五木寛之×日野啓三×松永伍一 漂流そしてわれらの内なる日本人 『週刊読書人』1972(昭和47)年1月3日号(1月10日号合併)1~3面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年4月7日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第908号)

五木寛之×日野啓三×松永伍一
漂流そしてわれらの内なる日本人
『週刊読書人』1972(昭和47)年1月3日号(1月10日号合併)1~3面掲載

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1972(昭和47年)新年号
1面
 五木さんと松永さんは以前からの知り合いである。日野さんは、お二人とは面識がない。だが、五木さんと日野さんと日野さんには共に朝鮮から引き揚げ体験がある。松永さんは最近、タイを訪れている。日野さんも東南アジアの特派員体験がある。自然、旅の話になって。

まず、松永さんがタイになぜ行ったのか? から座談は始まった。(編集部)
第1回
箱庭的な空間意識 閉ざされた暗い感じでイライラ

松永 
 タイを選んだのは、三年ぐらいしてから書き始めるつもりの「農民思想の研究」のためだったのです。四、五千枚になるでしょうが、その序章にあたる「古代」を解剖する上で、アジアの古い農業国をまず見たかった。

バンコックをだいたい拠点にして農村部に入ったから、予想以上におもしろい経験をしましたね。日本では、三時間も車に乗って行けば、だいたい大きな山にぶつかるわね。関東平野だってそうよ。でもあそこは、いい性能の車で三時間突っ走っても、山が見えてこないんだな。
日野 
 その、山が見えないというのは、どういう感じでしたか。
松永 
 山が見えないと、ぼくはだめなんですよ。怖くて落ち着かない。
日野 
 ヘーエ。それは逆なんだな。
松永 
 地平線に吸われていくような感じになって、不安なんですよ。山があると、形を調べるような目安で物をたのしんで見れるでしょう。ところが風景が全然同じ。また全体が湿地帯なので、横に全部放水路があって、人が船で行ったりきたりしている。家も、ヤシの葉でふいた単純なものが点々とあるだけ。そこにアヒルがガアガアいっているのが見える。変化といったらそれぐらいだもの。だからそんな空間はとっても不安ですね。やっぱり、大陸的な生活経験のない人間の弱さというか、脆さというかね。
五木 
 その話はおもしろいね。ネコがよく車にひかれるでしょう。あれは、広いところに置かれると、ネコは立ちすくんでしまう。ネズミもそうらしいですよ。
松永 
 そういえばね、道路にネコの死体とイヌの死体がいくつもころがってたな(笑い)。車に紫色の大きな鳥がバーンとぶっかってくる。こっちは壮大な自殺行為と関係しなくてはならない。そこへいくと日本では木があって、山があって、家があって、鳥が鳴いて、川が流れてというのが平均的な空間になっているでしょう。
五木 
 いわば箱庭的な…。
松永 
 箱庭的なものを自然の典型と考えている自分の前に透き通った空のどこかから紫色の鳥がバーンとくるわけですよ。こっちの心情のオドオドしてる部分に復讐してきたとおもえるから、気持ちが悪くて、その晩そんな夢みるもの。だから、おもいがけないところで自分の性格をまず見ちゃった。
五木 
 日本人の空間意識というか、そういうものがそこで露呈されるわけですね。それは日野さんはどうでした?。日本に着いて日本の村なり郷里に帰っての印象は。
日野 
 ぼくの小学校、中学校育ったのは朝鮮ですから、そんな満州のような大平原の中で育ったわけじゃないんですけれどもね、山にしても、木があって、なんとなくやさしい山じゃないですよね、岩山であって。川でも冬になれば凍って、トラックが渡れるし、ぼくは、小学校のときは洛東江、中学校のときは漢江の岸に育ったんですが、こちら岸に立つと、向う岸は見えなかったような感じがするんですよ。
五木 
 少くともかすんでましたね。
日野 
 かすんでたですね。やっぱり広いんだな。空間が広くて取り囲まれてなくて、息苦しくないんですね。それが日本に帰ってきて、引揚船ではじめて九州の港に入ってね。
五木 
 右が背振山脈。
日野 
 それから島があるわけだ。その島が、床屋に行かなかった頭みたいに、木と草がこんなに茂っているわけでしょう。そのとき圧迫感感じた。着いてから、広島のいなかに帰ったんですけれどもね、山がすぐある。その山がほんとうにこんもりと茂っていて、そのこんもりと茂った中に、もののけか何かがいるような気がするしね。
五木 
 暗うつな感じです。
日野 
 暗うつですね。閉ざされて暗いという感じがしてね、非常にイライラしたんです。それが、ぼくも東南アジアに何年かたって行ってみて、メコン川の岸に立ったとき、よかったな。向う岸、見えないんだな。メコンデルタ、ずいぶん何時間も車乗って行っていても、地平線だけがある。そうすると、カラッポなものの中にポツンと自分がいて、その中に自分が溶け込みそうで、溶け込みかけながら、何かかすかに自分の手ごたえがあるというときに、なんか外界と自分がつり合っているような感じがしましたね。気持ちよかった。
五木 
 ぼくは、引揚船は仁川から乗ったんです。朝鮮半島を離れて行くときに、赤ちゃけた丘陵というか、小山というか、木がはえてなく、赤っぽい色をした山がずうと離れていくとき、自分がよそへ引き裂かれていくという実感が非常に強かった。

博多に着いて、帰った郷里が、けっきょく非常に小さく区画整理されている土地なわけです。段々畑というのがまず不思議だった。それに夕日が沈むのが見えないわけですよ、右を見ても左を見ても。いちばん最初に住んだのは、熊本県と福岡県の県境の、とくに山奥なんですけれども、孟宗竹のうっそうたる竹林が前後にあって、その中にへばりつくようにして部落がポツンポツンとあるんですね。とにかく、右見ても左見ても、山はだが見えるわけ。杉木立なんていうのが、実に不気味なんですね。そこの中を通り抜けて行くということが。とにかく息が詰まる。夕日が沈むのが見えないというのは、なんとしてもぼくにとっては閉ざされた、密閉された感じがしましたね。
松永 
 ぼくは、暗い森があったりする怖い空間が小さいときからすごく好きだった。いまも誘惑にのってそんなところにはやたらと行きたがる。
五木 
 小さな祠なんていうのが杉木立ちの中にあるでしょう。あんな気持ちの悪いものはなかったね。
松永 
 気持ち悪いけれども、心の深い震えがあって、ああいうのが好きでね。暗い森の中に祠があったりすると中心があって、それが支えになる。だからタイみたいに、三時間行ったって空とみどりの……稲作地帯の同一的空間に圧迫されたようで、そわそわしてだめだった。
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