経済学者の勉強術  いかに読み、いかに書くか 書評|根井 雅弘(人文書院)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年2月16日 / 新聞掲載日:2019年2月15日(第3277号)

一経済思想史家の幅広い〈仕事ぶり〉の舞台裏
経済学の制度化を超える〈思想史〉の射程

経済学者の勉強術  いかに読み、いかに書くか
著 者:根井 雅弘
出版社:人文書院
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著者の根井雅弘氏は「現代経済思想史」を専門分野とする研究者であり、京大院生時代から早くも頭角を現し、これまでに自身の専攻についての専門書・教科書・入門書(新書)・ジュニア向け新書など数多くの書を世に送り出してきた。そしてまた周知のように、30年近くに及ぶ「書評」歴も長く、かつての『時代を読む―経済学者の本棚』(NTT出版、2011年)には、公表された書評とあわせ、氏の書評観についても先の昨品(『時代を読む』)冒頭で実直に語られている。

ゆえに当該書評のタイトルに付したように、「一経済思想史家」の「一」とは「一人の」とあわせ「唯一の」という意味合いをも込めている。それだけ当該分野における氏の学術上の多面的実績は特筆に値するものがあり、今次、こうした氏の「勉強」・「研究」そして「仕事」についての実践法とその幅広い舞台裏をうかがえるのは、著者の作品の多くを読み学ばせてもらった一読者(ないしファン)としては嬉しい限りだ。「古典」・「読書」・「文章」・「書評」などをめぐる一連の含蓄に富む考察に加え、氏が従事してきた学問分野の「未来(将来)」も真摯に展望される。読者の好きな箇所から自由に読め、やや大袈裟にいえば、本書は氏の「勉強術」を披露しながら、30年に及ぶ学者人生を振り返った「自伝的な風味」をも醸し出している。こうした氏の本を読むのははじめてのことで実に新鮮だ。

このような本の内容を逐一克明に述べ論評するのは野暮であろう。そこで以下では、ことさら評者の心の琴線に響いたものに絞ってあえて紹介してみたい。

一つは「文章」や「書評」を書くという営み。「読む」ことはインプットであり、「書く」ことはアウトプットとみなすことができるが、実は後者こそ重要なインプットともいえよう。それゆえ本書副題にもある「いかに書くか」という主題には大いに興味関心をそそられる。伊東光晴氏のいう「一流の物書きは伸び縮み自由に文章が書けなければならない」とはまこと至言であり、簡潔にいえば「文章は字数なり」ということ。規定の字数に応じて文章の量を適合させる腕が求められるのであり、それはおのずと本の「読み方」にも関わってくる。評者は10年前に根井氏の『経済学とは何か』(中央公論新社)という本にはじめて長い書評論文を発表したが、その時に「高く評価できる」とのコメントを頂戴しながら、同時に「もっと短い字数でも同じような内容の論評が書けるとよい」とも助言されたことがある。これは今にして思えば、伊東氏のそれであった。丸谷才一氏の「ちょっと気取って書け」というけっして簡単でない文章術を氏はどう実践しているのか。経済学にとどまらない幅広いジャンル(歴史や音楽、国際政治など)の本を長く「書評」していくなかで時間をかけ磨かれていくのだろう。「書評の仕事は、学界とジャーナリズムとのリンクを絶やさないようにする手段でもあった」と回顧する書評観も印象深い。ただやはり氏の「楽しく読んで書評を書いている」という心意気と姿勢そのものに「書く」という営みの本質があるに違いない。まさに評者自身も、氏の本書を「楽しく読んで書評を書いている」のだから。

もう一つは学問としての「経済学史の未来」。氏自身は率直に「経済学史」や「経済思想史」の教員が専任スタッフから年々消えつつある現状(当該分野の衰退産業化)を憂いながら、(日本・西洋)「経済史」と「経済学史」の双方を有機的に繋ぐ研究のあり方の潜在性を示唆し、学説・思想「史」研究の再構築を模索している。バトラー=ボードン『世界の経済学50の名著』からも明確に汲み取れるように、「資本主義」や「格差」、「経済成長」そして「カネ」といった古くて新しい諸問題への深い内在的な理解と適切な処方箋を見出すためには、「古典」を含む雄大な歴史研究を必ずや踏まえねばならない。氏が「未来志向の学問を」という場合、経済思想の世界は多様であり、その多系的な学説史的経緯・背景を謙虚に学ぶ態度を教示している。氏がケインズやシュンペーターを再考し続けるのは、経済学者としての愛着のみならず、「貨幣」や「経済発展」の本質とその現代的意義のまさにオリジンが彼らの洞察に今なお胎動しているからにほかならない。「歴史(過去)」を見る眼を新しくすることでこそ「未来」は切り拓かれていく。経済学史・思想史研究の輝きが色褪せることはない。

