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更新日:2019年3月15日 / 新聞掲載日:2019年3月15日(第3281号)

菊地成孔・冨永昌敬(司会=福島勲)公開トーク載録
デュラス/ゴダール対話と映画の夜
トークイベント『ディアローグ デュラス/ゴダール全対話』(読書人)をめぐって

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第8回
デュラス/ゴダール言葉と映像の交差


冨永 
 今回福島さんに伺いたかったところですが、ゴダールはデュラスが亡くなった後の九七年のインタビューで、「デュラスとは二、三年ぐらい付き合いがあった」と言っているとありますが、これはどういう意味でしょうか。
福島 
 付き合っていたというのは男女として、という意味ではないと思います。このコメントは、デュラスとは一瞬人生を交差させたくらいな、物言いとしてはそうだと思うんです。ゴダールはいっときデュラスの作風にすごく憧れて映画に出てもらおうかと思った。デュラスの映画『トラック』を素晴らしいと思って、『トラック』があったからこそゴダールも作品を作ろうという気になったのではないかと思わせます。
菊地 
 ゴダールをジガ・ヴェルトフ集団時代の社会派アジビラ映画から一般映画の世界に戻すというのは相当な力技ですよね。誰もがなんとなくゴダールは天才だから社会派にも飽きてきたんだろうというふうに考えがちで、ゴダールは自己韜晦が得意だから、真面目な人は真に受けて分からなくなったりもするんだけど、もうちょっと人間的に見てあげればゴダールが商業映画を捨ててまた戻ってきたのには、われわれが共感できる卑俗な部分も多分にあって、ゴダールがあと何年生きるかわかりませんが、ゴダールをいたずらに神格化して難解にしないほうがいい。僕もゴダールを批評する時の基本的な批評基準に置いているのは、ゴダールを人間的に見るということなんです。ゴダールも嫉妬するし、女に振られたら嫌だし、憧れもあるし、挫けたりもしてるんだというようなところを誰も言わないから。

この本の中では、デュラスはゴダールをそんなにマイスターだと思ってない。ゴダールを崇めない。そこがこの対談を良くしているんです。話のそこそこ合う年下の映画監督ぐらいにしか思っていない。
冨永 
 そういう意味でこの本はすごく貴重な証言集ですね。ゴダールの人間臭さや全然知らなかったことがいっぱい出てくる。ゴダールのそういう部分がもっと早く知られていたら、フランスでも出資者とか一緒に仕事できるかもみたいな感じになったのかなと今思ったんです。

菊地 僕はそんなに言うほどヌーヴェルヴァーグ大好き人間ではないですが、そこそこ普通に好きで、アンナ・カリーナ、ゴダール、アンヌ=マリー・ミエヴィルは存命ですが、ミシェル・ルグラン、アンヌ・ヴィアゼムスキーも鬼籍に入った。
冨永 
 ヌーヴェルヴァーグの監督で今生きてるのって、アニエス・ヴァルダくらいですね。
福島 
 アニエス・ヴァルダは最近、新作映画『顔たち、ところどころ』を公開しました。
菊地 
 ゴダールの映画も進化し続けて今回とうとう自分が出なくなった。放談になりますが僕はゴダールにこの先大革命があるとしたら最後の逆転は、ミシェル・ルグラン、アンナ・カリーナ、ゴダールというこのトリコロールの再結集が最後の革命だと考えていたんです。ところが、追悼のたぐいになりますが、ミシェル・ルグランが先月八六歳で鬼籍に入り、その可能性はなくなりました。映画『男と女』の作曲家フランシス・レイがちょうど一年前にルグランと同じ八六歳で亡くなっている。トリコロールの一角でとうとうミシェル・ルグランが亡くなって、時代がゆっくりゆっくり天空に上っていくという感じがします。(おわり)
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この記事の中でご紹介した本
ディアローグ デュラス/ゴダール全対話 (DURAS/GODARD DIALOGUES)/読書人
ディアローグ デュラス/ゴダール全対話 (DURAS/GODARD DIALOGUES)
著 者:マルグリッド・デュラス、ジャン=リュック・ゴダール
翻訳者:福島 勲
編集者:シリル・ベジャン、明石 健五
出版社:読書人
以下のオンライン書店でご購入できます
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