか。
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