社会主義リアリズム 書評|ミシェル オクチュリエ(白水社 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年3月2日 / 新聞掲載日:2019年3月1日(第3279号)

社会主義リアリズム 書評
「国家管理」された文学・芸術
過去の「社会主義リアリズム」から現代を照射する

社会主義リアリズム
著 者:ミシェル オクチュリエ
翻訳者:矢野 卓
出版社:白水社
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文学や芸術は、人間が知性、愛憎、美醜観、死生観などの極致を求めて創作・創造する苦闘が結実した作品世界である。科学技術の発展で人間の感性と作風は変化し、文学も芸術も変化する。そのようにして生まれた作品を同時代人が鑑賞・観賞する。それは一種の消費行為だが、消費されても無くならないのが文学・芸術だ。何百年前、あるいは千年、二千年前に生まれた作品でも、人類が滅びない限り生き延びられる「古典」として存続し評価される。文学・芸術は人間の心身、とりわけ魂の創造物。言わば人間の営みの本質を描く作品群だ。ところが、その作風を時の権力が厳しく取締り、規制し型にはめる。封建時代はいざ知らず、20世紀前半から現代にかけて、そのような「国家管理」があった。それが、かつてのソヴィエト連邦で制度化されていた「社会主義リアリズム」である。

「歴史は階級闘争をもって革命的に進歩する」という史観に立つ文学・芸術の作風で、「プロレタリア独裁」(社会主義体制)に意識的に貢献した。ゴーリキーらのソヴィエト作家同盟の綱領で1934年に公式化されて「潮流」となり、作家(芸術家を含む創作者)は全体主義体制の管理下に入った。チェコの首都プラハに生まれフランスで学究生活を送ったロシア文学翻訳者である著者は、ロシア革命前夜期の芸術思潮から説き起こし、スターリン独裁期に焦点を当て、作家が置かれた状況を克明に描く。トルストイ、ドストエフスキー、パステルナーク、ソルジェニーチンらの評価の移り変わりは特に興味深い。

東西冷戦初期の46年、作家はあらためて共産党に従属させられた。スターリンは53年死去するが、社会主義リアリズムの潮流は91年末のソ連消滅まで続く。オロスコ、リベーラ、シケイロスらのメキシコ社会派壁画運動や、サルトル、ネルーダ、グアヤサミンら外国の多くの芸術家や知識人も影響を受けた。本書の訳者は、この潮流の日本人実践者として野間宏、花田清輝、安部公房を、批判者として吉本隆明をそれぞれ挙げている。

社会主義リアリズムはキューバやアジア社会主義圏に残存する。キューバ革命の最高指導者だった故フィデル・カストロは61年、同国の作家・芸術家協会で演説、「革命の内には全てがあり、反革命には何もない」と強調した。だがカストロが社会主義リアリズムを導入したのは、新共産党発足を経てソ連に接近した60年代後半から70年代半ばにかけてだった。ソ連の流儀に倣ったのだ。表現の自由の乏しい諸国には今も亜流がある。

では「資本主義リアリズム」は存在するか。戦前は天皇制だった日本の「国体」は戦後、日米安保体制になった。これを題材とし批判する現代文学は沖縄を除いてはほとんど見当たらない。人口爆発、貧富格差、環境破壊、核兵器・原発の脅威が深刻な地球社会には、保守・右翼体制を讃える言説が横行する。「資本主義リアリズム」の潮流があるとすれば、作家を微温湯につからせ現実逃避させる「人魚の歌」のように心地よい作風なのだろうか。作風が政治同様、同時代性の象徴であるとすれば、「心地よい潮流」は、衣食住は何とか足りても切なく遣る瀬ないまま見猿聞か猿言わ猿の三猿状況に陥りがちな現代人のニヒリズムそのものなのか。

本書は、先行きの暗い現代に蔓延する「集団的ヘイトヒステリー」状況や、真綿で首を絞めるように迫り来るネオファシズムを考察する上でも参考になる。
この記事の中でご紹介した本
社会主義リアリズム/白水社
社会主義リアリズム
著 者:ミシェル オクチュリエ
翻訳者:矢野 卓
出版社:白水社
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