澁澤龍彥×野坂昭如  エロチスム・死・逆ユートピア 『週刊読書人』1971(昭和46)年1月4日号(1月11日号合併)1~2面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年4月7日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第858号)

澁澤龍彥×野坂昭如 
エロチスム・死・逆ユートピア
『週刊読書人』1971(昭和46)年1月4日号(1月11日号合併)1~2面掲載

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第7回
世界も人間も悪くなる ユートピアは排撃すべき

渋沢 
 しかしユートピアなんていうのは、ぼくはいまや排撃すべきものだと思うな。このごろユートピアなんてきらいになってきた。というのは、このごろ、未来学とかなんとかいうことを言い出したでしょ。だから逆のユートピアしか、いまはやることないですよ。とにかく人間はみんな悪くなるにきまっているし、世界もみんな悪くなるということじゃないですかね。よくならないよ、どう考えたって、これから先。そんな理想的社会ができますかね。どう?できないでしょう。
野坂 
 ぼくはそういうことを考えたことないですしね、理想的社会というものを。ユートピアということについても、あんまり考えなかったですけれども、ただ、それこそそういった逆ユートピアのほうが、お互いさま、気が楽というか、あんまり変なことを考えなくてすむという感じがするんです。ほんとうにもうすぐ、具体的に、たとえば酸素がたりなくなるとか、そういう地球的規模でいろんなことがおこってくると、おもしろいことになりますね。何とか地方は酸素がたりなくなって、みんな死んじゃったなんていう……。
渋沢 
 でも、公害学者なんていうのは、もう何年かで死ぬと言っているわけでしょう。人類が全部。
野坂 
 つまり、人間の未来とかなんとかじゃなくて、けっきょく、てめえたちのむすことか孫とかを殺して、こっちは生きているわけだから、これほど実り多い人生はないですね。これでおしまいなわけでしょう、もう。
渋沢 
 だけど、いいじゃないですか。
野坂 
 だから、そんなけっこうな世の中にあえらく思えば(笑)なんとも、生けるしるしありというか、こういうぜいたくなことをしてもいいのかしらという気もしますね、ときどき。
渋沢 
 だからいま、世界中の蓄積というものを全部開放すればいいんですよ。
野坂 
 彗星が近づいてきて地球が粉々になっちゃうとか、核戦争が起こってボカボカッというのは、どうも見る機会が少ないからあれだけれども、酸素は、じゃ大丈夫にしても、得体の知れない病気がはやって、往年のペストみたいな。それでこっちもおどろきあわてながら生きられる世の中が、もうすぐくるのかと思うと、非常に興奮する。たとえば人口胎盤なんていうものがあるでしょう。たとえば試験管ベビーがオギャーと出てきたら、おれ、こいつの顔見てみたいと(笑)。だから好奇心の対象がたくさん出てくるんですね。
渋沢 
 ぼくは試験管ベビーは非常に興味があるんだな。あれになったら、もうヒューマニティというものは全部ご破算になるんじゃないですか。しかし、ご破算だとかなんとかいうけれども、そんなガラッとは、世の中というのは変わらないんですね。
野坂 
 知恵でも、人間の知恵というのは、なかなかそういうのを押える方向には進まないし、一ぺんできちゃったら、あとは既成の事実ということで、労働力の不足を補うためだとか、新しい奴隷みたいになってくる。そうすると、試験管ベビーがきっと革命を起こして、母体によって生きている人間は全部殺してしまえ、そういうふうになってくるだろうと思うんです。そういう時代を目で見られるというのは、実に楽しいし……
渋沢 
 そういうの楽しいですか。ぼくはちっとも楽しくないな。
野坂 
 いや、そういう世の中になって、たとえばこいつはいつお寝坊したとか、こいつはいつ泥棒に入ったかというのが、あとでわかるようになる時代がくるというのを聞くと、たいへんワクワクしますね。
渋沢 
 ぼくはワクワクなんかしないな。だって、いまが全部つぶれちゃうのが楽しいなんて思わないな。やっぱりいまの延長が楽しいわけですよ。いまのほうが楽しいですよ。
野坂 
 そういうところに自分がくみ込まれて、こっちは旧世代で、それにとてもついていけないだろうと思うけれども、ついていけない自分を見ていくということが、未封切の映画を見るみたいな気がするんですよ。
渋沢 
 それは鴨長明みたいに、新しい世の中に書き残して、死んじゃえばいいわけですよ、きっと。
野坂 
 日本人というのは、お正月精神ですね。きのうまでは大みそかで、きょうからは新玉の年に立ち返るみたいな、特別なことがおこるみたいなことを言うのが……。
渋沢 
 特別じゃないですよ。お正月にそんな特別なことなんかあったら、お正月になりませんよ。
野坂 
 だから新しい年として、ひどくきのうと違ったみたいな感じを……。
渋沢 
 違うけれども、でも、いい年を迎えましょうというわけでしょう。悪い年を迎えましょうなんて、絶対言うわけないんだから。いいお年を迎えてくださいというわけで、絶対いい年にきまっているわけですよ。悪い年なんか迎えるわけないですよ。
野坂 
 そうすると、一九七十何年の展望云々というのは、その根本には、いい年代であってほしいという願望が非常に強いから……。
渋沢 
 七一年の展望をどうとかって、そんなこと、われわれが何か言ったって、しょうがないじゃないですか。関係ない。
野坂 
 だけど最近のことで一九三〇年代に、三〇年に何が起こるかみたいな特集は、やっぱりやっていたんですかね。それをことさら最近になって言い始めたのは、けっきょく、何かわかるような気になっているわけですからね。むかしのほうがわからないと思い定めていて、いまはわりにジャーナリズムというのは、一応わかったようなふりして言っておかないとしょうがないみたいな、また、それを支えにしなければ、こんど読者はほうも満足しないみたいな傾向があるでしょう。
渋沢 
 どうかねェ。どうですかなァ。どうでもいいですね。
野坂 
 鎌倉は空気がいいですねェ。(おわり)
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