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更新日:2016年12月2日 / 新聞掲載日:2016年12月2日(第3167号)

「文化大革命」発動から50年今、文革を再考する

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2016年は毛沢東による文化大革命発動から50年にあたる。いまだその全貌がつかめない文革。その意図とは、そこで一体何が起こっていたのか、また文革は日本にどのような影響をもたらしたのか。矢吹晋氏(横浜市立大学名誉教授)と土屋昌明氏(専修大学教授)に語ってもらった。日本は巨大な隣国とこれからの未来をどのように接していくのか、まずは中国現代史を知ることから始めなければならないのかもしれない。編集を朝浩之氏にご協力いただいた。(編集部)

文革とは何か

土屋
今年は文革(文化大革命)発動から50周年の年にあたります。そこで勉誠出版から、文革期の日本人による論文集『文化大革命と日本人』(12月刊行予定)を出し、『アジア遊学』(203号)では複眼的視座から文革を論ずる特集「文化大革命を問い直す」を編みました。

文革の問題は非常に大きな現代史の問題であるにも拘らず、当事者である中国はまったく無視してなかったかのように扱う。国内では研究者も研究がままならない、インターネット上では議論されていますけれど正式な研究として本が出ることは非常に少ないという状況です。『アジア遊学』にも書いていただいた印紅標さん(北京大学教授)の研究は優れたものですが、国内では本は出せないんです。研究者の中には、文革を研究しているが故に国外に亡命した人もいる。つまり中国共産党側は文革を伏せておきたい。一方、日本ではそういう事情がないにも拘らず、中国現代史の問題を考えようとしない健忘症に陥っている。私自身は文革が終わって以降に中国を勉強し始めていますから、文革に直接の影響は受けていません。しかし中国の研究をするなら、歴史学の常道として、これまで先輩たちがどのように中国を研究してきたかは振り返るべきです。にも拘らず、60年代の問題については誰も議論をしない風潮がある。
胡傑・艾暁明監督作品『紅色美術』より
私が大学で中国の研究をし始めたのは80年代です。その頃は既に文革の匂いは消えていました。特にNHKの「シルクロード」という番組で歴史ロマンに方向付けられました。「シルクロード」は、文革以降の中国が初めて海外のメディアに農村の様子を映させたんです。その時に私たちが見たのは悠久の歴史、古くから「生活」をしている中国の民衆の姿でした。ところが調べると、その農村で10年、20年前には階級闘争が起こっていた。大きな政治的な動きがあって死者もたくさん出ている。それを「シルクロード」は見事に消し去ったんです。それで我々もそのことを考える必要がないかのように、中国を考えるようになってしまった。それが揺り戻されたのは1989年の天安門事件(胡耀邦元党総書記の死をきっかけとする民主化運動に対して軍が鎮圧)です。天安門事件も、私たちの世代は、単なる政治権力闘争というレベルでしか受け取れなかった。もしもあの時に矢吹先生の『文化大革命』(講談社現代新書)を熟読していれば、実はあの天安門事件の裏に文革からの流れが脈々とあったことがわかったのですが(笑)。
文化大革命を問い直す()勉誠出版
文化大革命を問い直す

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その後に文革の問題が前面に出てきたのは、2000年代になってからの反日運動です。中国の人々が反日運動という名目で集まって大衆運動をやって、体制に対する批判をその中に織り交ぜていく。つまり彼らにとって政府に対抗する方法は大衆運動しかない。それが初めて日本人から見てもわかるように視覚化されたと思います。私的にはその時に、文革をもう一度考え直さなければ駄目だと思いました。当時は文革発動40周年の頃です。今年は50周年ですが、今言った問題点は解消されないままです。だから少しでも参考になるような資料を提供できればと思っています。
矢吹
私の学生時代は安保闘争真っ盛りでした。1962年に卒業し東洋経済新報社でしばらく働いたあとに67年秋にアジア経済研究所に転職しました。文革で最初に決定的な出来事があった年です。7月に武漢事件が起った。武漢は工業都市ですが、造反組織「百万雄師」と、実権派を支持する労働者部隊「総工司」が対立した。「総工司」の影のリーダーは武漢軍区司令員の陳再道です。労働者組織が対立して、武漢が天下分け目の関ヶ原になった。そこへ説得に行った毛沢東自身が監禁されてしまう。造反組織を作って造反をたきつけている時に逆に実権派から反撃を受けて、身動きができなくなった。だから毛沢東としては軌道修正をやらざるをえなくなった。私はその頃に文革の研究を始めました。

