澁澤龍彥×野坂昭如  エロチスム・死・逆ユートピア 『週刊読書人』1971(昭和46)年1月4日号(1月11日号合併)1~2面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年4月7日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第858号)

澁澤龍彥×野坂昭如 
エロチスム・死・逆ユートピア
『週刊読書人』1971(昭和46)年1月4日号(1月11日号合併)1~2面掲載

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第2回
戦後25年はうわの空 日常を非日常に逆転した

野坂 昭如氏
編集部 
 三島さんは、戦後二十五年はからっぽだったということを言っていらっしゃいますね。野坂さんにとって戦後二十五年というのは、どういう時代だったのですか。
野坂 
 三島さんの場合は、戦争が非日常で戦後が日常だというけれども、こっちの場合は戦争中が日常であって、いまの平和な時代がむしろ非日常みたいな、こんな平和が続くのはおかしいじゃないかという気がいつもあるわけですよ。
渋沢 
 それは三島さんと同じ考えじゃないですか。けっきょく。だから三島さんも、戦中が非日常ですか、それで戦後の日常世界では、みんな約束事とかなんとかいうのを持ってやってるわけだけれども、あのひとは、どうにかしてそうじゃなくあってほしいという気持ちであったわけで、そういうことを言っているんでしょう。それで最後は、日常を非日常に逆転しようという気持ちを実現したわけじゃないですか。死ぬことによって。
野坂 
 戦後二十五年はぼくにとって何だと言われても、まだそんなふうに整理して考えたことないんだけれども、ときどき、何もかも全部ひっくるめた上で、たいへんうわの空みたいな感じがすることがありますよ。確実なのは、それこそ三島さんの驥尾に付すわけじゃないけれども、八月十五日はとっても確実に手ざわりがあるんだけれども、それから、いわばぼくは焼け跡・闇市と言っているけれども、この焼け跡・闇市の中で経験した、何かそこでもってつくられた、ぼく自身のちっちゃな世界みたいなものを、そのままずっと持ちこたえてきていたような感じで、だからその世界のインチキさというか、ぼく自身がそんな、焼け跡・闇市派なんて口にしちゃったんですね。それは風化してくるにきまっているんで、そこのところにあるのは何かと言ったら、戦前というか、戦争中のさまざまな物事のほうが、日を追うに従ってはっきり浮かんでくるみたいなね。少年時代に対するノスタルジーが、あるいはあるのかもわからないし、ぼく自身がかなり過去執着型だから、そう思うだけの話かもわからないけれども、ひどく明晰な世界として残っているみたいな感じがするんですけれどもね。そのあとのこっち側のほうは、どうも、たとえばぼく自身が小説書いて飯が食えるということも含めて、なんとなく、これはほんとうなのかなという感じが、年じゅうしているわけなんですけれどもね。
渋沢 
 戦中というのは、ぼくら、かなりこどもだったからな。
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