桑原武夫×堀田善衞  日本文化の座標 アジアと西欧へ開かれた特異な窓 『週刊読書人』1959(昭和34)年 1月1日号 2面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年3月24日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第256号)

桑原武夫×堀田善衞 
日本文化の座標 アジアと西欧へ開かれた特異な窓
『週刊読書人』1959(昭和34)年 1月1日号 2面掲載

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第2回
未来の二つのイメージ “死にたくない”と“生きたい”と

桑原 武夫氏
編集部 
 そうすると今でも外国に行って、異質の要素のあるところを見聞するということは、日本文化論をする場合に、一応前提みたいになるということになるでしょうか。
桑原 
 それは海外に行かんでも、えらい人はわかるだろう。われわれ下根のものは海外に出てくると、はっきりすることはありますね。それに、やっぱり人間は経験しなければ、実際を見て、実際そこで行いをしてみなければものがわからないというほうが、ぼくは正しいと思っていますから。

編集部 その場合、イギリスとかフランスとかに行くか、パキスタンとかインドとかに行くかというので、相当、日本文化に対する考え方に違いがでてくるのではないでしょうか。
堀田 
 そうですね、私は中国で二年生活をして、インドへ行って、それからもう一遍解放後の中国へ行って、ソビエトへ行って、それでパリに行ってみて、つまりフランス文学などというものを勉強して、ヨーロッパへ一遍行きたいと思っていて、ドサ回りを経てあそこまでやっと到達した。それで、パリにいていろんなことを考えさせられたわけですが、後進諸国にもわからないことは沢山あるけれども、これはつまり未来へわたってわかって行くようになるであろうという感じを持ちますね。これから時間が経って行くに従って、おれにはわかってくるであろう、今ここでわからないことも……。パリではここでわからないことは、これから時間がかかって、未来に時間が発展して行っても、おれにはやっぱりわからないかもしれない。わかっても納得しないかもしれない、そういう感じを持ちましたね。
桑原 
 なるほど。イギリスとかフランスというのは、固まっているんだね。自分の形とかそういうものが割合ビシッとしているから。日本なんか、しょっちゅう、明治以後なんか動いていましてね、ですから、向うの古典主義なんていうものは、本当はなかなかわかりっこないんです。
堀田 
 それから、フランスのことも非常にわからなくなりましたけれども、あのパリという街は、見ていてつまり完璧な都市だと思いましたね。森有正に引っぱって行かれて、十一世紀の建物を見せられましたが、大体あの生活は十九世紀から同じことをして暮しているんじゃないでしょうかね。それであれは変えたくないわけでしょう。
桑原 
 そうです。だから堀田さんのテーゼにある「死にたくない」という思想ですね。
堀田 
 それから、あの街はどうしようという悩みも根本のところではないわけじゃないでしょうか。もしそうだとすると今の現代の世界で一番妙なことになっているというか、一番はっきりしている問題は、ヨーロッパが未来というものに対して持っているイメージと、後進地域が未来というものについて持っているイメージ、これが一番食違っているんじゃないでしょうか。それでヨーロッパというのは、つまりヨーロッパの人たちというのは、未来についてどういうイメージを持っているかということは、ぼくはまったくよくわからないですね。
桑原 
 それはあなたの言った通りじゃないかな。死にたくないんだから、未来のイメージというのは、現在のイメージを向うに持って行くだけのことでね。ただ現在を未来に残そうとすれば、原爆が落ちちゃ困る、社会革命も起っちゃ困るということは考えるでしょうね。そういうことは考えるけど、どう切替えるということはないですね。アメリカのほうは新出来の国ですから、これはありますわね。それからアジアの諸国というのは、実現するかしないかは知らんけれども、変えて行こうということがあるわけですから。ぼくはものを変えて行こうという人間のほうが好きなんだ。人間としての冒険があるわけだからね。ですからそういうことを考えると、われわれが、つまりアジアなんていうところを考える時にですよ、われわれの考え方というものが、西洋人の考え方と違ってくるのがあたりまえだと思うんです。違って来なければおかしいわけですがね。
堀田 
 それから、もう一つ。そういうヨーロッパの先進地域というものと、後進国との違いの問題のなかで、こういうことがありはしないか。ヨーロッパは、近代文明一般を作り上げてくれるのには、やっぱりずいぶん苦労していると思うんです。近代文明の所産というものの裏には、いろいろ歴史的な因縁が層々と重なってある。だからヨーロッパの人は、つまり自分たちないし自分たちの仲間が作り上げたそういうものを見た場合に、物としてであると同時に、長い苦労と因縁を、その物の背後に見ていると思うんですね。

ところがたとえばトラクターならトラクターを、アフリカのジャングル、アラビアの沙漠にでも持って行くでしょう。持って行くと、行ったその場で、ヨーロッパの長い間の苦労と因縁が、そこで消えちゃうと思うんです。そして、物それ自体になる。そうすると、今度は西欧の人たちは、日本人でも、アラビア人でも、背後の苦労や因縁ぬきで使いこなすということが、うまく納得できないんじゃないかと思うんですね。それから納得したくないということもあるんじゃないか。
桑原 
 それはつまり、自分のおじいさん、ひいおじいさんが作ったものを、スポッと持って行って使っているのは、何かずるいような、軽薄のような、模倣だとか……。しかし科学とか科学機械というのは、模倣できるところが特色なんでね。作ったほうが運が悪いんだよ。作った以上、よそに使われるのはあたりまえなんだから。
堀田 
 現代文明というものは、進歩すればするほど、だれでも使えるようになるようなものだと思うんですね。だれでも原理とか、あるいはいろいろの因縁なんかを知らなくても、運用できるはずなんだ。ラジオだってテレビだって。機関銃だって。しかもそれが運用できるということが、今度はヨーロッパの人にはおもしろくないだろうと思いますね。
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