ではその頃の日本はどのような知的状況だったのか。日本のインテリがなぜ文革に飛びついたかと言うと、要するにスターリニズム批判です。スターリンが53年に死んで、56年にフルシチョフがスターリニズム批判をやる。それをきっかけにハンガリーで暴動が起こったりする。それが中国にも反映してくる。中国は百家争鳴(共産党への批判を呼びかけた政治運動)と言ったかと思うと、57年から突如反右派闘争に転じた。

いわゆる右派を封じ込めて毛沢東は生産大躍進や人民公社作りを進める。これが大失敗して大量の餓死者がでる。当然毛沢東を批判する側、いわゆる実権派のリーダーシップが強くなる。それに対して毛沢東が巻き返しをやったのが文革です。そういう意味では文革は最初から権力闘争には違いない。ではなぜ毛沢東の呼びかけが日本のインテリに響いたのか。

魂に触れる革命、という言い方が日本で流行ります。要するに、スターリン的な社会主義は、「人間解放」や「階級廃絶」とは縁遠くて、官僚たちが支配し相変わらず労働者も農民も支配されていた。これが本当の社会主義と言えるのかという懐疑があった。毛沢東がモスクワとは違う社会主義をやると言った時に、それは一体何なのかとみんなが注目した。その時に毛沢東は二つのことを言った。一つは文革が始まった66年の5月7日の指示、これは社会主義の理想を語っている。最終的には「階級廃絶」を呼びかけた。これには毛沢東が考える理想や夢が表出されている。ところがその直後の5月16日に通知を出す。今の中国は駄目だ、官僚たちが支配している国だからとても社会主義とは言えないから、造反せよと呼びかけた。つまり5・16は破壊のための指示、5・7では理想を説く、この二つのことを毛沢東は同じ月に語った。日本のインテリが共鳴したのは社会主義の新しい理念が中国から伝えられたことによります。ところが間もなく、現実の文革は武漢事件を契機として実権派と譲歩する交渉を始めざるをえなかった。

他方では別に国際的な側面があった。ベトナム戦争ですよ、当時は最終段階にあった。日本で文革に期待した人たちの一部はベトナムの対米抗戦を支持して、そこから世界革命へという展望をもった。毛沢東もそういうことを語っていた。

65年9月の『人民日報』に林彪論文「人民戦争の勝利万歳」が出る。農村でゲリラ闘争をやって、都市を包囲して勝利した暴力革命、武力闘争を教訓として、人民戦争を世界に拡大する。中国やアジア、アフリカ(農村と見立てる)が、アメリカやヨーロッパ(都市と見立てる)を包囲する人民戦争をやる、と。中国は世界革命の兵器工場となって、武器を世界中にばらまくと毛沢東は言っている。凄まじいアジテーションですよ。我々は「革命を押し付けない」けれども第三世界が武器を欲しがるならば供給する、が彼の立場だった。正式な外交ルートを壊して、ゲリラとだけ連帯するという流れがあった。その結果、中国はある意味で孤立し、したがって外交的な調整をやらなければいけなくなった。いずれにしても、ベトナム戦争を核心とする世界革命をやると中国が煽っていたことが重要です。これは文革の国際的な側面です。

