久野収×神島二郎×山田宗睦  ‘63年論壇への提言 ――知識人の主体性の確立を求めて 『週刊読書人』1963(昭和38)年1月1日号|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年3月17日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第456号)

久野収×神島二郎×山田宗睦 
‘63年論壇への提言 ――知識人の主体性の確立を求めて
『週刊読書人』1963(昭和38)年1月1日号

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1963(昭和35年)新年号
2-3面
平和運動論、構造改革論、大学の自治論などを含めて、言論の自由の問題が大きな底流となり、思想生産の場の確保が痛切に人びとの意識にのぼった昨年は、また論壇はどこにあるかが問われた年であった。年の初めに、ジャーナリズムの機能と知識人の態度に深い注意を払っている久野収、神島二郎、山田宗睦の三氏に、「一九三六年論壇への提言」を行ってもらった。(編集部)
第1回
論壇と学界の分離化 乏しい”曲がり角”の問題意識

知識人論

山田 
 去年ほど、論壇のテーマが、実際に日本の社会の中でいろいろ行われている思想史的な底流と結びつかなかった年は珍しいんじゃないか、という気がするんですよ。

だから、たとえば右翼のほうで明治維新論の特集を『新勢力』という雑誌が二度にわたってやっている。それから、大衆文学の中で、時代小説の取材範囲が、明治維新に非常に近接してきている。死んだ吉川英治なんかが、次の仕事として明治維新を考えていたわけでしょう。『中央公論』が、この明治維新を取上げたが、取上げ方は弱い。論壇は問題を先取りする能力がなかったということになると思うんですね。

それから、もう一つの例をあげれば、探検記、旅行記の場合も同じわけで、世界的な日本人というのが戦後の日本人像なんだという指摘が、加藤周一さんなんかから出て、それで「日本読書新聞」で江藤文夫氏が「世界一周の思想」というのを書いたわけですが、ぼくは非常にあれを買っているわけなんです。だけど、それはミニコミの中でただ一回行われたきりであって、小田実君をはじめとする新しい作家、新しい世代の人たちがそういうことをやっているにもかかわらず、論壇はそれをすくいあげ得なかったということで、どうも思想史的な底流と論壇のテーマの設定の仕方とが、甚だしい断絶を示していたと思うんですよ。だから、運動に直接かからっていてどうしても出さざるを得ない、大学管理法の問題その他を越えてなかったんじゃないか、という気がしますがね、どうですか。
神島 
 そうですね。大学管理法とかキューバ問題とか、状況上強制されたもの以外に、自分からつかみ出した問題はない。前からの惰性みたいなもので取り上げたものはあってもね……。その点、アカデミズムの中でも、継続して、バトンタッチしながらフォローしたテーマはない。何とはなしに、何か新しい問題を探らなければならないということはわかっているけれども、どうして探っていいかわからない。各人勝手に、バラバラに、または場当たり的に追いかけているようなところが見えるわけですね。
山田 
 だから、『エコノミスト』の一月号に、大熊信行さんが、「経済と人間」――人間投資論の問題を書いたわけです。ぼくは、あれは比較的いい問題提起だったと思うんですけれどね。――人づくりといったようなことが、為政者のほうからは出ているわけでしょう。そうすると、当然、人づくりの問題をめぐって、論壇がそれを先取りしてきて論じてしかるべきだた、と思うんです。ところが、最初に大熊論文が出て、非常にタイムリーに出たにもかかわらず、その問題が論壇の中で精力的い追求されたとはいえないですね。そこでおしまいになっちゃっている。だから、散発的にいいものは出たんだけれども、何か論壇的な形成という点では、いかなかった。
神島 
 その点から言えば、雑誌の編集部はみんな、何かすくんじゃったようなかっこうで、のびのびと問題を掘りだして追求するような発想ができなくなって、もっぱらあぶなっけないところをソーッとなでていこう、というようなところがありますからね。
久野 
 しかし、ぼくはね、出版界の状況、編集者の姿勢に先立って、戦後とにかく十七年たって、差しあたり目の前に安定的な空気ができてきて、その結果、アカデミズムとジャーナリズムとの戦後十五年ほどの間の一種の混合による生産様式、アカデミズムの最良の分子のジャーナリズムでの発言力、ジャーナリズムの訓練を積んだ人の、アカデミズムへの問題の投げかえしという状況、そこには欠陥もあったけれども、相互が刺激的に働けるような状況が相互に分離してきたのではないか。その結果、山田さんの話にもあったように、池田首相の
ヒューマン・リレーションズとか、人づくりとか、生産性の向上というスローガンに対して、ほんとうにそれの意味を評価した上で、アカデミズムから見た場合、いい社会、いい国家とは何かというイメージ、ジャーナリズムから見た場合の、いい社会、いい国家とは何かというビジョン、そういったものが立ちおくれているんじゃないですか。

