静寂と沈黙の歴史 ルネサンスから現代まで 書評|アラン コルバン(藤原書店 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年3月16日 / 新聞掲載日:2019年3月15日(第3281号)

静寂と沈黙の歴史 ルネサンスから現代まで 書評
多くの引用と固有名によって
静寂と沈黙をめぐるアンソロジー

静寂と沈黙の歴史 ルネサンスから現代まで
著 者:アラン コルバン
翻訳者:小倉 孝誠、中川 真知子
出版社:藤原書店
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何年か前、映画『大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院』が公開され、評判になった。中世から変わらぬ禁欲的な修道生活をおくるさまを記録したドキュメンタリーは、どうして、少なからぬ人たちを惹きつけたのか。修道士の信仰と生き方、アルプスの修道院のありよう、あるいは、現代生活とかけ離れた珍しさと、人によって関心の抱き方は違っていただろうが、人は、修道士たちの沈黙に、その生活する時間と空間にある静寂に、映画をとおして、映画というメディアを介してではあるけれど、ふれられる体験をこそ抱けたから、ではなかったか。そしてこの共感は、声を大にしてではなく、静かに、伝わっていったのだ、と。

都市文明から隔たったところでひっそりと中世からつづけられているいとなみ、修道生活を意識していたアラン・コルバンは、中世から遠ざかるにつれてすりへり、そこなわれ、失われてゆくとみえるからこそ、本書に「ルネサンスから現代まで」との副題をつけたのだろう。これは逆に、時間と空間がひたすら音に、声に席巻されてゆくさまを、逆説的にとらえる試みとなる。沈黙をたどるなか、学ばれ体得されるもの・こととしての記されていたものが、後半、戦略から憎悪、悲惨へと変化してゆく。人と人とのつながり、多勢の人たちがひとところに集まって暮らすなかでの、ことばの、声のなさ、が、声のないなかで生じていることが、あぶりだされてくる。

英語でも同様だが、原題にあるフランス語「silence」は沈黙と静寂の二つの意味がある。本訳書のタイトルはこれらをともに示す。章によって、重心がどちらかにおかれ、本文ではおもに第一、第二章が静寂、それ以外は沈黙となって、論がすすめられる。

静寂を聴く・感じる心身があり、みずからが音を発することを抑制する、音を、声を発しない心身がある。そうしたありようを資料としてどこに、何にみるかといえば、文学や美術、いわゆる個々の「作品」の表象になる。その点が、おなじように史料になく、刻々と消え去り変化するもの・ことを扱っているおなじ著者の『音の風景』 (原題が「土地の鐘」) と重なりつつ、異なっているところだ。同時に、『音の風景』でも『静寂と沈黙の歴史』でも、音や沈黙・静寂にふれる心身(のありようとその慣れや変化)こそが問われる。先にふれたことと重なるが、それは静寂・沈黙が脅かされつつまた強制されもする近現代の状況があるからこその発言と言っていい。この発言もまた、ことばに依(寄)らねばならず、ことばで縁どりつつ浮かびあがらせなければならないジレンマ――ダヴィ・ドゥ・ブルトン『沈黙論』のことばを借りれば、先だって沈黙があってこそのことば、だ――を抱えこむにしても。

たとえまわりに誰もいない海辺や辺鄙な土地であっても、何らかの電波が飛んでいて、受信する機械があればここにない音を拾うことができる。また、人やその他動物の可聴域をおもえば、まわりにはつねにすでに、聞こえてはいないけれども多くの音に満ちている。そんな現在であることを、直接は語られていないけれど、想起してみるなら、本書で語られていることの意味が痛切なものと感じられるにちがいない。

文学などにあらわれているもの、書き記されたことばを多く引きながら、という手つきは、バシュラール(この名も引かれる)を想わせる。多くの引用と固有名――シャトーブリアン、ユイスマンス、メーテルリンク、グラック、ジャコテ、キニャールとフランス語圏作家の比重は高いが、マックス・ピカートやソロー、ホイットマン、などなど――とは、さながら、静寂と沈黙をめぐるアンソロジーのようでもある。絵画についてもピエロ・デッラ・フランチェスカからエドワード・ホッパーと幅広い。カラー図版は、ちなみに原書は八枚、本訳書は十二枚を収め、前者の表紙はフリードリヒ、後者はクノップフとなっている。また構成として特徴的なのは、ルネサンス以後を中心的に扱っている本書のなか、ふと「間奏曲」として、イエズス・キリストの養父ヨセフと、ナザレの地の沈黙への言及があることだろう。たった二ページの章は、史料にあたって記されるほかのところとは異なった、独自の美しさを持っている。先にふれた沈黙の変化がしるしづけられるところに位置するからなおさらのこと。

本書に、コルバンの著作にかぎったことではないが、ここでの静寂・沈黙は西洋世界、西洋文明を扱っている。ないものねだりではけっしてなく、東洋の、アジアの静寂・沈黙については、むしろ本書を踏まえつつ、べつのやり方で思考し、語ることを、考えていけるなら。
この記事の中でご紹介した本
静寂と沈黙の歴史 ルネサンスから現代まで/藤原書店
静寂と沈黙の歴史 ルネサンスから現代まで
著 者:アラン コルバン
翻訳者:小倉 孝誠、中川 真知子
出版社:藤原書店
以下のオンライン書店でご購入できます
「静寂と沈黙の歴史 ルネサンスから現代まで」出版社のホームページはこちら
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