澁澤龍彥×野坂昭如  エロチスム・死・逆ユートピア 『週刊読書人』1971(昭和46)年1月4日号(1月11日号合併)1~2面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年4月7日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第858号)

澁澤龍彥×野坂昭如 
エロチスム・死・逆ユートピア
『週刊読書人』1971(昭和46)年1月4日号(1月11日号合併)1~2面掲載

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1971(昭和46年)新年号
1面
 マルキ・ド・サド研究家、異端文学探求者として知られる特異な仏文学者渋沢龍彦氏と、「エロ事師たち」など常にエロチスムの極限を作品世界で構築する作家野坂昭如氏は、鎌倉の渋沢邸で初お目見え。世紀末的様相が濃くなっていく一九七一年の新年に「エロチスム・死・逆ユートピア」なる談義がつづけられた。

まずは、おふたりに少なからぬ因縁のあった三島由紀夫の死をめぐって……。


名前は当時の表記に準拠しています
第1回
建て前と本音の再確信 三島さんはポテンツの高さを持続

エロ事師たち(野坂 昭如)新潮社
エロ事師たち
野坂 昭如
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野坂 
 三島さんと「中公」でいちばん初めに対談したときに、ぼくは親しくお話をするのはそのときが初めてだったんですけれども、ひとの顔を見たとたんに、きょうは、国家とエロチシズムについて野坂さんとお話をしましょうと言うんですね。それでぼく仰天して、こっちはふつうにしゃべればいいのかと思っていたら、はっきりテーマがきまっていて、とうとうと述べられて、それが何を言ってるのか、ぼくにはよくわからなかったんですね。
それで、あまりのふがいなさに腹を立てて、二番目に会ったときは、学生運動みたいなことから日本人意識みたいなことをしゃべっていたんだけれども、そのときは、なんとなく、いくらかしゃべったような気もするんですけれども、一ぺんガッチリしゃべってみようと思っていたら、三島さんが亡くなってしまった。もう一ぺん話をしてみたかったみたいな気持ちが、とっても強く残ってますね。
渋沢 
 しかし、さっきもしゃべっていたんですけれども、三島さんの死を肯定か否定かというみたいな言い方でとらえるんですね。どういうんだろう。とくに「朝日ジャーナル」なんていうのは、いやらしい限りだな。
野坂 
 ちょうどある新聞に、三島さんが行動学を書いて、ぼくが逃亡学を書くということを、亡くなる一週間ぐらい前にたのまれていて、三島さんは、こんどの原稿は少し早く渡すからとおっしゃっていたそうですが、けっきょくその原稿は渡さないまんまで死んじゃって、ぼくは逃亡学を書いているときに、あのニュースが入ってきたんですよ。
渋沢 
 逃亡学ってどういうんですか。
野坂 
 自分自身の中の逃亡みたいなことだろうと思うんです。それで、もう亡くなったあとでぼくはテレビ見たんだけれども、三島さんのビデオテープなど、何べんも繰り返されているのを見たら、うちへ電話がかかってきたんですね。そのときに、ほかの人に出てもらって、ぼくは一切うちにいませんという格好で、ぼくは行動していない。コメントから逃亡しているなと思いながらやっていたんですけれどもね(笑)。
渋沢 
 とにかく、あのニュースで、いわゆる三島ショックが相当広範囲にわたっていて、日ごろから、いいかげんに生きている人が、なとなく振り返ってみようという気には、かなりなっているんじゃないかしら。ぼくはあの人は、驚嘆すべきぐらいのポテンツの高さを持続した人じゃないかと思うな。だって、みんな小説書いて、お金が入って、楽しく生きていれば、もうそれでいいわけでしょう。それでよくなかったのですね、あのひとは。福祉国家じゃないけれども、経済大国になっても、人間は何か、それ以外のものがあるんじゃないかということを考えさせたんじゃないですかね。
野坂 