学者人生の道程において「人」との出逢いと多彩な交流は決定的な意味をもつ。いや、学者に限らずそれは人が生きていくうえで普遍的なものだ。清水幾太郎、菱山泉、伊東光晴氏ら著者に大きな影響を与えてきた「先生」の学恩に心から敬意を示し、根井氏はこれからも読み続け、書き続けていくのだろう。広く学問・学術をめぐる長年の経験値がふんだんに盛り込まれた本書は評者にとって特別な一書。世代を越え多くの方にぜひ推奨したい。

  *

経済学分野では標準化されたコースワーク(ミクロ・マクロ・計量)を修得させる傾向が顕著に増し、経済学説や理論・思想の歴史的変遷と迂遠になってきている。「経済学の制度化」にともない優れたテキストがカリキュラムを支配し、経済学を学ぶ順序とスタイルが明確に定まっているからだろう。当該新書(『経済学者はこう考えてきた』)は経済思想史家の立場から経済学の初歩をコンパクトに解説したものだが、内容的に密度はなかなか濃い。副題の示唆するように、「古典」的名著は標準テキストにはない、逆説的ながらも新たな洞察を導き未来を牽引していく力強いエネルギーを秘めている。

第1章「資本主義とは何か」(マルクス、ケインズそしてハイエク)や第3章「教科書に馴染まなかった人たち」(シュンペーター、ガルブレイスやミンスキー)を読み進めると、現代の主流派経済学は概して「資本主義」という〈大きな問題〉への関心が希薄ではないか。乗数理論と流動性選好利子論にもとづき、社会全体の産出・雇用量が有効需要(の大小)によって規定されることを理論的に解明したケインズの『一般理論』は、マクロのミクロ的基礎づけを方法的コアとする理論体系とは本質的にことなる正真正銘のマクロの「貨幣」的資本主義経済論であり、資本主義の企業金融の債務構造に着眼したミンスキーの「金融不安定性仮説」はそうしたケインズ像を継ぐ所産だ。ガルブレイスの一連の現代資本主義論は、主流派において「通念(制度的真実)」とされる「消費者主権」や「完全競争モデル」という諸概念の脆さと不備を鋭く見抜いていた。

資本主義の動態的進化というマルクスのヴィジョンを継ぎ、企業家と資本家の両機能を(資本主義の)原動力とみなすシュンペーターの『経済発展の理論』は、正しく理解されてきたというよりむしろ誤解されてきた。若い世代の多面的なハイエク研究が近年進展してきているが、ソ連社会主義の崩壊を経て、彼の思想を「市場原理主義」の元祖として極端に一面化した理解が依然として定着しているのとそれは同根にほかならない。主流派にはない〈資本主義〉論の意義(カレツキやスラッファの遺産をも活かしながら)をより体系的に語り直す試みが要請されている。

氏は、標準的な現代経済学の内容を十分に理解したうえで、それに収まりきらない異端派の経済思想にも触れることが重要であるとし、「順序は決して逆であってはなりません」と念を押す。主流派と反主流・異端派(たとえばニュー・ケインジアンとポスト・ケインズ派)とのあいだの有意義なる「対話」はそもそも可能か、またそれはいかにして可能なのか。本書の提起する問題の視野は広く、核心は深い。だがそれこそ、経済学の思想と理論の「多様性」・「多元性」を学ぶ醍醐味といってよいであろう。

本書が推奨するように(第5章)、偉大な経済学者の「自伝」や「評伝」に触れることも、標準テキストの思考とは異なるセンスを養う一契機となるに違いない。
この記事の中でご紹介した本
経済学者の勉強術  いかに読み、いかに書くか/人文書院
経済学者の勉強術  いかに読み、いかに書くか
著 者:根井 雅弘
出版社:人文書院
以下のオンライン書店でご購入できます
経済学者はこう考えてきた 古典からのアプローチ/ 平凡社
経済学者はこう考えてきた 古典からのアプローチ
著 者:根井 雅弘
出版社: 平凡社
以下のオンライン書店でご購入できます
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