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更新日:2019年4月7日
/ 新聞掲載日:-0001年11月30日(第858号)
澁澤龍彥×野坂昭如
エロチスム・死・逆ユートピア
『週刊読書人』1971(昭和46)年1月4日号(1月11日号合併)1~2面掲載
第3回
日常的・観念的な死 いかに生きるかはいかに死ぬか

渋沢 龍彦氏
野坂
あのころ、たとえば軍隊に行くということは、お考えになったことあるんですか。渋沢
そういうことを考えました。海軍兵学校を受けたもの。やっぱり、二〇歳ぐらいでバタンと断ち切られるということしかなかったですね。将来というものはまったくなかったですね。だけどそういうことをはっきり意識したのは、太平洋戦争が始まって、自分が高等学校に入ってからであって……その前は、本当に十代の十二、三のときは、こどもだから、全然そんなことは思わない。やっぱり十五、六から上にならなきゃ考えないでしょう。そうすると、ぼくらの戦中は、そんなに長いことないわけですよね。だから戦後がどうとかこうとか言うけれども、しかし、もう戦後のほうが長いわけでしょう。戦前よりも、われわれ。三島さんなんかの場合、確かに戦前というものが相当大きな比重になっていると思いますけれどもね。状況とか、時代とか、断絶とかいう考え方は好きでなくて、どうもよくわからないんですよ。気質の違いじゃないかな。ただ、戦前の風俗的なものなんていうのは、ぼくにはものすごくいっぱい残っているわけですよね。大正時代のようなものとか。ぼくは大正時代に生きてないけれども、大正時代のものとか、昭和の初期のものとかいうのは趣味として残っている。しかしそれは、あんまり生き方ということと関係ないみたいな感じだな。野坂
ぼくらの年代では、軍人になるとかならないとかじゃなくて、なんだか一種の自然死みたいな格好で死が用意されていましたね。軍人を選んで、お国のために死ぬという、そんなややこしいことじゃなくて、老衰して死ぬと同じように、人間は、男の子は戦争で死ぬ。そういうことだったから、死ぬことというのが、とっても日常的な、ただしおっそろしく観念的な死で。渋沢
観念的です。だって、ぼくらのあのころは、夜寝る前なんか、操縦桿でグッとこういうふうにやって、とにかく突っ込んで死ぬ。おれはそういう事態に立ち至ったらどうなるか。やらなきゃいけないわけで、とにかくやらなきゃいかん、覚悟をきめなきゃいかんと、ぼくは毎晩毎晩寝る前にそう思ったな。野坂
ぼくはそこまでも至らないような……ぼくは目が悪かったから、操縦桿を握る立場にまず立てない。それで何で死ぬかといったら、けっきょく斬込隊というやつだろうと思った(笑)。それも年がまだ十四だったから、しかも本土決戦がおっそろしく近くなってきちゃったんで、たとえば本土決戦のところで死ななきゃならないみたいな感じがあったんですよ。それは焼ける前ぐらい、そういう意味のことを考えていて、焼けて、一ぺんジャカジャカ人が死ぬのを見たら、こんどはこわくなっちゃって、本土決戦は当然太平洋岸で行われるだろうと思って、ぼくは日本海のほうへ、福井県へ逃げて行ったみたいな、つまり本気でそれを思っていたんですね。それが急に死ななくてすむというふうになったときの、あの異様な、喜びでもないし、といって虚脱感でもない、ヘンテコリンな感じというか、もうすぐ死ねばいいんだと思っていたのが、なくなっちゃったという。渋沢
それはなんとも言えない感じですね。ぼくも、喜びが全然ないかというと、やっぱりありましたね。だって空襲になると、暗くしたりなんか、いろんなめんどうなことがあったでしょう。あれが全然なくなったから、ほんとうにこんな楽なことでどうなるかと思ったな。それからもう一つ、空襲で、人の死ということがまったくめずらしくなくなりましたね。そこらへんにゴロゴロ死んでるんですからね。ただ、ひるがえって、現在の問題になってくるとどうなんですかね。とにかく戦後は、ヒューマニズムですか、死ぬことはものすごくいけないというふうになっているわけでしょう。われわれはそう簡単に死ぬことはないけれども、しかし、いかに生きるかということは、いかに死ぬかとおなじことじゃないんですかね。そのへん、観念的に思われるかもしれないけれども。
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