中島敦の朝鮮と南洋  二つの植民地体験 (シリーズ日本の中の世界史) 書評|小谷 汪之(岩波書店 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年3月16日 / 新聞掲載日:2019年3月15日(第3281号)

作家と植民地体験
中島敦が描いた南洋と朝鮮の歴史的、社会的再検討

中島敦の朝鮮と南洋  二つの植民地体験 (シリーズ日本の中の世界史)
著 者:小谷 汪之
出版社:岩波書店
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 「山月記」や「李陵」の作者として知られる中島敦は、父親の転任に伴って小学校五年生から旧制中学の卒業までを植民地時代の朝鮮で育った。また、昭和一六年六月、勤めていた女学校を辞めて、南洋庁の「編修書記」として翌年の五月まで、当時は日本の委任統治領であった南洋群島のパラオに赴任、そこから島々に散在する公学校を視察して回った。三三年という短い生涯であったが、そのなかで朝鮮と南洋と、日本の二つの植民地に、単なる旅行者というのではない関りをもったのは、作家としては珍しい経歴であった。

本書はサブタイトルに「二つの植民地体験」と謳っているが、中島敦のそうした側面に注目して追究した労作である。この本自体は「シリーズ日本のなかの世界史」とした全七巻のなかの一冊である。

中島作品について少し補っておくと、朝鮮体験から生まれたものに初期の「虎狩」や「巡査の居る風景」などが、南洋体験の反映としては『南島譚』一冊がある。他に、当時アメリカ領だったサモア島が舞台になった長編「光と風と夢」があるが、これは実は南洋に赴任する前に書かれている。

「光と風と夢」は、「宝島」や「ジキル博士とハイド氏」などで知られたスティーヴンソンの晩年の生活を描いたものであるが、それを書くのに中島敦は主にスティーヴンソンの故国イギリスに向けた島便りである「ヴァイリマ・レターズ」によっている。その関係で、中島敦と関わる範囲でのスティーヴンソン研究は割合早くからあるが、小説の舞台であるサモア島や南洋全般にわたること、ましてその歴史などは研究が及ばない。それゆえ、中島敦研究の側から見ると、本書はその欠を補った、眼の開かれることの多い一書である。「光と風と夢」では、主人公スティーヴンソンが原住民の側に立って白人たちの無理解や利権に走った横暴ぶりに憤ったり原住民のために働く場面が度々あるが、そうした動きのもう一つ奥の真相、また南洋全体の情勢が本書によって見えてくる、そう言ってもよい。

たとえば、中島敦も一時滞在したポナペ島は、それを含むマリアナ諸島とカロリン諸島をドイツが一八九九年にスペインから二五〇〇万ペセタで買い取ったものだったなどとは、私は本書を見るまで考えても見なかったことだった。もちろん、著者もいろいろ紹介し、引用もしている歴史書を調べれば分かることには違いないが、中島敦を中心に見ている者にはなかなかそこまでは目が行かないし手も届かない。あるいは、中島敦が南洋日記のなかで、機会があれば伝記を書いてみたいとまで興味関心をもったらしい人物、ポーランド生まれの、南洋民俗研究者でまたコレクターであった男クバリのことで著者は一章を当ててその生涯を紹介している。彼は一時日本にも滞在したというが、いわば李陵にも似た二つの文明の狭間を生きた男で、いろいろな意味で境界人に関心の強かった中島敦がいかにも惹かれそうな人物なのだ。直接の関係はないにしても、西洋諸国の列強が競って支配した南洋の現実やその歴史を知る上では恰好の、生きた資料であった。

こうした南洋世界の長い歴史、複雑な現実の上に置いて著者は中島敦の南洋体験、その実質を検討評価するわけだが、その結論を要約すれば、中島敦の南洋理解は概して「平凡」、南洋=「夢の国」のイメージを破れなかったとしている。そしてそれは、中島敦の、これは早くから定評のある植民地朝鮮像、その「複雑で陰影に富んだ」理解には及ばなかった、とも。中島ファンとしては少々耳の痛い評価ではあるが一度は聞いておくべき意見であることはよく理解できたのである。

ただ、その上であえて付け加えておけば、本書には同時代の、やはりさまざまなかたちで植民地に向き合った日本のたくさんの作家たちがどうであったかという視点がない。本書の守備範囲ではないにしても、それらの作家たちの発言や仕事のなかに置いて見たとき、著者の言う中島敦の「平凡」の意味も、従ってその評価も大分趣が変わるはずだ。言い換えると、本書によって歴史的、社会的観点としては大いに蒙を開かれたが、それは必ずしも文学的な評価に直結するものでは無い、ということである。
この記事の中でご紹介した本
中島敦の朝鮮と南洋  二つの植民地体験 (シリーズ日本の中の世界史) /岩波書店
中島敦の朝鮮と南洋  二つの植民地体験 (シリーズ日本の中の世界史)
著 者:小谷 汪之
出版社:岩波書店
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