そういう状況に対応できる中国国内の体制を作らなければいけない――革命派が奪権闘争をやって人民が権力を握るという筋書きだった。

日本では国際情勢にも刺激されて、中国社会主義の夢に共鳴した、しばらく経つと武闘でたくさん死者が出た、さらに毛沢東の後継者と言われていた林彪が事故死する事件もあった。東大闘争も終わって内ゲバの時代になって運動を担う人もいなくなった。活動家やインテリたちの世界においても、大やけどだった。支持して鼓吹した結果、厳しい現実を突きつけられて、土屋さんがいう思考停止に陥ってしまう。

私自身は中国を研究すると決めていたから、それからずっといろいろ資料を読んでいた。86年の文革20周年の時は、胡耀邦が中心となっていた鄧小平の改革開放が進みつつあって、文革の資料がたくさん出てきた。それを踏まえて『文化大革命』を書いたのが89年10月です。

土屋さんが注目する林昭について言えば、彼女は自己批判を強要されても、それを拒んで68年4月に反革命分子として銃殺され、親に銃弾代が要求されたと書いてあった。この話には驚きましたね。だから『文化大革命』にも数行ですけれど、彼女について触れました。同じ年に天安門事件がありましたね。
歴史を断ち切らずに中国を見る

土屋
林昭のことについて指摘しなければならないのは、文革の非人間性でしょう。天安門事件後、逮捕された劉暁波が裁判で林昭のことを取り上げています。劉暁波の考えの背後に林昭といった反右派・文革世代からの脈々たる精神があることを日本では誰も指摘していない。だから、今は一歩深く入ったところから文革を考え直さなければいけないと思うんです。
矢吹
天安門事件で民主化を求めた人たちの一部は文革でもっとマシな社会主義を作ろうと動いていた人たちです。劉暁波は当時、コロンビア大学で研究していたけれど、学生たちが立ち上がったということで研究を途中で放棄して中国に帰ってすぐにハンガー・ストライキ(絶食抗議)運動を起こした。このまま行くと大変な流血の事態になるという危機感から、戒厳部隊と交渉して、学生たちを説得して引き上げさせた。劉暁波が死ななかったのは彼の説得がうまくいって、広場の無血開城ができたからです。そのことを日本の新聞は一切書かない。逆に広場の虐殺だけを書く。劉暁波がノーベル平和賞をもらっても、劉暁波が一体何を考えて、なぜハンスト行動をとったか、彼が生き延びられたのはなぜかさえも追究しない。肝心なところは何も報道されていない。それが日本の実態ですね。
土屋
そのため、70年代以降に中国のことを考えようとした人は脱政治化の方に流されてしまった。矢吹先生の考えには、今日はお話しいただく時間がありませんが、経済学の観点が強くありますね。80年代にソ連、東ヨーロッパの社会主義国は倒れてしまって、現在では社会主義なんてことを言う人はいないわけです。ところが、文革の頃に遡って社会主義に対する反省、また毛沢東が行った反省の中から、改めて社会主義の可能性を再評価していいのではないか、ということですね。
胡傑・艾暁明監督作品『紅色美術』より
矢吹
