柄谷行人氏ロングインタビュー  普遍的な世界史の構造を解明するために  『世界史の実験』(岩波新書)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年3月1日 / 新聞掲載日:2019年3月1日(第3279号)

柄谷行人氏ロングインタビュー
普遍的な世界史の構造を解明するために
『世界史の実験』(岩波新書)刊行を機に

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第4回
「原遊動性U」

――『坂口安吾論』についてインタビューさせていただいた時、天皇制や歴史、無頼ということについて、「安吾から学んだ」とおっしゃっていました。柳田国男からは、何を学んだとお考えでしょうか。
柄谷 
 柳田から積極的に学んだということはないですね。気がついたら、柳田と同じようなことを考えていた、といった発見があったのです。それは、特に第二部「山人から見る世界史」で詳しく書いた論点です。柳田は、一貫して「山人」について考えていた。私は交換様式が成立する以前にある「原遊動性」(U)について考えたのですが、柳田がいう「山人」はそれではないか、と思った。つまり、柳田から学んだというより、むしろ柳田を発見したという感じです。

――「原遊動性」に関して、もう少し詳しくお聞かせください。
柄谷 
 元々人類は狩猟採集の遊動民でした。この「原遊動性U」は、人が定住することによって失われます。しかし完全に消えてしまうわけではない。必ず別のかたちで回帰してくる。交換様式A(贈与と返礼)、つまり何かを贈与し、それに対してお返しをする、互酬原理に基づく社会が形成される。そこではマルセル・モースがいったように、霊的な力が働いている。フェティッシュ(物神)といってもいい。

もちろん、それを「霊」と呼ばなくてもよいのです。フロイト的にいえば、それは「死の欲動」から来る、反復強迫的な衝動です。これについては、この本の第二部で論じています。しかし、「死の欲動」とか「超自我」とかいっても、物理的な実在ではありません。そこに働く力は、観念的な力、つまり、霊的な力と同じようなものです。

交換様式Aの後に、別のタイプの交換、つまり、交換様式B(支配と保護)とC(貨幣と商品)が成立します。簡単にいうと、Bは国家を、Cは資本を支える交換様式です。しかし、いずれも、Aに存する「力」の変形であるような力にもとづいています。つまり、Aが霊によるのだとしたら、BやCは、高次元の霊によるわけです。交換様式Cに基づく資本制社会でも、「霊」は残りつづけます。今、多くの人が、市場経済は物質的で合理的に動いていると考えているでしょうが、それは物神崇拝の極致というべきものです。

ついでにいうと、社会構成体は、A・B・Cの三つの交換様式の接合体としてあります。ただ、そのどれが支配的であるかによって、違ってくるのです。近代社会では、Cが支配的ですが、AもBも残る。そして、資本=ネーション=国家が形成されます。つぎに、A・B・Cを揚棄するものとして、Dがあります。これは歴史的には、古代に帝国が形成された時点で、東西アジアで、普遍宗教としてあらわれた。つまり、A・B・Cがそれぞれ霊によるものだとしたら、Dは最高次元の霊、いわば「神の力」としてあらわれたといってもよい。しかし、それはUの回帰なのです。

霊とか神とかいうと、宗教の問題だと思う人がいるかも知れません。しかし、この場合、重要なのは交換様式であって、それが宗教であるか否かは関係がありません。たとえば、世界宗教だからといって、Dであるわけではない。Dの要素はあっても、実際には、A、B、Cの面が強い。つまり、それは共同体、国家を支えるものであり、また、金をもうける手段でもある。一方、宗教を否定する立場であっても、Dがありうる。マルクスがいう共産主義は、そういうものです。

こういう交換様式の視点は、宗教の問題を考えるときに、重要です。たとえば、柳田は固有信仰を重視した。それは先祖信仰です。しかし、それは、普通の先祖信仰とは違う。たとえば、生きている者が先祖を祀り供養すると、祖霊が子孫を護るというのが、普通の先祖信仰です。それは贈与とお返しという互酬交換、つまり、交換様式Aです。ところが、柳田がいう固有信仰では、子孫がどうであろうと、祖霊・氏神のほうが子孫を愛し、面倒を見ようとするのです。それは交換様式Dと同じです。
一般に、先祖信仰は宗教の初期的段階だと考えられています。実際、その通りなのですが、柳田がいう固有信仰はDなのです。一方、世界宗教といわれるような宗教も、実際には、Aであり、Bであり、またCでもある。つまり、宗教によって、共同体を維持し、権力を支え、また、金を得る。だから、先祖信仰だからといって、未開的なものだということはできない。宗教の場合、それがどんな教義によっているかではなく、実際に何をしているかが重要なのです。
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