胎児の条件 生むことと中絶の社会学 書評|リュック・ボルタンスキー(法政大学出版局)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年3月16日 / 新聞掲載日:2019年3月15日(第3281号)

胎児の条件 生むことと中絶の社会学 書評
中絶合法化と新しい優生学
取り替え可能性と単独性のあいだの胎児と人間

胎児の条件 生むことと中絶の社会学
著 者:リュック・ボルタンスキー
出版社:法政大学出版局
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 第二次大戦後間もない一九五〇年前後の日本における中絶の実質的合法化は、旧体制の出産奨励策から産児制限に転じた国策のもと、優生思想を背景としつつ、指定医師たちの利益のために実現されたものだ。こうした経緯をGHQ主導の上からの民主化になぞらえるティアナ・ノーグレンは、「産児制限と中絶に関わる事項について、日本女性が受け身で意識が低い原因の一つ」をそこに見ている(『中絶と避妊の政治学』青木書店)。一方、当初は極東の敗戦国に後れを取った西側先進諸国では、やがて七〇年代を通して堕胎の合法化ないし非処罰化が、女性解放運動の高揚のなかで獲得されていく。たしかに日本においても、再び人口増を望むようになった保守政権が経済条項抹消を企てた七〇年代前半と八〇年代前半に、女性たちの運動が改正を阻止したという事実はある。しかしそれは、国民的記憶に深く刻み込まれた出来事にはなっていない。おそらくはこうしたところに、日本の女性たちにとっていまだ、今日「中絶」――胎児の運命に言及することのないこの「人工妊娠中絶」の略語は、実質的合法化と前後して定着していった――と呼ばれるようになった実践が、結局は「堕ろす」こととして、すなわち「堕胎」の禍々しさのなかで経験されている一因を認めることができよう。それでは、欧米諸国では、事情はまったく異なったものであるのか。例えば、七五年のヴェイユ法とともにこの実践を「妊娠の意志的中断」(IVG)として再定義したフランスの女性たちは、「意志」という決定的要因を強調したこの語にふさわしく、それをもっぱら自らの権利行使の次元で理解して、胎内の生命の抹殺という忌まわしさの意識から解放された平静さのなかでこの経験を生きているのだろうか。そうではないとリュック・ボルタンスキーはいう。

『胎児の条件』の著者によると、フランスにあっても、堕胎はそれを経験した女性たちによって、「同意はしたものの、自分の意志からほとんど独立したやむをえない過程の結果として記述される方がずっと多い」(四章)。産む産まないの決定は、これまでは「創造主」(胎内の存在を無差別に認証)、「親族」(嫡出児のみを認証)、「産業国家」(社会的有用性により判断)との関わりのもとでなされてきたが(三章)、中絶合法化のなされた今日、この決定は当事者となる女性個人に委ねられたのではなく、「親となるプロジェクト」の成立の是非という新たな審級のもとに置かれているのだと社会学者は説く。例えば女性たちは、パートナーを父親にふさわしいと認めえない時に、仕方なく出産を断念する。だから彼女たちは、中絶を「自律」した「個人の選択」として表明することがほとんどないのだ(四章)。

女性たちが自律的な主体たりえないのは、ただ「プロジェクト」の審級のためばかりではない。それはまた、いやむしろとりわけ、胎内の存在との関係のためでもある。著者によれば、堕胎をめぐる困難は「人間学的」次元(一章・結論)に属し、堕ろすことは合法化以後も、正当性を欠いた「よりまし」な選択でしかない。「プロジェクト」の不成立を見定めた女性たちは、胎内の存在を切り離されるべき腫瘍のような何かとして捉え(五章)、やがて生まれるはずの別の子どもと取り替え可能なものと考えて納得しようとするけれど、この「制御の意志」は結局のところ、脆弱なものにとどまる――「私の中に人、存在がいて、それが成長するのを見届けたあと、それを切り取ってしまうわけです。なので、これは私にとって本当にショックな出来事でした」(七章)。七〇年代の活動家たちによる解放の約束にもかかわらず、中絶はいまなお、「陰鬱な選択」(六章)であり続けている。

周縁化されてきた諸事実にこうして立ち止まり、自律的主体による決定の論理には還元しえない中絶の経験を記述するための新たな理論的枠組みを提案したのちに(七章)、著者は結論において、取り替え可能性とかけがえのない単独性のあいだに置かれた胎児の不安定な身分規定を本書で検討してきたのは、「我々の人間性それ自体の逆説的な性格、それゆえその際立って脆弱な性格」の探究の一環だったのだと打ち明ける――「なぜなら、胎児の条件とは、人間の条件だからである」。つまり我々もまた、比較不能の生を生きる存在としての単独性と、社会の一構成員としての取り替え可能性のあいだの緊張を、不可避の条件としているということだ。

