近代東アジア への視角  汪暉氏との対話 磯前 順一 ポストコロニアル第三世代の任務――新しい主体性の形成に向けて一|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年2月18日 / 新聞掲載日:2019年2月15日(第3277号)

近代東アジア への視角  汪暉氏との対話 磯前 順一
ポストコロニアル第三世代の任務――新しい主体性の形成に向けて一

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汪暉氏(清華大学人文学・社会科学高等学院所長)が現代中国を代表するポストコロニアル世代の政治思想史家である。
汪氏が2019年1月16日から31日まで京都の国際日本文化研究センターに滞在し、レクチャーおよびセミナーを主に英語で行った。以下は、その際になされた日文研・磯前順一氏との対話の記録である。     (編集部)
第1回
汪暉報告 東アジアの近代

汪 暉氏(京都・日文研)

1月18日に催された日文研の公開講演会では、汪氏は「「世紀」という思考の始まり――初期二十世紀中国における帝国主義、ナショナリズム、コスモポリタニズム」という講演を行った。

そこで議論されたのは、「世紀」という西洋キリスト教的な時間観念が本格的に導入されたのは、中国においては二十世紀が始めてであったこと。同時にこの時期になって、東アジアと西洋、アフリカ、南アジアなど横の地理的な同時性の空間や思考法が成立したことであった。当初東アジアの知識人たちは、西洋近代を普遍と考え、自らの歴史的伝統を「特殊(the particular)」と考えたわけだが、それは西洋列強による植民地化の危機のもと、西洋のオリエンタリズム的な眼差し――すなわち西洋のみを「普遍(the universal)」と考える見方――を内面化したものでもあった。

こうした西洋中心主義的な近代の捉えかたを汪氏は批判し、近代とは西洋だけが独占する単数の〝modernity〟ではなく、複数の〝modernities〟であること。それゆえ、「普遍」と「特殊」という対概念で捉えるのではなく、「普遍」と「特異(the singular)」という組み合わせのもとに、その二重構造を考えるべきだと述べた。ここでいう「特異」とはそれぞれの地域に固有の歴史があるとする見解であり、〈西洋=普遍/東洋=特殊〉といった二項対立を脱臼させる働きを促す。そこでは、単独と組み合った「普遍」とは西洋に専有されたものではなく、固有の歴史をもつ各地域にみられる、他者へ開かれようとする働きを指すものとなる。

東アジアにおける近代をどう捉えるか。言うまでもなくそれは汪氏の思考の中心をなす主題である。そこに各地域の近代を、「普遍」と「特異」の組み合わせとしての「二重の歴史」と捉える汪氏ならではの視点がある。それは西洋のオリエンタリズムの眼差しのもとに同質化された非西洋の歴史を、異種混淆的な歴史として蘇生させる試みでもある。ただし、それは単に異種混交性を唱えるのではなく、どのような要素がいかなる配合で組み合わされているかを具体的な歴史に添って考えるところに、汪氏の思考の特徴がある。東アジアにおいては近代以前の朝貢システムと、西洋近代的な帝国主義的国民国家の重なり合いが、二重の近代を構成していると考えたのだ。

こうした汪氏の近代批判は、タラル・アサドが唱える「複数の近代」あるいはガヤトリ・スピヴァクの唱える「複数の、他者なるアジア(other Asias)」といった概念に呼応する点で、西洋近代のヘゲモニーを脱構築するポストコロニアル研究者ならではの理解といえよう。ただし、汪氏の理解は単なる複数性や「多重性(doubling)」を指摘するにとどまらず、単独性こそが普遍性に開かれた入り口をなすことを指摘した点で、ともすれば相対主義に陥りがちなポストコロニアル思想を、「非共約的なものの共約性(commensurablity of the incommensurable)」という意味での普遍的なコミュニケーションの場に推し進めたものと言えよう。

それゆえに、汪氏は通俗的なポストモダニストが声高に叫ぶ主体が要らないといった立場は取らない。むしろ、どのように政治的な次元において主体を構築するかという視点から、現在の中国社会では語ることがタブー視されがちな中国の文化大革命など、東アジアの歴史を読み直していく。
こうした主体あるいは主権を形成し得ないとき、人間は排除されたり、あるいは社会的権威の一部に容易に取り込まれていく。こうした主体の構築は、すでにアルチュセールが指摘するように重層的になされており、例えば性的マイノリティがマジョリティに抑圧される社会的存在である一方で、ときに高学歴を修めることで恵まれた社会的地位に就いていることも珍しくはない。近代が複数性のもとに存在するように、主体もまたその内部に分裂や亀裂を抱えた非同質性を本質とするものなのだ。

そこから、「新しい主体性のかたち(new form of subjectivity)」が模索されていくことになるのだ。事実、すでに現実の社会では、表象力の有無を分岐点とする「知識人」と「民衆」という二項対立がすでに脱臼にされている事態が看取されるという。この新しい主体化をめぐる汪氏と私の会話については、30日に行われた磯前による日本の被災地における主体化に関する報告「Without You――あなたのいない世界を生きて」にさいして討論されることになる。
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