サイチンガ研究 書評|都馬 バイカル(論創社 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年3月16日 / 新聞掲載日:2019年3月15日(第3281号)

サイチンガ研究 書評
「前途有望」という名を持つ男
モンゴル文学研究の貴重な貢献

サイチンガ研究
著 者:都馬 バイカル
出版社:論創社
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 モンゴル文学というならば、独立国のモンゴル国のみならず、中国の支配下に入っている内モンゴル自治区、またロシアの支配下にあるブリヤート共和国、カルムィク共和国のモンゴル語による文学をも視野に入れなければならないはずである。ところが今まで日本で翻訳、紹介されているのはモンゴル国の文学のみである。

そこでは、一九二一年の独立以来、ソ連に育成された、いわば官製文学のすき間を縫って、一九二六年にドイツに留学することのできた、D・ナツァグドルジなどが、新しい近代文学の確立に足跡を残すことができた。

ブリヤートでは、ロシア文学の圧倒的な影響下に、近代文学の早い開花が見られ、ホツァ・ナムサラエフのような、ブリヤート・モンゴル語で書く作家があらわれたが、そこでは作家はすべてソ連作家同盟に加わっていたので、『バイカル』のような文芸誌をもっていたにもかかわらず、ほとんどの作家が次第にロシア語で書くようになったため、モンゴル語(ブリヤートの)で書かれる作品はおのずと姿を消してしまった。

そこで問題となるのは、中国内モンゴルの文学である。文学的な伝統からいえば、この地域のレベルは他のモンゴル地域に比べれば格段に高い。清朝末期に、モンゴル語で書き続けたインジャーナシの活動など忘れてはならない事蹟はあるが、もともと、反漢独立が主題であったかれらの文学は牙を抜かれ、現代では、漢族政権の道具と化し、固有のテーマで文学を確立することは極めて困難な状況になった。

今回、ここに提供された「サイチンガ研究」は、内モンゴルにもかつては固有の現代文学の芽生えがあったことを確実にしめした、モンゴル文学研究の貴重な貢献である。

あえて日本語に移せば、「前途有望」という意味になる満洲語の名をもつサイチンガ(一九一四―一九七三)は、一九三七年、二三歳のときに、日本に留学、東洋大学に入学し、文学に目覚めた。東洋大学には、やはり内モンゴルから留学し、後、英国リーズ大学に、オーウェン・ラティモアの支援でモンゴル研究所を開いたウルグンゲ・オノン氏がある。

さて、内モンゴルに帰国したサイチンガは、モンゴル語古文献の収集と出版に専念していたブフヘシグ(この人については、ハイシッヒ『モンゴルの歴史と文化』岩波文庫を参照)の主催する「モンゴル文学会」に加わり、次いで内モンゴル独立運動のリーダーとなるデムチュクドンロブ(徳王)の支持者となる。

日本敗退後のサイチンガの足跡は波瀾に富んだものとなる。モンゴル人民共和国のウランバートルで政治的教育を経験した後、中華人民共和国成立後は中国作家協会内モンゴル分会主席となったが、文革前後から「祖国の裏切り者」と批判され、若き日の日本留学時に書かれた「富士山」などの作品がやり玉にあがり、拘禁されて重労働を課せられた後、上海の病院で死去した。

本書の後半部で著者は、サイチンガの著作が中国で出版されるにあたり、いかに語彙がとり代えられ、ある部分が大幅に削除され加筆され、改竄されたかを具体的にテキストを対照させて実証的に示している。現中国で文学も学問もこういう形でしか現れようがないことは何よりも許しがたいという著者の思いがにじみ出ている。

本書は完成度から言えばかなり未熟な著作だと言わざるを得ないにもかかわらず、この分野における研究の、おそらく日本のみならず世界で最初の、堅固な第一歩をしるした業績であると評価したい。
この記事の中でご紹介した本
サイチンガ研究/論創社
サイチンガ研究
著 者:都馬 バイカル
出版社:論創社
以下のオンライン書店でご購入できます
「サイチンガ研究」出版社のホームページはこちら
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