対談=片山杜秀×山本貴光 魅力に満ちた赤き偏愛 『鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史』(講談社)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年3月8日 / 新聞掲載日:2019年3月8日(第3280号)

対談=片山杜秀×山本貴光
魅力に満ちた赤き偏愛
『鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史』(講談社)刊行を機に

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第6回
渇き、飢え、餓え…熱の伝わる真の評論

山本 貴光氏
山本 
 片山さんのように、観たいと思ってから四〇年も出合えずにいる映画をそれでも思い続けるとか、この曲はこの機会を逃すと一生聴けないかもしれないと万難を排して駆けつける、といった行動はまさに執着です。そうした執着によって直接間接的に関連する知識も集まるし、そこからまた触れたいものが見つかりもする。そういう蓄積から、片山さんの本のような創作物も生み出されるわけです。

これは我々がどうこうできることではないし、ただのお節介かもしれませんが、現在のネット環境が当たり前になっている人たちに、どうしたらそのような切実さの意味を伝えられるかなと思うことがあります。
片山 
 最近、韓国政府のアダルトサイト遮断に対して、デモが起きているという報道がありました。ロシアや中国でもネット検閲が行われ、表現の自由が制限されていると聞きます。そういう全体主義的な環境をよしとは決していえないけれど、阻まれると切実に求める、というのが人というものですよね。

資本主義の自由で満たされた社会には、渇望がない。評論も、評者が対象に没頭してこそ、読者に伝わるものがあるのだと思っています。いまのいま没頭しないとなれば、本気で論じることもなくなってしまう。本気で論じるためには、いまここで没頭するための、何らかの仕掛けが必要なのでしょうね。
山本 
 これも私の勝手な印象ですが、批評というジャンルが各方面で、かつてと比べて弱くなっているような気がします。それはいま片山さんが語られたように、切迫感のなさ、時間的限界への無頓着と無関係ではない気がするんです。ある人の批評に触れて、この人がこんなに熱を込めて語っているものなら、どうしても触れたい。そういう回路がかつてはもう少し各方面で機能していた。

『鬼子の歌』を読んで感じるのは、登場する作曲家たちの渇望感のあり方です。西洋から音楽が入ってきた当初、聴く機会があるとはいえ、いまとは比べものにならないくらい限られていた。あるいは数少ない音楽の先生に教えを受けたければ、紹介状を書いてもらって何とか会う算段を取り付ける。そうした不如意な状況がひしひしと伝わってきます。

この本には、そうした中で渇望を原動力として西洋音楽を学び、自ら作曲した人たちの来歴がたっぷり書かれている。まったく同じようにはいかないとして、現在の環境で仮にそうした渇望感なり切迫感なりをもとうと思ったらどうすればよいか。例えば、検索で手が届く範囲を踏まえた上で、それをさらに超えて簡単に出合えないものを探求するとか、奥まったところにあるものを手繰るとか、そういう試みを通じて飢餓感を自ら作るという手があるでしょうか(もっともなにかについて本腰を入れて追跡すれば自ずとそうなるのですけれど)。
片山 
 乾き、飢え、餓え……そういう思いをどれだけ味わっているかで、対象への執着や思い入れが違ってくることは間違いないでしょうね。それに伴って評論の温度も変わってくるでしょう。対象からきちんと距離をとって理路整然と分析する評論は、正しいといえば正しいけれど、そこに何らかの執着がなければ、真の批評は成り立たない気がします。
山本 
 こうして鬼子たちの列伝が編みあげられたわけですが、他方ではナクソスの「日本作曲家選輯」のように、それまで聴こうにも聴けなかった日本の作曲家たちの音楽が、片山さんの企画・解説でCD化されています。このシリーズの発売が始まったのは二〇〇〇年だったでしょうか。そして二〇一七年に改めてボックスセット版が発売されました。この二〇年弱の間に、こうした日本の作曲家たちに対する人びとの関心の度合いが変わってきた印象はありますか。それとも相変わらず、鬼子は鬼子なのでしょうか。
片山 
 こういう畑に興味をもつ人は、九〇年代以降、増えたと思います。ただそこに執着をもつ人が増えたというよりも、フラットな時代の中で、こうしたものまで手を伸ばしやすい環境ができてきたということでしょう。
山本 
 このテーマでまだまだ書いてみたいことがおありですか。
片山 
 まだまだ幾らでもあります。連載の流れの中でとりあえず書いてきて、正直にいうと、肝心なものをいろいろと書かないうちに終えてしまったところがありますし。ですから私としてはもう一冊ぐらい、同じ厚さのものがあってもいいかなと。読者がいるかが問題ですけれど(笑)。
山本 
 本書は音楽を中心とする本ですが、映画や文学の話もたくさん出てきますね。
片山 
 早坂文雄や深井史郎や山田一雄の章は、戦時文化思想史のようなつもりのところもありますし。戸田邦雄と黛敏郎の章だと三島由紀夫がらみでもあるし、松村禎三の章は遠藤周作がらみですね。例えば思想史や映画史や演劇史で、同じ趣向で書きたい気持ちもあるにはありますね。ただ、わたしも五十五歳になって、昔の映画でいえば、志村喬や笠智衆の演じているおじいさんの年齢ですから(笑)。
山本 
 いえいえ、まだまだ(笑)。映画史、あるいは文化思想史の「鬼子」列伝も心待ちにしています。
(おわり)
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この記事の中でご紹介した本
鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史/講談社
鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史
著 者:片山 杜秀
出版社:講談社
以下のオンライン書店でご購入できます
「鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史」出版社のホームページはこちら
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