東直子『愛を想う』(2004) 中央線、南北線に東西線、どこへもゆけてどこへもゆかず|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
更新日:2019年2月19日 / 新聞掲載日:2019年2月15日(第3277号)

中央線、南北線に東西線、どこへもゆけてどこへもゆかず
東直子『愛を想う』(2004)

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特に地名に由来していない「中央線」「南北線」「東西線」は、全国どこの都市でも採用できるような、普遍的でかつ無個性な名称だ。東京都はJR東日本中央本線と東京メトロの南北線・東西線というふうに全部揃っていていずれも全国的に有名だけれど、大阪府も実はこの三つの路線名をフルコンプしている。大阪市高速電気軌道中央線、北大阪急行電鉄南北線、JR西日本東西線である。中央線はないものの南北線と東西線は揃えているのが、札幌市営地下鉄、仙台市地下鉄、神戸高速鉄道。

絶妙に無個性な路線名を連ねることで、この歌の舞台が東京なのか大阪なのかがわからなくなるようなつくりを意図的に導入している。作者は現在東京在住だから東京の路線なのだろうと単純に読んでしまうのははっきりと誤りだ。どこにでも行けるはずなのにどこにも行かないという思いは、そもそも自分がどこにいるのかわからないという心もとない浮遊感と結びついている。この歌の舞台は、「東京でも大阪でもある二重的な都市」なのだ。関東と関西の両方に住んだことのある歌人ならではの気付きから生まれた発想といえるだろう。

「武蔵野線」みたいに具体的な地名の付いた路線名なら、まだ血の通ったぬくもりが感じられないでもないけれど、「中央線」「南北線」「東西線」ではいささかそれは難しい気がする。確かにどこにでもつながっていて便利なのだろうけれど、どこか冷たさを感じないでもないのである。(やまだ・わたる=歌人)
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