『週刊読書人』1962(昭和37)年 1月8日号 1面掲載 「雪国の春」紀行など 柳翁新春清談 中 旅の話|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年3月10日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第407号)

『週刊読書人』1962(昭和37)年 1月8日号 1面掲載
「雪国の春」紀行など
柳翁新春清談 中 旅の話

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柳田 国男氏
写真は東京・成城町の自宅で
明治三十五年の二月に私は法制局の参事官になった。

その頃は、政府と政党がよくもめていたので、議会の解散が多かったのである。法制局にいる私たちの仕事は、議会に提出する材料や資料をそろえて用意することであったが、議会は間もなく解散するということは早くから分っていたのである。

議会が解散してしまうと、また翌年の臨時議会が開かれるまで何の用事もない。法制局はふだんは忙しいものだから、そういう時に、その代償に旅行でもしてこないかと旅費まで出してくれるのであった。そんなことが三年ほど続いた。私は書物に恵まれたことも幸福のひとつであるが、またこうして旅に出られたことにも恵まれていたのである。

一番長かった旅は北九州を歩いた時のことで、五島列島にも渡ったが、これは百日ほど歩いた。その頃は一年の四分の一ぐらいしか家にいなかったという年も多くある。

旅をするといっても、ワラジの時代であった。宿屋の番頭から、旅のすれっからしか、まだ旅なれていない客かはワラジの脱ぎ方を見ればすぐに分るというような面白い話を聞いたこともある。旅から帰ってきて、友人や新聞記者に「へえ、君、あんなところまで行ってきたのかい」などといわれるのがうれしくて、人があまり行かないところばかりを狙って歩いたこともあった。台湾のすぐとなりにある与那国島へ渡った時は、もう役人をやめて後の旅行だったが、最も得意なものであった。

今度、筑摩書房から刊行される私の本の第一回目は「雪国の春」を含んだ旅の話の集であるが、「雪国の春」を歩いた時は、私も役人をやめ、これからは思う存分に旅に出られるとすこぶる張切っていた時であった。慶応の松本信広君と出かけた行き当りばったりの旅で、道がなくなると、私より足の強い松本君は、「今度はどっちへ行きましょうか」などといって軽々と丘陵の上に登って行き、「あっちにしましょう」などといって、足の向くまま気の向くままに東北の海岸を歩いたのである。それが「雪国の春」の最初の旅だったが、当時は五万分の一のちずなどなかった時代だった。苦労も多かったが、楽しいゆかいな旅でもあって忘れられない。松本君とは青森あたりで別れ、私は津軽の方まで行ったのであるが、松本君がその時の思い出を今度の私の本に寄せて書いてくれたというので、私もそれを続むのを楽しみにしている。

宿屋の思い出も沢山ある。忘れられないのは、九戸の小子内にあった清光館という宿屋だった。私はその宿屋のことを「清光館哀史」というタイトルで大正十五年に「文芸春秋」に書いてもいるが、清光館とは名ばかりで、なるほど眺める月夜は美しいのだが、宿屋の汚いことといったらお話にもならなかった。

旅は大分したが、しかしもう行かなくなってからの方が久しいので、鼻うごめかして話をするようなこともない。「雪国の春」や沖縄のことを書いた「海南小記」の頃はハイピッチというか、自分の生涯のうちでも一番油の乗りきっていた時代であった。だから思い出も深い。

そんな中で、沖縄だけはまだ未練がある。近著の「海上の道」も沖縄のことを書いたものであるが、もし、もう一度旅に出るようなことがあれば私はやはり沖縄に行きたいと思っているのである。島に生れ、島に育ったおばあさんたちと膝をつき合わせて、もう一度話をしたいものだと思っているのであるが、しかし、今は五人のうち三人は新しいことを知ろうとしている人たちだから、もう私などが知りたいと思うことを覚えている人はいないかも知れぬ。

戦後の旅で思い出されるのは東京から氷川丸で北海道へ講演旅行に行った時のことである。昭和二十二年のことではなかったかと思うが、久米正雄、小林秀雄、川端康成君などといっしょの出版文化の講演旅行で、私と長谷川君(如是閑)は一行とだいぶ年がへだたっていたので特別扱いされ、一部屋に老人たちは押し込められてしまった。その時、二人でたしかタヌキとムジナは同じか違うかという話をしたことを嘉治隆一君が偶然廊下を通って聞き、どちらがタヌキかムジナか分らないと話の種にしていたそうである。私は後に「上毛民俗」という地方の雑誌にこの時のタヌキとムジナの話にふれて、この二つの動物の話を書いたことがあるが、私たちが部屋に押し込められたのは、河上徹太郎君と中村光夫君が酒の上でけんかをはじめたので老人には聞かせたくないので部屋に押し込んだというのである。嘉治君がその時の話を詳しく知っているらしいので、ぜひ何かに書いておいてほしいと思っている。

戦後は近いところには大分出かけているが、京都以西へ行ったことはない。昭和十六年、九州の旅を終えて門司の埠頭に立って、もうこちらにくることもないだろうと思った時には、感無量だった。当時六十七歳だった私であったが、思えばあの時から二十年の歳月が流れているのである。(やなぎだ・くにお氏=民俗学者)
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