映画『古都』(原作:川端康成) Yuki Saito監督インタビュー|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年12月2日 / 新聞掲載日:2016年12月2日(第3167号)

映画『古都』(原作:川端康成) Yuki Saito監督インタビュー

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川端康成の名作『古都』は、これまで二度映画化されている(中村登監督・岩下志麻主演・一九六三年/市川崑監督・山口百恵主演・一九八〇年)。この小説を原作として、川端の世界を受け継ぎながら、物語を現代に新しく蘇らせた作品が、十二月三日より全国ロードショー公開される――。生き別れになった双子の姉妹、千重子と苗子。彼女たちが最後に別れを告げてから二十数年後の京都とパリが、今回の映画の舞台となる。ふたりには、それぞれ娘が生まれ、大人の女性として成長していた。千重子の娘・舞は、就職活動の時期に差し掛かり、店を継ぐかどうか迷っていた。苗子の娘・結衣は画家になることを夢みて、パリに留学中である。四人の運命は、どのように交錯するのか。長編映画初監督となるYuki Saito監督にお話をうかがった。


――作品のオファーを受けた時の最初のお気持ちを、まずはお聞かせください。
Saito
中村登監督、市川崑監督、おふたりの作品の存在が大きすぎて、かなりのプレッシャーを感じたことは確かです。ただ、僕自身、アメリカに長らく住み、日本人としてのアイデンティティや日本文化ってなんだろうとずっと考えてきたこともあって、作品を作ることを通じて、その答えを見つけるための糸口が見つかるんじゃないかと思ったんですね。『古都』をそのまま映画化するのであれば、僕よりも上手に撮れる監督はいると思います。そうではなく、ある種アウトサイダーである自分の経験も踏まえて、新しい視点で、新しいものを生み出すような仕方であれば、できるんじゃないかと思ったわけです。小説を読むと、川端先生の美しい文体を通して、京都の美しい情景が鮮やかに浮かんできます。静けさや、ゆったりと流れる時間、そうした世界観は絶対に守ろうと思いました。その上で、ドラマの部分では、自分の新しい視点を入れていく、「温故知新」のやり方ならばいけるかもしれない。何年かかってもいい、この作品と向かい合ってみようと、そんなふうに考えて、映画作りに取り組んでいきました。

――京都の情景を映し出していくオープニングの映像には、中村作品へのオマージュも感じられます。やはり前作を意識されましたか。
Saito
特に中村監督作品は意識しましたね。ファーストシーンは、おっしゃられたように、オマージュになっています。ただ、作品をリスペクトしながらも、京都に流れた五十年という時は絶対にある。カメラが引いていくと、モダンな京都が次第に現われてきますよね。そうやってビルに囲まれた町家の景色を映し出すことで、現代までの時の流れを表現しようと思ったんですね。古き良き風景も残っているけれど、新しいものも生まれている。京都に取材に行く度に、街が変化するんですよね。半年前にあった家が、跡形もなくなっている。そういう体験も、脚本作りには役立ちました。

――『古都』の後日譚を作り出す、新しい物語を創作するところが一番苦労されたのではないかと思います。脚本は、五十回以上改稿されたそうですね。
Saito
まず脚本は、複数のチームプレイにすることにしました。これはアメリカで学んだことです。そのひとり、眞武泰徳さんが川端先生を崇拝していて、脚本の骨格を作ってくれました。僕自身は、取材しながら浮かんでくるエピソードを入れ込んでいく。そういう作業をエンドレスにやっていました。現代を舞台にして描いていく際に、五十年という時は大きい。失われたものは五十年分ある。そこはリアリティに従う。けれども、川端先生が小説の中で「幻」という言葉をしばしば使っていて、そういう感覚も大切にしなければいけない。ファンタジーと言えばいいでしょうか。二十稿過ぎたあたりで、ふたつの間にある溝が埋められなくなって、ゴールが見えなくなった。その時ふと、千重子が母親になっていたらどうだろうかと考えてみたんです。母親の視点から娘を見る。二十歳の頃の自分も「家業を継ぐか継がないか」で、娘と同じような悩みを抱えていた。軸として親と子の関係が定まった時、先が開けた感じがしました。千重子は娘の舞をどのように見守っていくのか。舞自身の葛藤は、どうなるのか。最後は次の世代にバトンタッチしていくような感じを表わそうと思いました。実を言うと、一番撮りたかったのは、ラストの千重子の顔なんです。中学生を見送りながら「おはよう」と声をかける。彼女は未来に向けて話しかけているわけです。千重子は映画の冒頭、悪夢から目覚めて、その時も同じ「おはよう」という言葉ではじまる。ここでの彼女は何か重たいものを背負っている。それは映画を通してずっとあって、娘を自由にしたことで、自分自身が背負っていたものから解き放たれる。だからこそ、その後の朝の景色も、千重子にとっては、明るく見えたんだと思います。娘よりさらに若い世代を見送っている、あの清々しい表情を撮りたかったんですね。

――パリに暮らす結衣の物語も、オリジナルとして創作された部分ですね。
Saito
唯一自分がオリジナルで書いた脚本で、実体験が反映されています。映画監督になりたくてアメリカにいったけれど、うまくいかなかった。そのもどかしさを、結衣というキャラクターに重ね合わせている。もうひとつ。『古都』は「街小説」とも言われていますよね。パリと京都は双子の姉妹都市であり、街中に川が流れていて、一方に下賀茂神社があり、もう一方にノートルダム寺院がある。文化に囲まれながら、そこに住む人々は、何よりもプライドが高い。すべてが似ていると思って、脚本に生かそうと思いました。松雪さんが川岸にたたずむ、あのラストのシーンは、鴨川とセーヌ川で、レンズから何からすべて同じにして撮りました。

――松雪泰子さんは、監督の強い希望でキャスティングされたそうですね。
Saito
千重子を母親にするアイデアを思い付いた時、最初に思い浮かんだのが、松雪さんだったんです。彼女ならば、この難しい役を背負ってくれる。松雪さんが決まって、橋本愛さんと成海璃子さんの配役も一気に決まりました。キャスティングについては、演出として一番誇れるところだと言っていいかもしれません。

――演出上、特に気を付けたのは?
Saito
親子の距離感をどう描くかということです。京都編、千重子と舞のあいだには距離感がとてもある。また和室がびしっとはまる構図で撮影し、いわば「静」の世界を表現しようと思いました。成海さんのパリ編は「動」です。結衣は、自分が思ったらパリにまで留学する。母親の苗子も、娘が悩んでいると察知すればすぐに訪ねていく。千重子と舞と違い、フィジカルに抱き合ったりする。カメラワークもステディカムやドリーを使ってアクティブに撮りました。静と動、二組の母・娘の距離感、この違いを出すことを重視しました。

――ラストシーンについて、先ほど「未来に向けて」という言葉もありましたが、まさに物語は未来に開かれた形でおわります。ここは脚本の段階で既に決められていたのでしょうか。
Saito
かなり初期の段階で決まっていました。川端香男里先生も褒めてくださって、「川端文学を象徴している」という、嬉しい言葉をいただきました。千重子と苗子は再び会うことはなかったけれど、ふたりの娘はどうなるのか。是非ご覧になっていただければと思います。
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