対談=片山杜秀×山本貴光 魅力に満ちた赤き偏愛 『鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史』(講談社)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年3月8日 / 新聞掲載日:2019年3月8日(第3280号)

対談=片山杜秀×山本貴光
魅力に満ちた赤き偏愛
『鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史』(講談社)刊行を機に

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音楽評論家、政治思想史研究者の片山杜秀氏が『鬼子の歌』(講談社)を上梓した。その題材は、三善晃のオペラ『遠い帆』、伊福部昭の『ゴジラ』、山田耕筰のオペラ『黒船』、黛敏郎のオペラ『金閣寺』…など十四人の作曲家とそのクラシック作品から読み解く日本の近現代一〇〇年。他に類を見ない、誰にでも書けるわけではない拘りの一冊。その刊行を機に、文筆家・ゲーム作家の山本貴光氏と対談をお願いした。読者を飲み込んでいく語り口の面白さ、題材の独自性、執着の必要性など、読む人の心に火を灯す熱い対話の時間となった。       (編集部)
第1回
悩ましい本。興奮を感染させる片山節

片山 杜秀氏
山本 
 『鬼子の歌』は、『群像』連載時に拝読していました。片山さんの連載を目当てに『群像』を読んでいた、といえばいろいろ差し障りがあるかもしれませんが(笑)。

この五〇〇頁超の大著は、最初から構想が決まっていたのですか。
長さや、どういう順番で誰を取り上げるか、など。
片山 
 一年間十二回、毎回読み切りで、一年後にはすぐ、十二章立ての比較的コンパクトな一冊にまとめる。実はそういうお約束で始まったんです。
ところがなにぶん無計画な人間なもので(笑)、いきなり第一回が読み切りではなく続き物になってしまった。

「三善晃『遠い帆』・上」が第一回。そのときは次回が「下」のつもりでしたが、次も終わらなくて「中」。
「あれおかしいぞ」と書き手本人が思いながら、その次も終わらなくて「下の一」(笑)。
連載初期で構想が崩壊しました。三善だけで本一冊になるような内容を考えてしまっていたのですね、冷静に考えると。


最後も、編集者にそろそろ終わらないと分厚くしても一冊に収まりませんからあと二回にしましょうと声をかけてもらったのですが、終章にあたる〈松村禎三のオペラ『沈黙』〉がそこでうまく終わらなくて。単行本化にあたり、加筆して、ようやくなんとか着地したかなという経緯でした。

つまり、無理無理終わらせないと果てしなかった。当初の目論見とは、ずいぶん違う本になったということです(笑)。

山本 
 第一章の冒頭から驚かされます。三善晃の話がモンゴメリの『赤毛のアン』で切り出される。そこからテレビアニメ『赤毛のアン』のオープニングがまざまざと目に浮かび音楽と歌が耳に響くような描写になり、開始数ページで、読んでいるこちらまで元気が湧いてくるのですね。「これこれ、片山節!」と(笑)。

誰かが何かを評する姿に触れてワクワクさせられる。これに似た体験で思い出すのは、小中学生の頃にテレビで見ていた淀川長治さんの映画解説です。私はあの淀川節ですっかり映画が好きになった。淀長さんが映画の場面をあの名調子で描写する。すると観たことがないものでも映像が頭に浮かんでくるようで観たくなる。それと同じことが、片山さんの文章を読んでいると起こるのです。とにかく言及される音楽を端から聴きたくなるのですね。

その点でこれはたいへん悩ましい本です。片山さんの文章は要所要所で「なぜだろう」と問いかけて、読者を巻き込みながら進んでいきます。それで先を読みたくなる。「どういうこと?」「それからどうなるの?」と。他方では、いま片山さんがこんなに面白そうに語っているこの曲をぜひとも聴かずにはおれないという気持ちになる。聴きたい。でも先を読みたい。ジレンマに引き裂かれて困る(笑)。そういう嬉しい読書体験でした。

片山さんご自身が、その作品を見聞きすることを、誰よりも楽しんでいる。そう感じる熱のこもった語りが読み手に感染していきます。そこで紹介されているものを、自分も端から味わわずにはおれない、と興味が焚きつけられるのです。
片山 
 そういっていただけると、「鬼子」というはみ出しものを、紙幅を割いて紹介した意味があるのかなと思えてきます(笑)。
山本 
 片山さんの文章は語り口の魅力に満ちています。脇道にもしょっちゅう逸れて、どこで本題につながるのだろうと思いながら追いかけていくと、あるところでハタと立ち止まって「いや、○○の話でした」と本筋に戻る。この展開も本書を読む喜びでした。
片山 
 貧乏性でしてね。長い分量を本筋だけで埋められるのかという恐怖心がある。それで喜んでワキ筋に飛んでしまうのです。そんなことをしていると、普通なら結局本筋がはみ出して、ワキ筋をカットすることになるのですが、文芸誌の連載でしたから。文芸誌は長編小説だって一挙掲載する。連載一回分の頁数もわりと自由なのです。ワキ筋に入れ込みすぎたと思って、本題に戻しても、ワキ筋を削らずに済む。その意味でありがたい媒体で、だからこそ連載も終わらなくなってしまったのですが(笑)。しかし、出来上がりとしては尺を気にせぬのびのびした感じになりました。
山本 
 文体についてもう少し具体的に述べてみましょう。片山さんの対象への熱や興奮が、我々に伝播するのは、例えばセンテンスがだんだん短くなって、リズムで畳みかけてくるところに顕著です。先ほどのアニメ『赤毛のアン』の描写ではこうです。「名作誕生か。初めからそういう期待はあったのです。ですが、初回で何に驚いたかって、中身ではなかった。中身はもちろんよかった。名作の風格が最初から漂っていました。慌てない感じ。たっぷりした感じ。馬車の歩みから何から」と読点で刻んできて、「強烈な音がテレビから噴き出してきた。見終わっても強迫観念のように鳴り続ける響き。心を揺すぶられた。興奮がおさまらない。困った。音楽です。主題歌です」と。再び申せばこの興奮は感染します。
片山 
 文芸誌の連載なのに文学の話でなく、音楽の、しかも日本のクラシック音楽の作曲家という知る人の少ない分野について書いていくわけで、何とか文体を工夫して飽きさせないよう、という色気はあったと思いますね。音楽のテンポやスピードや気分を、文章で説明するのではなく、文体で模倣して音楽を本当に聴いている気持ちにトリップさせられないかというつもりで、言葉を並べていったところがあります。評論文というよりも放送台本や芝居の脚本を書いている感覚で出来た本かもしれません。私、自分のラジオ番組の台本を、一字一句までしゃべりながら書いて、それをスタジオでしゃべるように読むということをいつもやっていますので、そういう身体的なものがむき出しになって出来たと申しますか。
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この記事の中でご紹介した本
鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史/講談社
鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史
著 者:片山 杜秀
出版社:講談社
以下のオンライン書店でご購入できます
「鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史」出版社のホームページはこちら
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