澁澤龍彥×野坂昭如  エロチスム・死・逆ユートピア 『週刊読書人』1971(昭和46)年1月4日号(1月11日号合併)1~2面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年4月7日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第858号)

澁澤龍彥×野坂昭如 
エロチスム・死・逆ユートピア
『週刊読書人』1971(昭和46)年1月4日号(1月11日号合併)1~2面掲載

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第4回
根強いマゾヒズム セーラー服にコンプレックス

渋沢 
 野坂さんという方は、小説の中でいわゆる日常性を描いているけれども、でも、ものすごい観念的な小説家であるというふうに、ぼくは勝手に解釈しているわけです。非常に観念的ですよ。死ぬこととか生きることとかいうことが発想のいちばん根本にあって、それで物語が始まっているんじゃないかという感じがしますね。
野坂 
 渋沢さんのそういうおことばを何かのときにちょうだいして、そうかなァと思ったんですがね(笑)。どうも自分ではよくわからないんだけれども、ただ、自分で死ぬのがあんまりこわいから、あした死ぬかもわからないというふうに思い定めて、そんな思い定め方というのは非常に甘ったるいものなんだけれども、そのためだかなんだか、「夜半に風は吹かぬともがな」とか、「朝の紅顔、夕の白骨」ということばが、とてつもなく、ぼくの場合は骨身にからんでいるんですよ。だから一週間ぐらい前に、十二日に渋沢さんとお目にかかるということを考えたって、はたしてそういうことがあるのかなということが、まるで強迫観念みたいにあるんですね。ぼくはだれそれに会うというふうに約束しちゃうと、年じゅうそのことを考える。十二日に渋沢さんに会う。そこのところに全部収斂されているみたいな感じになってくるんですよ。
渋沢 
 じゃ、それは相当終末観的じゃないですか(笑)。
編集部 
 野坂さんの文学は観念的だというのはどういう点でですか。
渋沢 
 それこそまた、さっきのエロチシズムの問題になっちゃうけれども、そのことでいちばん感じるわけですね。というのは、エロの種々相がありますけれども、非常に極端な極限なんですね、いつも。お書きになっていることが。だから肉体の行為そのものにはまったく関心がなくて、エロというものを考えている、、、、、ことに関心がある。でも、エロというのは本来そういうものであって、いくらやったってちっともエロじゃないんで、これは動物と同じ。やらないで、考えていれば考えるほど燃焼がはげしくなるというのがエロだから。そういう意味で観念的だと思うわけですね。
野坂 
 ぼく自身、春本を書きたいという気はあって、春本の場合は行為をちゃんと書かなければいけないわけだから、そのときにはちゃんと書いてみようと思っているんですけれども、一つ悩みなことは――これは梶山さんに言ったら、このカマトトと言って大笑いされたけれども、感情移入が強すぎるのか、ぼくのあらまほしい性的行為の一部始終を書いていると、腹が立ってくるんですね、ぼくの書いている男に(笑)。こいつこんなうまいことした、なんて。
渋沢 
 その主人公にですか。
野坂 
 主人公に。いま「ハレンチ学園」やなんかで、あまりにセーラー服をまくりあげるのがはやったんで、たいへん困っているんだけれども、もともとぼくは、セーラー服願望はとても強いんですよ。ある男がセーラー服の女を無理やりに強姦するというシーンを書き始めると、ぼくは、この男にこんないいことをさせてなるものか(笑)というような感じになって、書けなくなっちゃうようなところがある。
渋沢 
 しかしセーラー服というのは、あなたの場合、そんなにコンプレックスみたいに固定してますか。ぼくなんか、セーラー服というのをときどき考えるんだけれども、あんまり考えると、またこんどは別の……たとえば看護婦さんとか…しょっちゅう変るな、イメージが。
野坂 
 ぼくの場合はセーラー服の実感なんか何も知らないですよ。女学生と話したこともない。ただ、セーラー服というのは男を拒否する存在であると、まず頭で考えているわけですね。つまり女学生の蔑視する目というのがあるでしょう。ぼくは前に「張満谷はりまや」という名前だったんです。しかもぼくは「昭如あきゆき」でしょう。上から読むと「ちょうまんこくしょうにょ」なんですよ(笑)。あの時代に、「張満谷昭如」というのを胸につけて電車に乗るでしょう。そうすると必ず、ぼくの名前に気がついた女学生たちが、目引き袖引きして、あの人、朝鮮ちゃうやろかしらというようなことを言っているように思えるわけですよ(笑)。ぼくの中にその当時、とくにあったわけじゃないけれども、差別感があったから、自分が朝鮮に思われていることはいやであるのと、なんともいえないいやらしいというか、それこそ手を触れてはならないものを見るような目つきというのが、いまだに残っているんですね。かなりそうなると、あっさりわかるマゾヒズムになってくるんだけれども、どうもぼくの場合は、それが強く残っているんだと思う。
渋沢 
 マゾヒズムというのは、相当根強いものなんですね。でも、ぼくなんかあれだな、女学生というのは、かなり大きなポイントとして黒いくつ下ですね。くつ下をはいていない女学生がいるでしょう、夏なんか制服によって。あれはどうしても、くつ下はいていたほうがいいな。
野坂 
 ぼくは一ぺん先生を、女学校に行って……
渋沢 
 やったんですか。
野坂 
 いや、やったことはないですけれどもね(笑)。
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