社会主義なり資本主義を論ずる場合、もっぱら生産力の向上という見地からだけ論じられたので、人間同士が相互に疎外しあわないような、人間関係をどういうふうにつくるかということは、少なくとも池田さんに言われるまでもなく、新しい社会なり、いい社会の生産力の向上と見合って、一つの柱でなければならんはずですね。ところが、そっちのほうのイメージは、これまで全然出されていないわけですよ。池田内閣にいわれる前に、論壇はすでに、いい社会における人間、人間をよくする社会の問題を出していなければならない。新しい人間関係を築いていくためにはよほど決断がいるという丸山真男君の判断などを含めて、こちらからいえば、人間づくりの問題でおくれをとっている。問題が消極的にしか取りあげられなかったというのは当っているんでしょう。

さて、しかし、論壇の状況とか、編集者の態度だけに問題が帰せられるかといえば、そうではなく執筆者なり、運動家なり、アカデミーの研究者なりのほうに、新しい状況への曲がり角に来ているんだという問題意識が乏しかったという点も、反省しなきゃならん面があるんじゃないか。
神島 
 たしかに、そう言われれば、執筆者の問題意識もおかしいんじゃないかといえそうですね。戦争直後は、われわれの前に立ちはだかっていた天皇制というイメージがまだ残っていて、そいつに立ち向かっていけばいいんだという気持ちがあって、そういう緊張感からやっていけた。そういう考えかたを助けていたもう一つの事情は戦災の窮乏で、そのためそれで事がたるんだという印象を人々に与えていた。ところが、生活状況が一応回復してしまう、そして体制が変って新しい体制がまがりなりにも成りたってしまうと、古い天皇制のイメージはどうしてもかげがうすくなってくる。そういう状況の中で、一応経済的な発展がここまで来てしまうと、いままでのように、どっかの国の学習をやっていれば何とか解決するというように考えることはもうできない。やるとすれば、外国から学習してもらわなきゃならないようなものを打ち出すよりほかはないところまで来ているんだ。
久野 
 ナショナリズムであるかないかは別として、日本を主体にし、日本を正面にすえて問題を考えていかなければならないところに来ているわけですね。ところが論壇及びアカデミズムの側では、日本を主体に物を考えようという態度は少し後退したんじゃないか。むしろミニコミとか、若い人々の間には、そういう考えが、感情的であるけれども、うっせきされてね。小田実君の『アメリカ』とか、『何でも見てやろう』とかは、そのみごとな表現でしょう。ぼくは、日本を主体に考えることが必ずナショナリズムになるとは思わないんだ。ナショナリズムも含むけれども、もっと違う日本の主体もある。インターナショナルな視点で日本の主体を考えていく場合もあると思います。日本を主体に考えるというのは、むしろ池田内閣や自民党のほうにそういう議論があって、日本は、アメリカを主役にすれば非常に有能なワキ役として日本の主体をはたせばいい、すべての問題をそこから考え、そこから提起し、そこから展望を求めるんだというほうが、どうも優勢になってしまったような気がするんですがね。それを相手とする主体の立場は、抽象的に考えられても、具体的には非常に出にくかったんじゃないかと思うんです。
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