こうしたアプローチの論争的性格が直観的には理解されえないとしたら、それは日本の知的環境の特殊性のためだろう。象徴的なことだが、胎児と人間を等置する、今しがた引いた本書の最後の一文は、日本語訳では帯においても大きく掲げられている一方で、英語訳ではそもそも訳出すらされていない(!)。このような定式は、「プロライフ」派を利するものとして深刻な懸念の対象となるのである。例えばフランスのある書評は、妊娠の時期を問わず「胎児」を語ることで、本書は胎内の存在すべてをただちに「個人として想像しうる存在」に変えてしまうとして、この一文を問題視している(N・バジョ&M・フェラン)。フェミニストたちはおおむね、困惑さらには怒りをもって本書を迎えた。とりわけクリスティーヌ・デルフィ――合法化の運動を組織し「三四三人のマニフェスト」を企画した、ボーヴォワールと並ぶフランス・フェミニズムの歴史的形象――の評価は手厳しい。中絶を「不可避の罪責感」と結びつけるなど、もってのほかだというのだ。この実践が引き起こしてきた苦悩は「人間学的」宿命ではなく社会的構築の所産であり、決して永遠のものではないというのに――「彼の本の目的は、時間を止めることなのだといえるだろう」。

この著作が、問題の人間学的・普遍的次元を強調しているのはたしかだ。しかしその主たる意図は、女性解放運動の歴史的意義の相対化にあるのではない。著者が「共通の人間性」の枠組みを改めて確認する必要を感じたのは、北米で発展を見た生命倫理学における中絶正当化の諸議論が、まさにこの「共通の人間性という概念を降格」させる傾向を持っている事実に直面してのことだ。難病に見舞われた「有名ヴァイオリニスト」を唯一救いうる存在として突然拉致され輸血管でつながれた女性は、九か月間このままでいてほしいという誘拐者たちの求めに応じる道徳的義務を負ってなどいない(J・J・トムソン)。仔猫に人間と同じ感覚と意識を与えることができる「奇跡の薬」を手にした者は、それを注射することなく猫を溺死させたからといって、人間を殺したことにはならない(M・トゥーリー)。中絶正当化のこうした議論は、「他の道徳的信念の見直し」を導く。本書(原著二〇〇四年)執筆の背景のひとつとして、ピーター・シンガーのプリンストン大学移籍(一九九九年)とナッソー・ホールの喧騒――最初の出講日、建物は障害者団体の車椅子で包囲された――を挙げておくのは無駄ではあるまい(『エスプリ』二〇〇五年一月号)。じっさい、生物学上の「ヒト」のすべてが「パーソン」なのではないというトゥーリーの主張は、シンガー流の「反種差別」の理論と響きあいながら、胎児のみならず新生児や重度の障害者の殺害可能性に道を開く(六章)。フランスの文脈においても、非主流派のフェミニスト、マルセラ・イアクブは、二〇〇〇年のペリュシュ判決――出生前診断の誤診で生まれた障害者の「間違った生」に対する損害賠償請求を認め、左右を問わぬ反発を招いた――を敢然と支持し、それを「人間の亜種化」を許容する論理を定めたヴェイユ法の帰結として評価しつつ、「命を判断する」権利を説いている(五章、結論)。アウシュヴィッツの生還者として知られる保健相が起草した法律は、こうして、「第二次世界大戦の惨禍のあとに生じた人権問題の再活性化が、永遠に封印することを目指していたもの」(結論)を、女性の権利の名のもとに呼び覚ますこととなった。自律的主体の権利を掲げる自由主義的アプローチを退け、胎児を「私であり、かつ私ではないもの」(キャサリン・マッキノン)として捉える一部のフェミニストの議論を発展させようとする著者の企ては、この新たな優生学的現実への対応にほかならない。ブルデュー以後のフランスを代表する社会学者によるこの真摯な知的取り組みを、日本――中絶という実践の生命抹殺の側面がウーマン・リブの一部により先鋭に問われ、女性の権利と障害者の権利の緊張が早くから自覚されてきた一方で、出生前診断による選択的中絶がなし崩し的に許容されている――の読書人はどのように受け止めるだろうか。
この記事の中でご紹介した本
胎児の条件 生むことと中絶の社会学/法政大学出版局
胎児の条件 生むことと中絶の社会学
著 者:リュック・ボルタンスキー
出版社:法政大学出版局
以下のオンライン書店でご購入できます
「胎児の条件 生むことと中絶の社会学」出版社のホームページはこちら
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