女性文学の現在 書評|矢澤 美佐紀(菁柿堂)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年7月1日 / 新聞掲載日:2016年7月1日(第3146号)

女性文学の現在 書評
女性による女性の視点に立った作品を現代の文脈において分析

女性文学の現在
出版社:菁柿堂
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女性文学の現在(矢澤 美佐紀)菁柿堂
女性文学の現在
矢澤 美佐紀
菁柿堂
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本書は、佐多稲子を中心に研究を続けてきた著者矢澤美佐紀氏が、現代の女性をめぐる社会問題に焦点をあわせて近現代女性文学を論じたものである。サブタイトルに掲げられた「貧困」「労働」「格差」という言葉は、この十年ほどでたびたび目にするようになった言葉であろう。戦前のプロレタリア文学に匹敵するようなプレカリアート文学が話題になったのは、六、七年前になるだろうか。雨宮処凛『プレカリアートの憂鬱』が刊行されたのは二〇〇九年だった。本書もそのような現在の貧困問題や格差問題に肉薄する内容となっている。
全体は三部だてで、第一部「女性の貧困・格差」では、津村記久子、角田光代、桐野夏生、青山七恵など現代女性作家の作品が対象となり、第二部「労働・原発への眼差し」では、佐多稲子、絲山秋子、津島佑子らを取り上げて、過酷な労働を課された女性を描く作品と、女性の立場から東日本大震災後の原発事故問題に言及した論考が収められている。第三部「女性の記憶性・家族」では、長竹裕子、三宅やす子、田村俊子、田澤稲舟、吉尾なつ子、千葉泰子らの名前が見え、正負あわせた女性ジェンダーの特性を歴史的な表現のなかに探っている。どの論考も、女性による女性の視点に立った作品を、現代の文脈において分析しようとする著者の熱意が伝わってくる。
なかでも津村記久子『ポトスライムの舟』や角田光代『対岸の彼女』を論じた諸編が印象深いが、とりわけ著者が長年取り組んできた佐多稲子の初期作品を扱った論考「〈転落物語〉との決別」が秀逸で、読んでいて引き込まれた。よく知られた『キャラメル工場から』が、父親の失業を契機として中間階層から女工へと〈転落〉した少女ひろ子の自意識をめぐるドラマだとしたら、ひろ子にはまだ〈社会の成員〉としての自覚はない。甘美さと悲哀のリリシズムを基調とする『キャラメル工場から』は、ひろ子が視点人物であるためか、周りの女工たちは社会の酷薄さを感じさせるだけの存在で、固有の名前を持たずに、ひとくくりの女工として扱われている。逆にそのことで、ひろ子の転落物語が強調され、悲しみを背負う知的な少女が、掃き溜めに鶴のような場違いな存在として浮かび上がることになる。
ところが、たとえば一九二九年四月号の『婦人運動』に発表された「編物」という短篇小説では、視点人物の女工が「お清」という名前を与えられ、名前のない「女事務員」が昼休みに編み物をすることに対して「編物なんかする暇があるなら夜業するわ。そいでなきゃ食べてゆけないんだもの」と一気に言う場面が取り上げられる。かつては女工の内面は語られなかったのが、ここでは「お清」の「女事務員」に対する反発が、単に個人の資質に回収される問題ではなく、背景にある社会の矛盾を突くものになっているというわけだ。「お清は、いまだ「知らない」だけなのだ。自分の不幸が運命ではなく、「女事務員」が仲間であることも。彼女はそれらを「知る」意志を持つことで、自己を変革しうるのである」と著者は言う。運命や自己責任ではなく、貧困を強いられる社会構造にこそ問題があるのだと、いずれ「お清」は気づくであろう。「お清」は自己を変革しうる存在なのであり、閉じられた〈転落物語〉から自己を解放し〈社会の成員〉として社会を諦めないことは、いま現在の若者が抱える困難にも通じているとされている。著者の作品分析は鮮やかである。
学生時代に授業で佐多稲子『くれない』を読んだ衝撃が研究の出発だという著者には、本書を基点としてさらなる現代女性作家の作品解読、女性によるプロレタリア文学作品の再読を期待したい。
この記事の中でご紹介した本
女性文学の現在/菁柿堂
女性文学の現在
著 者:矢澤 美佐紀
出版社:菁柿堂
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