オカルト番組はなぜ消えたのか 超能力からスピリチュアルまでのメディア分析 書評|高橋 直子(青弓社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年3月16日 / 新聞掲載日:2019年3月15日(第3281号)

オカルト番組はなぜ消えたのか 超能力からスピリチュアルまでのメディア分析 書評
緻密な調査に基づくオカルト受容の変遷史
オカルト番組を享受してきた人間を刺激し、思考に導く一冊

オカルト番組はなぜ消えたのか 超能力からスピリチュアルまでのメディア分析
著 者:高橋 直子
出版社:青弓社
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まんまとタイトルに釣られた。「消えたのだろうか?」と疑問を覚えた。

読んでみればさっそく「現在、オカルト番組がまったく放送されていないわけではない」とあり、しめくくりにも「消えゆく」「終焉を迎えると考えられる」――ショッキングなタイトルで視聴者をあおってきたオカルト番組の手法そっくりだが、本書の主眼は副題〝超能力からスピリチュアルまでのメディア分析〟のほうにある。

話半分、あやしげな入り口を抜けてみれば、送り手と受け手のズレが生み出すオカルト受容の変遷史が広がってゆく。小池壮彦『呪いの心霊ビデオ』、石井研士『テレビと宗教 オウム以後を問い直す』のような先行書もあるが、オカルト番組に特化した一冊は本邦初の快挙だろう。

著者の高橋直子は1972年生まれ、オカルトに対しては「好きでも嫌いでもない」というスタンスである。リサーチャーとしてテレビの制作現場で実感したスピリチュアル番組への懸念をきっかけに、國學院大學で石井研士のもと「宗教とメディア」の関わりを学び、10年かけて博士論文にまとめた。

本書を貫くのは、徹底した調査・引用に基づく考察だ。膨大な活字資料にあたって週刊誌ブームの前史から始め、ワイドショーとオカルトの親和性を説く。1968年の心霊手術放送、74年のユリ・ゲラーやスプーン曲げ少年による超能力ブームの検証は〝事件史〟の要素も相まって圧倒的だが、同時にテレビ番組というメディアの一過性、実物を確認できない困難も感じさせる。

いっぽう90年代の宜保愛子ブーム(とバッシング)に関しては、東洋英和女学院大学の教授・渡辺和子が出演番組をコンプリート録画していた縁もあり、こと細かく内容が分析される。

「迷信は肯定的に取り扱わない」という民放連の放送基準が、その間どれだけ恣意的に扱われてきたか――虚と実の狭間で遊ぶロマンと逆張りの〝非科学的娯楽〟は政治性や宗教性を隠しながら精神世界のニューエイジブームを伴って拡張し、「半信半疑」という暗黙の了解が保たれていたはずの超常現象は、やらせを騒がれた結果、宜保愛子に至って「ホンモノ」という前提が築かれる。

意外にも、宜保以前のオカルト番組を牽引してきた中岡俊哉や新倉イワオ、矢追純一らの扱いは小さい。通史のようでありながら、ポイントを絞って掘り下げる強い意思――その総仕上げが2000年代の江原啓之によるスピリチュアル番組の検証だ。研究の動機ともなったジャンルであり、霊能力全肯定による奇跡と感動のあやうさを全力で衝く。

オカルト番組の定義から終焉まで、緻密な調査をもとに入り組んだ論説が展開されるが、視聴率や制作本数のデータは明かされず、〝なぜ消えるのか〟という根拠を受け入れるべきか、戸惑いもつきまとう。しかし、その一因「現実世界とオカルトの地続き」は実感することが多い――。

フェイクニュースや陰謀論といった言葉が飛び交う今日このごろ、信じようと信じまいとオカルト番組を享受してきた人間を刺激し、思考に導く、アクチュアルな一冊である。
この記事の中でご紹介した本
オカルト番組はなぜ消えたのか 超能力からスピリチュアルまでのメディア分析/青弓社
オカルト番組はなぜ消えたのか 超能力からスピリチュアルまでのメディア分析
著 者:高橋 直子
出版社:青弓社
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「オカルト番組はなぜ消えたのか 超能力からスピリチュアルまでのメディア分析」出版社のホームページはこちら
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