そうです。そこまでは戻ってみるべきですよ。そうしないと、毛沢東が49年革命では成功したけれど、その後に権力をとってからアタマがおかしくなって妄想にかられて行動したという話にならざるをえない。毛沢東は決してアタマが狂ったわけではなくて、ものすごく夢を語っている。ただ実際には実現できなくて大失敗に終わっている。
土屋
矢吹先生の考えには二つの側面があると思います。一つは経済の関係から社会主義をもう一度考え直す、その時に文革で行われた実験というのをもう一度考え直すことができる。もう一つは、文革で毛沢東が呼びかけた造反、その魂みたいなものが天安門事件までずっと繋がっている、と。
矢吹
しかもそれが今も民主派の中に繋がっている。ただそれを中国にいる人は公然と言えない。文革を肯定すると言った途端に、政治的なタブーからはみ出ることになるから言わないけれど、彼らを突き動かしているモチベーションは、官僚支配の打倒というか、中国の社会をもっと良い社会にしないといけない、ということでしょう。ただ民主化を、という抽象形でしか表に出てこない。
土屋
『文化大革命と日本』は文革当時の文集ですけれど、『アジア遊学』では現在を基点に考えている。例えば、及川淳子さんの論文は、現在の知識人が文革をどう考えているかという観点から入っていく。これがいいんです。文革を現在の中国人がどう考えているか、つまり受容の方向から考えようとする。当時の人たちがどうしてそう考えたかだけでなく、現在の問題として考えています。
矢吹
中国では政治的な制約やタブーがあるから、かえって問題の所在を考えなければいけない、というのはまったくそのとおりで、今に始まったことではありません。魯迅を見ればわかるように、彼は生まれてから死ぬまでそういう問題に悩みながら書き続けた。読者も問題意識を共有していた。中国は歴史的な、政治的な矛盾を抱え、その中でどう生きるかという問題意識が否応なく脈々と引き継がれてきている。ところが日本はその点が薄っぺらだ。戦争で負けて、その後は軍事、政治のことは考えないでひたすら経済成長をひた走った。バブル経済がだめになって20年間の思考停止です。
土屋
日本人には自由に発言してもいい言論の自由があるはずだけれど、今みたいな状況になっちゃう日本。強力なイデオロギー操作をされていながらも民間でいろんな活動をしている人たちがいる中国。2つを比較してみると、日本は中国の人々に学ぶべき点がたくさんあると思います。
矢吹
言論の自由や報道の自由ということに関して言うと、中国は明示的に統制されている。その中で良い情報を取り、良い分析をするかを必死になって努力している。日本は逆に、報道の自由、言論の自由があると思い込み、新聞には真実が書いてあると誤信している。
土屋
60年代の日本人も、中国共産党の毛沢東と大衆は一緒だと思っていた。ところが文革を研究してみればそうではない。造反派は共産党と一緒だったわけではない。ところが、日本人は今でも共産党と人民が一緒だと思っている。現在の中国でも明らかに、共産党と大衆の懸隔はすごく大きい。我々が見なければいけないのは民間の中国であって、共産党や政府と切り分けて考えなければいけない。その辺りを考えないで文革を見たのでは、相も変わらず文革は共産党内の権力闘争だという思い込みから出ることはできないですよ。
中国はどこへ行くのか