 ぼくの場合は、まさに三島さんのそのストイックな生き方と対照的に自分でも、ダラダラ生きていたっていいじゃないかみたいなことをことさら言ってましたけれども、そういうふうに言いつつ、外国へ行って、背筋を曲げて、だらしなくジーパンをはいて、デレデレ歩いている日本の若者を見ると、もう少しちゃんと歩け、みたいなことが言いたくなってくるとか、軍隊なら軍隊というものについて、一応の拒否を自分では表明しているけれども、現実に六一戦車なんかゴーゴーと走ってくると、背筋がしびれちゃうんですね、集団が歩いてくるとともに。かなりぼくは自分の中に、つまり戦争に負けたというのは、それまで培われていたことを一応戸棚にしまうみたいな格好で、すぐ新しい時代に……まあ食うことが先決問題だったから、とくに新しい時代を意識したわけじゃないけれども、長く生きていままできて、いま現在、ぼく自身は、やれぐうたらぐうたらしているほうがいいとか、なんだかんだということを言っているけれども、戸棚にしまってあった部分が、ときどきひょいと顔を出してくるのに気がついていて、これはだいぶ建て前と本音が違ってきたなと思っているところへ、三島さんのことがあったでしょう。腹切りとか、あるいは檄文とか、辞世とかいうのを読んで、ちっともびっくりしないんですね。
渋沢 
 そうです。ぼくも全然おどろかないな。ぼくなんか、三島さんのあれを聞いたときに、ほんとうに、やっちゃったなと思ってね。なんか非常に悲しいような、なつかしいような……なんていうのかな、この感じは。びっくりはしなかったな。
野坂 
 三島さんだから切腹したということよりも、人の死に方の一つに切腹という死に方があったということについては、やれグロテスクだとか、あるいは非常に突拍子もない死に方だというけれども、ぼくらは切腹というと、必ず武士は切腹するものだし、それから、だいたいあれ、いつもサクラの花かなんか散りかかってきれいなシーンになっていたから、むざんな感じがあんまりないんですね。
渋沢 
 むざんな感じはないですよ。外国に日本の影響がどうとかこうとか言う人がいるけれども、そんなこと考える必要ないと思うな。外国人のなかに、必ずよく受け止めている人がいると思いますよ。とにかく日本人は、経済成長だかGNPだか知らないけれども、トランジスタをつくっている人ばっかりが日本人じゃない。そういうことを知らせただけでも、ぼくは相当いいことだと思うな。これは常識の問題じゃなくて、それをわかっている人というのはいると思うんだ。しかし、わからなくたっていいんですよ。なにも外国にわからせようと思って死んだわけじゃない。三島さんがいつも言ってましたね。自分がわかられる必要ないって。
野坂 
 とにかく辞世を詠むと、「なんとかで吹く小夜嵐」とか、おっそろしく月並なことばが出てきた。
渋沢 
 月並ですね。ぼくはあれはちょっと驚いたくらい……(笑)。
野坂 
 三島さんが言っていることだけど、死を思い定めたときに、辞世という格好でやったら、文学的なものなんか、できるわけないというような感じしてますがね。
渋沢 
 できるわけないですね。檄文のことについても、あれは三島にしてはあまりにも月並だという批判があるけれども、そういうことは、もう全然関係ないんじゃないかなァ。
野坂 
 三島さんの、たとえば面と向かってなま身で言われると、むしろそれに反発するという感じがあったんだけれども、ああいうふうな形でやられると、死そのものが、ちょうどぼくの中にあった、それはけっして三島さんの憂国の志に感動したわけじゃないけれども、ただ、死に方とか、死にまつらういろんな儀式を、すんなりこっちが受け入れていることを自分で認めて、それでこれはぼく自身、そういう部分をこんどちゃんと確認していかないといけないみたいな、なんとなくこっちの古キズをひっぱり出されたみたいな気がしますね。だから、エロチシズムに殉じたのか、クーデターがどうとか、そんなことは知ったこっちゃないんで。
渋沢 
 あの人については、ぼくは、イデオロギーは全然もないにする必要ないと思ってますけれどもね。あの人は何にも信じてないんじゃないかな、ほんとうのところは。自分で言ってるものね。思想とかイデオロギーとかいうものは何ものでもないって。「豊饒の海」は、それを証明した小説だと思いますね。
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