対談=片山杜秀×山本貴光 魅力に満ちた赤き偏愛 『鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史』(講談社)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年3月8日 / 新聞掲載日:2019年3月8日(第3280号)

対談=片山杜秀×山本貴光
魅力に満ちた赤き偏愛
『鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史』(講談社)刊行を機に

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第5回
渇望、執着、希少性…歴史に学ぶということ

片山 杜秀氏
山本 
 早坂文雄を扱った第七章で「無限包容」という表現をお使いですね。

この章は古代日本に遡り、滲み、朦朧、暈しといった日本の色彩論から語り出されます。グラデーションで明暗、濃淡のみを把握した古代日本の美意識と、中国大陸由来の原色のコントラストの美意識との葛藤が日本文化史の底にあるのだと。

早坂は、グラデーショナルな美意識からなる雅楽趣味を抱えると同時に、明晰なコントラストを好む友人の伊福部からの影響も退けません。雅楽の響きの中に西洋の響きとも滲み合う音調を聴き取ります。そして西洋と東洋がひとつだった古代に思いをはせる。つまりここには、いろいろなものを飲み込んで集める、強い執着、あるいは渇望のようなものが、一つの音楽に昇華されていく物語が書かれています。

片山さんは『歴史という教養』で、歴史を忘れる人は野蛮人であるとおっしゃる。野蛮人にならないためには歴史を背負い意識し続ける必要がある。しかし過去は無尽蔵で全てを知り尽くすのは到底不可能です。それでもなお拾えるだけ拾い集め、自分なりの歴史を身につけて活かせる知識にすることが肝心である、という議論をされています。

その文章を読みながら私は、「無限包容」とはまさに片山さん自身のことでもあるのだと思いました。支倉常長を描いた『遠い帆』が、三善晃の自伝でもあるというご指摘と同じように、『鬼子の歌』は片山さん自身の物語でもあるのだろう、そう思ったのですね。
片山 
 いやいや、大それた話で恐れ入ります。私の場合、無限に包容する気でないと好きなものはみんな逃げてしまうというか。先ほどの話の通りですが、好みがマイナーなものばかりでしたから、いま捕まえないともう二度と出合えないという意識に早くから捕われまして。「希少性」が、自分を動かしてきた気がしています。

またまた些細な話ですが、私が大好きな脇役俳優、平田昭彦がデビュー直後に主演した数少ない映画があって、『鉄腕涙あり』というのですが。私は、小学生の頃から、神保町の矢口書店に入りびたり、『キネマ旬報』のバックナンバーを片っ端から見て、平田昭彦の名前がそこに出ていれば、小遣いをはたいて買っていました。そうして『鉄腕涙あり』は平田昭彦主演と発見して、絶対に見るぞと思い続けていたのですが、本当に見ることができたのは、つい数年前なんですよ。
山本 
 おぉ!
片山 
 一九七〇年代前半から、実際に見るまで約四〇年かかっている(笑)。

この本で取り上げた、日本の作曲家のクラシック作品も、そういうことが多いんですね。日本の作曲家としてはかなり名の通った作曲家の作品でも、LPにもSPにも、売り物になったことがない。大昔、放送されたきりとか、演奏会が一回あったきりとか。そのときの録音がどこかに残っていない限り、聴けませんというような。つまり、チャンスを逃したら、二度と一生出合えないかもしれない。そうなると、大阪だろうが札幌だろうが、音楽会があれば出掛けるしかない。
山本 
 私は専門学校や大学で学生に接する機会があるのですが、創作物に触れる機会や知識に対して「いま捕まえなければ」という切迫感みたいなものがあまりないような印象があります。無理もありません。というのも、いまは各方面の厖大な創作物がいつでもネットで見られるし、読めるし、聴けます。これはもちろんとてもうれしく便利である一方、切迫感が生じづらい状況でもありますね。いつでも見られるなら、いま見なくてもいいわけですから。
片山 
 それは私も、特に若い世代の方と接していると感じることです。人間は時間的な生き物ですから、刻一刻無へと向かっているわけで、何かに執着しないことには、どこにも行けないんですよね。何にも必死にならないままフラットに進んでいくと、自分が過ごしてきた記憶もみな零れ落ちて、積み重なるものもなく、感度や鑑賞力も磨かれないまま、立脚地をもてず、現在をただ頼りなく生きることになる。 

本当は耳のいいとき、目のよく見えるうち、感度のいいときに見聞きしておくべきなんです。

人生がフラットでいつでも検索可能だと思っていても、現実には時間的限界が横たわっている。その切実さを忘れている人が多い気がします。自分のいまいる時を深刻に考えるためには、喪失の体験ですよね。獲得、喪失、忘却に対する恐怖を知らないと、発動されないものがある。いつでもネット検索すれば分かるから、真面目に勉強したり、体内に蓄積したり、見聞きしたり読んだりしなくてもいいというのは、技術革新がもたらした人間の退化です。映画だって、音楽だって、本だって、本気で見たり聞いたり読んだりしている人が、どんどん減っている気がします。本気で抱え込んで守りたいとか、大事にしたいという思いが減っていることは、怖いことだと思いますね。
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この記事の中でご紹介した本
鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史/講談社
鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史
著 者:片山 杜秀
出版社:講談社
以下のオンライン書店でご購入できます
「鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史」出版社のホームページはこちら
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