桑原武夫×堀田善衞  日本文化の座標 アジアと西欧へ開かれた特異な窓 『週刊読書人』1959(昭和34)年 1月1日号 2面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人アーカイブス
更新日:2019年3月24日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第256号)

桑原武夫×堀田善衞 
日本文化の座標 アジアと西欧へ開かれた特異な窓
『週刊読書人』1959(昭和34)年 1月1日号 2面掲載

このエントリーをはてなブックマークに追加
第4回
知識人の責任と自覚 “急ごしらえ”の時期は過ぎた?

桑原 
 日本は今だけじゃなく、太古から比較的ヌルマ湯的だったのじゃないですか。きついことが少ないですよ。歴史の上に疾風怒濤が少なくて、サザナミが立っているだけでね。万世一系ということがその証拠です。
堀田 
 それからまあ、さっきいったようなヨーロッパの人が発明をし、その発明の背後にいろいろと歴史的な因縁やら苦労やらがひそんでいるものが、日本よりも後進地域で使われると「何じゃこれは」と、本当にそれが使い得ているというふうに納得しないという、やっぱり優越感の一つだろうと思うんですが、それがやっぱり日本にも成立していると思いますね。そして日本の近代文明というものは、その点ではぼくはやっぱり相当ヨーロッパとパラレルなところにまで来ていると思いますね。

ところが、ヨーロッパと非常に違う点は、ヨーロッパは、たとえばパリという完璧な街に象徴されるように、そういう現状維持だけじゃ非常に困る点のほうが、日本は西欧と比べたら問題なく多すぎる。それからもう一つは、ヨーロッパは彼ら自身の努力もさることながら、それと同時に、それこそ遅れたアジアやアフリカを、非常に搾取して現状に達したわけですが、いろんなそういうことも含めてみると、本当にアジア・アフリカ、つまり後進諸国というものと強力――心から協力できにくい点があると思いますね。その点では日本は、つい近ごろ、つまり明治以後の経験ですから、アジア・アフリカ、いろんな遅れたところと努力できる立場にあると思う。
桑原 
 話がわかるところがあるはずですね。
堀田 
 それが西欧と違うわれわれの積極面だと思うんです。例えば日本はヨーロッパ地域であるというのに近い議論が先頃はやりましたけれど、その基本的な違いというのは無視されて、パラレルであるという点だけが唱えられるのは、あれはやっぱり人をあやまらせ、唱える人をもあやまらせる考えだと思うな。それでまあヨーロッパはね、心からの協力ができにくい立場であっても、現状を維持して行くためには、ヨーロッパはよりヨーロッパ的であるよりほかはないので、だからヨーロッパは、これからも非常な努力を続けて、やっぱり文明というものをどんどん発達させて行くだろうと思います。だから、今度の旅で私は、なるほど、死にたくないだけでは決してないということは、どすんとわかりました。
桑原 
 梅棹君がああいう説を出したということは、日本というものを大変文化的な後進国と見たがる思想が日本にあるわけですね。主として、西洋の学問をしたり西洋で知的な生活をして来た人は、日本は何もかも後進的だと思いたくなるそういう考えは一遍打破しなければいけない。そういう意味で梅棹君のやった仕事というのは大変意味があると思うんですよ。しかし日本がヨーロッパと一緒だということでは、もちろんないわけですね。日本が西洋を大変よく理解できる立場にあることも事実だが、しかし同時に、明治維新まではアジア諸国とあまり変らぬ生活をしていたんだからね。ですから自分たちが急ごしらえでやって来たということは、急ごしらえをしようという人の心理はよくわかるわけですからね。それはよくわかるし、もっとわからなければいけないんじゃないかと思う。
堀田 
 急ごしらえも大事だ、しかし、そろそろ急ごしらえでいい時期が終るということを、つまり日本のインテリ全体が確認できればいいと思いますね。そして急ごしらえの時期は終ったんであって、だから今度は、未来の日本のイメージというものを、何とかつまり日本のインテリ全体が、全力をあげて、これから形成して行くべき時に入るんだと思います。そういう時に一つの、たった一つの判断の基礎、たとえばヨーロッパ、ヨーロッパといってそれで行ければまあ、結局ラクですよ。しかしそいつは、それもやっぱり急ごしらえ用のものであってね、これからそれだけでもって妥当するものではないと思うんですね。何とも整理がつかないというつらさに我慢して行く、我慢力がこれから必要だと思うんだ。
桑原 
 日本の急ごしらえが終ったかどうかということについては、疑問があるんですがね。まだ急ごしらえを余儀なくされることが、恐らくあるんじゃないかと思いますね。しかし日本の未来のイメージを考えるということは、堀田さんの意見と同感だな。それを考えるのがインテリの任務だと思う。討論してできるようなものではないけれど、それを描き出すという心構えがなければ、だめですね。今何かこのままでいいような気になってしまっているけど、それはもたないな。日本の置かれている地理的な地位とか、資源とかね、人口の多さとか、いろんな日本社会を形成している諸要素を考えに入れて、日本的革命の方式――誤解を招くならば革新といってもいいですよ――それを考えることが大切ですね。
堀田 
 ぼくはただの小説家で本当は自分の小説の登場人物の衣食住とか、だれと恋愛してとか、そういうふうなことだけを考えていたいわけですけどね。しかしそういうことの全基礎に、今まで話したような問題が入って来ているわけですから、だからやりきれんなァとよく思うんですけれども、そういうことをも考えざるを得ないんでね。考えざるを得ないというよりも、そういうことから、登場人物の衣食住やら恋愛やら何やらが、面倒ないい方をすれば、基本的に規定されてくるという気持ちがしますね。
編集部 
 ただいままで何かこういうようなヴィジョンがあるからこれこれに反対だということは、あまり出なかったようですが。
堀田 
 ある人にとっては、ヴィジョンがあったからいろいろと反対をして来た、またある人にとっては反対をしてみてはじめて、これこれしかじかのヴィジョンが必要であるという第一段階に達した。だから、反対ばかりしているというのは、つまり反対の先にどういうものがうまれ、どういうヴィジョンがうまれ得るかと、そこのところまで考えている人が反対論者であればいいけれどそうでもなかったということが、ある種の弱さの表現でもありました。しかしもし日本のインテリの大部分が今まで賛成出来なかったものについて、もし全部ウノミにして来ていたら、どういう現在と未来が生じていたか、いるか、これは考えてみればわかると思う。
桑原 
 もっといろんな考えが、日本に出て来なければいけないと思うんですけどね。書いたり、しゃべったりする専門家みたいな人、これは分化した社会では当然でてくるものだが、何か問題があって、それについての意見というのが、いわゆる思想業者、文筆業者にかたよりすぎていると思いますね。問題があった時に、大会社の社長の意見とか、サラリーマンの意見とか、技術者の意見とかがもっと出て来なければいけないと思うんですがね。(おわり)

※本記事は当時の原文そのままを掲載しています
1 2 3
このエントリーをはてなブックマークに追加
桑原 武夫 氏の関連記事
読書人アーカイブスのその他の記事
読書人アーカイブスをもっと見る >
学問・人文 > 社会学関連記事
社会学の関連記事をもっと見る >