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読写 一枚の写真から 第47回
更新日:2016年12月9日 / 新聞掲載日:2016年12月9日(第3168号)

マルク紙幣を秤にかけるドイツ商人

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戦前1マルクは40銭内外の価値であったものが今日に於ては1円が何千マルクという莫大なる価格に相当するという珍現象を呈するに至った。写真は独逸の屑屋が商品の売買にマルク紙幣を以て勘定をする場合一枚一枚数えられぬ為め秤にかけ其の重量に依り紙幣の価値を定めつつある有様である。(「歴史写真」大正13年2月)


木箱に入れて秤にかけているのは、ドイツのマルク紙幣だ。「ドイツマルク相場の暴落は最近にいたりて殊に甚だしく殆どその停止するところを知らぬ」と、写真説明にある。

一九二四(大正十三)年二月号『歴史写真』に掲載されたもので、「ドイツの屑屋」が商品の売買にマルク紙幣を使うのだが、あまりの「高額」のために数えきれなくて、重さで取引する異常事態を報じている。

この写真を日本人はどう読み取ったのか、気にかかる。おそらくは、敗戦ドイツの「おかしな風景」と見過ごしたことだろう。

ドイツは第一次大戦に敗れ、一九一九年の講和条約で天文学的な賠償金を課せられた。敗戦で疲弊している国力ではとても払えない。一九二三年一月、戦勝国のフランスとベルギーが、払えないならと鉱山などがあるルール地方を占領したが、無い袖は振れない。

ここから、マルクはすさまじい勢いで下落した。破綻するドイツ経済は超超インフレになって、国民はどん底生活にあえいだ。

この記事では「戦前一マルクは四十銭内外だったのが、いまでは一円は何千マルク」と報じている。 「大戦前に対する騰貴は七月一日に四万倍、十月一日に五〇〇〇万倍、十一月一兆倍以上になった。紙幣マルクの実質的価値はわずかのあいだに一兆分の一以下に下落した」(鯖田豊之著『金(ゴールド)が語る20世紀』)。高額紙幣の発行に印刷が間に合わず、一千マルク紙幣に十億マルクのスタンプを押し、最終的には百兆マルクの紙幣が登場した。

写真後方の古材に貼られた紙には「買います」とあるが、「ボロ50000マルク」とだけで量は書いていない。同じ日の朝と夕方で、商品の値段が刻々と変化するマルクの価値に対応するためだろうか。一九二三年十一月から十二月に撮影されたものだろう。日本では、関東大震災間もなくの時期だった。

この一枚には、追い詰められたドイツ人の悲鳴が込められていた。パンを買うにもカバンに詰めたマルク紙幣を持っていかなければならない生活の原因は、第一次大戦で負けたことだった。戦時下から休戦後も、ドイツは経済封鎖にあって、餓死者数十万人ともいわれる悲惨な状態に陥った。革命そして弱体なワイマール共和国の成立と、政治も大揺れだ。敗戦の屈辱、生活の崩壊で、ドイツ国民の気持ちは下降し、その深い挫折感が台頭するヒトラーのナチズム極右国家を生み出す温床になる。

この写真が撮影されたころ、一九二三年十一月八日にヒトラーはミュンヘンでクーデターを起こすが、失敗した。投獄されたヒトラーは方針を変えて、アーリア人(ドイツ人)を優越民族とする過激な思想の宣伝に力を注ぎ、ユダヤ人の徹底的な排斥を大衆に浸透させていく。狂乱物価など外国の出来事だと思っていた日本でも、一九二七(昭和二)年二月に昭和恐慌が起き、一九二九年十月二十九日には繁栄を誇っていたアメリカのウォール街を史上最悪の大暴落が襲って、世界恐慌が始まった。ヒトラーは、一九三三年四月にはついに選挙でナチス政権を実現し、世界制覇を目指す「第三帝国」を築こうとして世界を戦火に巻き込んでいく。

これは、世界が破滅する予兆を秘めた、「ほんとはコワーイ写真」である。
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