伊藤洋司×吉田広明トークショー 『西部劇論』をめぐって|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年2月24日 / 新聞掲載日:2019年2月22日(第3278号)

伊藤洋司×吉田広明トークショー
『西部劇論』をめぐって

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一月二六日、東京・神田駿河台のエスパス・ビブリオで、吉田広明氏(映画評論家)と伊藤洋司氏(中央大学教授)のトークイベントが開催された。吉田氏が昨年上梓した大作『西部劇論 その誕生から終焉まで』(作品社)を機に開かれたものである。その模様をレポートする。


    *
会場には、五〇名にも及ぶ〈西部劇ファン/シネフィル〉が集まり、二人の会話に、熱心に耳を傾けた。冒頭、吉田氏は、本書執筆のきっかけは、アテネ・フランセで行われた、第八回アナクロニズムの会「西部劇=残存するノワール 西部劇を殺したのは誰か」にあることを述べ、成立までの経緯を、次のように語った。

第1回
『西部劇論』をめぐって(1)

伊藤洋司氏(中央大学教授)㊧と吉田広明氏(映画評論家)

吉田 
 一九五〇年代に、アメリカの西部劇が変化し、アンドレ・バザンが「超西部劇」という言葉で再浮上させました。バザンが、そうした言葉で定義していたものは何かと考えていくと、ノワールのことを言っているんじゃないかと思ったんですね。そもそも最初の構想は、フィルム・ノワールが西部劇を再活性化したということで考えはじめたわけです。ただ次第に、むしろフィルム・ノワールは、西部劇が持っていた晴れ晴れとした風景の中に、毒を投げ込んでしまったんじゃないかと感じるようになりました。「殺した」という言葉を使ったぐらいですから、「西部劇の終わり」が薄々頭にあったと思いますけれども、書く前は、そういう結論づけになるとはまったく思っていませんでした。アテネで話した西部劇とノワールの関係性、そこを出発点として、西部劇全史を読み直したらどうなるか、それがこの本のテーマでした。

つまり、フィルム・ノワールが西部劇に対して、非常に批判的な視点を打ち出してきたというアイデアが、まず核としてあった。そのように考えていくと、その西部劇批判の究極としてクリント・イーストウッドが見えてきた。そして、この本を、イーストウッドで終わろうと思った時、西部劇は終わっているんだと、確かに考えたんだと思います。次に、そこから遡って行くと、その淵源にウィリアム・ウェルマンが浮上してきた。さらにラオール・ウォルシュ、ニコラス・レイ、あるいはサム・ペキンパーに対するモンテ・ヘルマンが視界に現れる。そういう山が、ひとつずつ見えてきた感じです。目次を見ると、年代順に追っていますから、「西部劇史」として読めるかもしれません。しかし、あくまでも一つの視点としての「終わり」という視点、フィルム・ノワールというプリズムを通して、西部劇を見ている。だから「西部劇論」という言い方をしているんですね。

イーストウッドの『許されざる者』で、西部劇は終わった。これは書きながら発見したことで、筆者自身そのことに驚いている。その驚きを感じてもらえればありがたいと思います。

    *

吉田氏の発言を受けて、伊藤氏は『西部劇論』に対する意見を述べた。
伊藤 
 この本の重要な論点は三つあります。一つ目は今言われたノワールに関することで、これは主に第四章で論じられています。一九四〇年代後半から五〇年代の西部劇を、ノワール西部劇と命名し、その上で、これこそが「正統な西部劇」だとしたことですね。これは、抽象的な言葉を使えば、西部劇の透明性と不透明性において後者を重視することになります。この二つは、純粋な活劇と倫理的な問いの場とも言えます。

二つ目のポイントは、ノワール西部劇を正統とみなすことから、必然的に生じるのですが、古典的な西部劇の位置づけが変わってくることです。古典的西部劇を王位から降ろすだけではなく、第二章で、西部劇の古典期も、「事後的に想像されたものに過ぎないのかもしれない」と述べて、古典的西部劇の存在そのものに疑問符を投げかけています。

そして三つ目。これも今言われたことですが、第九章で、イーストウッドの西部劇をジャンルの「埋葬の儀式」とみなし、『許されざる者』によって西部劇の歴史は終わったと宣言したことです。

    *

イーストウッドとともに、吉田氏が、特に思い入れを込めて執筆したのが、第三章「西部劇を変えた男」で、中心的に論じられるウィリアム・ウェルマンである。「イーストウッドを述べるためには、絶対にウェルマンを書きたかった。実際に観ていくと、面白い作品を撮っている人だし、伝記や自伝を読んでも、とても面白いキャラクターの人だった。これは是非とも評価しなければいけない、一章捧げなければいけないと思って書きました」と、吉田氏。伊藤氏も「イーストウッドを書いている時よりも、ウェルマンを書いている時の方が楽しそう」だと指摘し、吉田氏は「発見するものが、いくつもあったからだと思います」と応える。そこから話は、ウェルマンの『女群西部へ!』の出産場面や非西部劇『飢ゆるアメリカ』の赤狩り描写へと広がっていった。

    *

2
この記事の中でご紹介した本
西部劇論 その誕生から終焉まで/作品社
西部劇論 その誕生から終焉まで
著 者:吉田 広明
出版社:作品社
以下のオンライン書店でご購入できます
「西部劇論 その誕生から終焉まで」出版社のホームページはこちら
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