矢吹
社会主義のことをもう少し話したいと思います。ソ連は潰れたわけですね。中国は社会主義市場経済と言っているけど、その中身は社会主義とはあまり関係ない。資本主義そのもの、あるいは私は「ワイルド・キャピタリズム」、荒っぽい資本主義と言っている。今は共産党が権力を握っているから、共産党としては社会主義と言うけれど、私は国家主義、国権主義という政治権力だと認識しています。中国は、たまたま鄧小平が市場経済を密輸入して、経済を発展させたから、共産党の政治支配が潰れることはないが、社会主義をうまくやっているから残っているとは考えていない。毛沢東が批判しようとした官僚たち、あるいは官僚資本主義が復活してそのまま残っているというのが今の政治体制だと考えているから、いずれは民主化の方向に向かうのは間違いない。ただしそれを急に進めて、政治権力自体が崩壊して無秩序になると中国はもっとひどいことになる。そういう意味では、習近平が政治権力を保持しながら、経済発展させれば、格差が広がるけれど、下の方にもそれなりに恩恵がいきわたるのも事実でしょう。

毛沢東の考えたあるべき社会主義という点から言ったら今の中国の姿は全然違う。しかしだからと言って、毛沢東の公式に照らして批判しても始まらない。中国の現実は、そういう政治体制が必要だから存在していると見るしかない。その先を展望するためには、中国の社会がどういうふうになっていって、今の格差やその他の矛盾がどういうものなのかを具体的に分析するしかない。歴史的に見れば、ソ連が潰れたのと同じように一党独裁の中国もいずれ潰れるのは間違いない。
土屋
習近平は、江沢民、胡錦濤と比べて、毛沢東色が結構ありますね。彼の力は、当初は過小評価されていたけれど、今となっては相当の力があると思っていい。そうすると、江沢民、胡錦濤の20年の空白のような時代と違って、毛沢東的な考えで新しいことをやるような気がするんです。というのは、鄧小平は改革開放をしたんだけど、彼には引き締めの理論がないんです。毛沢東は緩みが生じると革命をやる、つまり文革は何回もやるという永続革命を唱えていた。習近平も長いスパンでみると、永続革命論的な考えをもっているんじゃないでしょうか。それによって共産党の延命を図るというような考え方じゃないでしょうか。
矢吹
そう言ってもいいんでしょうけど、習近平が今までやってきたことは、江沢民と胡錦濤の20年間にあまりにもひどい状況が生まれてしまった、これをなんとかするということですね。政治改革をやらないで金で解決するということをやってきたのは江沢民の責任です。軍が腐敗してしまい、将軍を選抜する時に上将ポストを金で売るようなことまでやっていた。とんでもない話です。ここまで腐敗してきて、しかもそういう勢力、周永康や薄熙来に代表されるグループによって、自分が打ち倒されかねないから、潰される前に反撃した。この反撃した実力を私は評価している。
土屋
鄧小平は文革を経験したから改革開放を徹底できた。文革がなければあそこまで改革開放をやろうとは思わなかっただろう、と言って、それを文革の歴史的意義とみる人がいますね。そうすると、鄧小平は文革の反省に立って、ただひたすらに改革開放の方向に行くことしか考えていなかったということなのか。そうではなく、大躍進、人民公社が失敗したのはまだ経済力がない段階で共産主義に移ろうとしたからであって、ちゃんとした物質的な基礎があれば、社会主義、共産主義の方に行く可能性があったのではないか。それが中国の道なんだと鄧小平が考えていた可能性はないですか。
矢吹
鄧小平はそう考えていた。最近、そういう鄧小平論が増えている。文革の時は鄧小平小平は押さえつけられていて、毛沢東が死んだから、自分のやりたい白猫黒猫論(教条的イデオロギーにとらわれない生産向上政策)をやったと一般的には言われてきた。ところが、毛沢東時代の鄧小平は毛沢東の一番忠実な部下として頼りにされていた。彼は若くして党の総書記に抜擢されてエネルギーも知恵もあった。人民公社を作る時だって、周恩来は日和っていたけれど、鄧小平は毛沢東についてどんどん進めた。だから彼はそれが飢餓をもたらしたことに気付いた時はすぐに白猫黒猫論を言い始めた。その後、紆余曲折があるけど、毛沢東の懐の中で現場指揮をやったから、鄧小平は一番問題の所在がわかっていて、改革開放に転じた。
土屋
習近平の父親習仲勲は鄧小平に近かったんじゃないでしょうか。つまり習近平は、父親の遺志として、時期が来たら社会主義的な社会に移行すべきだと考えているのではないか。例えば、今回は腐敗している連中を虎狩り(腐敗根絶のための高官処分)したけれど、ああいうことを継続的にやるということが重要なんだと。
矢吹
私は無理だと思う。鄧小平は百戦錬磨だけど、それに比べたら習近平はどうでしょう。いろいろと考えるだろうけれど、思い通りにはならない。

中国経済は今や世界経済の中に組み込まれている。弱者が組み込まれたのではなく、大国として組み込まれている。責任がすごく増えた。中国が負えないような分野まで責任が追いかぶさってきているのが現実ですね。世界経済、あるいは世界政治の中で中国はどうふるまえばいいのか。本当に力があれば簡単だけれど、力はそれほどではない。そういう中でアメリカや他の国を相手にどうするのか。
土屋
矢吹先生は経済の面から話されるけれど、私は文化的にも同じだと思うんです。文化は少し遅れてくると思うんですが。例えば、科学や人文学の最新の研究成果が、今は多くがアメリカから出ていますが、そのうち中国からどんどん出てくるのではないか。それを私たちは受容していかなければいけない。そういうことが近い将来起こると思います。
矢吹
それは間違いないでしょうね。 
この記事の中でご紹介した本
文化大革命を問い直す/勉誠出版
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