丸山真男×埴谷雄高×加藤周一  一年の後十年の後 ――黄金の60年代か危機の60年代か 『週刊読書人』1960(昭和35)年1月1日号|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年2月24日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第306号)

丸山真男×埴谷雄高×加藤周一 
一年の後十年の後 ――黄金の60年代か危機の60年代か
『週刊読書人』1960(昭和35)年1月1日号

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1960(昭和35年)新年号
4-5面
朝鮮戦争ではじまった一九五〇年代は、月ロケットとアイク-フルシチョフ会談でその幕を閉じた。過ぎ去った十年間、平和は細い一本の糸でかろうじて支えられていたといえる。
そしていま、世界史の歩みは一九六〇年代に入った。これから迎える十年間は、戦争か平和か、危機の時代か黄金の時代か-そこには、今日に生きるひとりひとりの責任が問われる大きな問題が横たわっている。新しい年を迎えて、本紙では、向う一年間と向う十年間という区切りで、六〇年代の展望を埴谷雄高(作家)、丸山真男(東大教授・政治学専攻)、加藤周一(評論家)の三氏に話し合ってもらった。
第1回
ISの存在が我々の社会に突きつけるもの

宮台 
 僕は本書の帯文を書きましたが、本の全体を反映させようとして、情報量が膨大なので苦労し、「テロの戦いというが、テロリストと我々は区別できない」というエッセンスを取り出しました。今日は全八章からなる本書の要点を各章ごとに押さえてトークしつつ、不寛容さに覆われた昨今の社会を克服する方途を考えてみます。

第二章「すべての歴史は修正(リヴィジョン)を免れない」で書かれた内容をご紹介いただけますか?
真鍋 
 まずこの章で触れた明治維新直後の日本で起きた廃仏毀釈運動では、どういった排除が具体的に行われたのか、あるいは国内のキリスト教徒に対する度し難い弾圧の事実をみなさんに知っていただきたかった。そのために導入の見出しを「近代日本は「イスラーム国」だった?」といささか刺激的な題をつけています。

ではなぜ、国家規模でこのような暴力的な行為がなされたのか。明治政府は旧態の幕藩体制を一新するために、古代史上に存在した、天皇を戴く神聖国家を現代に蘇らせようとしました。その過程で生じた社会の軋轢が一つの要因なんです。
宮台 
 この章に限らず、聖なるものを掲げて統治を正当化するシオクラシー的要素がどんな国民国家にも不可欠で、それゆえに国民国家にとって、事実の粉飾や、聖性が正当化する暴力が、不可欠になると書かれています。見ず知らずの人を「仲間」と思うには、事実を超えた聖なる物語とそれに基づく行動が必要です。かつての枢軸国だけでなく、連合国=市民革命側であれ、自らは他よりも尊いものに属するとの観点に立ち、異分子を排除・搾取してきた。それが植民地支配でした
真鍋 
 私はこういった国家ぐるみの排斥の歴史を、ISが行っている宗教的不寛容さを背景にした暴力と結びつけました。彼らが現に行っている組織的な暴力行為は、私たちと違う世界の話として片付けられないのではないでしょうか。
宮台 
 真鍋さんの直裁な物言いを噛み砕くと、遊動集団では一五〇人が仲間の上限数、定住集団では匿名性が生じない上限が二万人なので、数百万から数億人規模の国民国家は仲間じゃあり得ない。ゆえに「歴史=聖なる物語」の共有による粉飾と隠蔽が必要になる。それは「史実」を裏付けとした壮大な聖なる物語の形をとる。聖なる物語が国家に所属する意味を見出させ、仲間意識を喚起させる。それを自覚する統治権力は、近代以降も、国家正史の創作を、史実に脚色を粉飾しつつやってきたのだ、と。
真鍋 
 ISもバックボーンとなる歴史を重要視しながら、神聖なる物語を作り上げて賛同者を募っていましたね。
宮台 
 だから、この章を読むと、ISと僕らが実によく似る事実を思い知らされます。彼らがここ数年行なってきた国作りにおける暴力とその正当化は、僕らの国家がやってきたことのトレースです。
真鍋 
 彼らの存在は我々の過ちの記憶のプレイバックであり未来にも繋がる問題であるとの示唆なんです。
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