遠藤周作×井上ひさし ヘナヘナ人間 文化論 『週刊読書人』1974(昭和49)年1月7日号(1月14日号合併)1~2面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年4月14日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第1011号)

遠藤周作×井上ひさし
ヘナヘナ人間 文化論
『週刊読書人』1974(昭和49)年1月7日号(1月14日号合併)1~2面掲載

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1974(昭和49年)新年号
1面
 「死海のほとり」「イエスの生涯」で話題を呼び、“ぐうたらシリーズ”ブームの遠藤周作氏。一方、「珍訳聖書」「四十一番の少年」などで新しいユーモアを追求する井上ひさし氏。話は井上さんのモデルの神父さんの話しから始まる。(編集部)
第1回
建て前と本音の再確信 三島さんはポテンツの高さを持続

死海のほとり(遠藤 周作)新潮社
死海のほとり
遠藤 周作
新潮社
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遠藤 
 井上さん、このごろあれに会う? あなたのモデル、上智のリーチ神父さんに。
井上 
 そうですね、二か月に一ぺんぐらい。
遠藤 
 おこられる?
井上 
 たいへん迷惑してますとか。
遠藤 
 やっぱり言われる。
井上 
 でも、ニコニコしながらですけれどもね。
遠藤 
 ぼくもかなり、モデルなんかにしてしかられたり、それこそ「死海のほとり」なんか、上智を背景にしたんですけれども、あのリーチ先生の場合は、それほど害は与えてないね。
井上 
 そうですね。ただ、ぼくが、金をたかった話をだいぶ書いたものですからね。
遠藤 
 だってそれは、彼にとって徳になりこそすれ……。
井上 
 ただ、いまやっぱり金を借りにくるのがいるらしいんですね、あれを見て(笑い)。
遠藤 
 あの人は、しかし、こわかったでしょう。
井上 
 日本語が達者なわりによくわかんないんですね、言ってることが。最初は九割ぐらいわかんないですね。それで、すぐ怒り出すものですからね。
遠藤 
 怒るね。ぼくは、上智で教師をしてたとき、彼の部屋に呼び出されてだな、一体何を教えてんだというわけだよね(笑い)ぼくはフランス文学を教えるという約束で行ったんだけれどもさ、そんな、あなた、キリスト教を侮辱したような、アンドレ・ジードなんていうのはとんでもない話ですよ、ロマン・ローランを教えなさいとかね。それから、だいたいあなたは、九時の授業に、九時四十分ごろくるというじゃないですかと言って、ものすごく叱られてたな、それでもぐうたらぐうたらしとったら、一年後に、もうこんでよろしいという通達がきて、クビになってしもうたんだよ。だからぼくは、リーチ神父さんというのは、半分恐怖の対象であり、半分しかし、なつかしい気持ちを持っておるんだけれどもね。
井上 
 ぼくはよく、遠藤さんのことを聞きましたですよ。あの先生が、なんか誇らしげに。自分が上智へ引っぱってきたみたいなことで。
遠藤 
 いや、ひどい教師だと言うとったでしょう。ぼくが教えていたころは、まだ日本語がそれほど達者でないから、怒ると何を言ってるのか、よくわからなかったけれどもね。
井上 
 でも、リーチさんが遠藤さんにそれを言う資格ないですよね。あの人は、もう最初の五分ぐらいですから、まじめにやってるのは。あとは全部脱線ですからね。それはもう怒れないですよ。
遠藤 
 ぼくはやっぱり憎まれているな、上智なんかからは。
井上 
 そうですか。
遠藤 
 「沈黙」のときなんか吊し上げ食らったりして、上智へ呼び出されて。それから「死海のほとり」は、さすがに憎むというほどじゃないですけれども、カトリックの出版社で積極的に売らんという方針をとったね。
井上 
 でも、こんどの遠藤さんの「イエスの生涯」なんていうのは、積極的に売ってるみたいですね、カトリックの本屋で。
遠藤 
 だまされたんじゃないか(笑)。「イエスの生涯」という題で、中あけて見たら、すごく怒ってるんじゃないか。だって、カトリックの出版物を見たら、こんどの「イエスの生涯」、「死海のほとり」、ローマ法王庁から警告があるだろうなんていうのがあったりね。
井上 
 変にまじめな人が多いですからね。
遠藤 
 だいたいにおいては、未信者にとってはいい本かもしれんけれども、信者を混乱せしめるという考え方らしいのだ。
井上 
 未信者は混乱するけれども、信者は混乱しないというのはわかりますけれどもね。
遠藤 
 だからね、半分は悪くないことを書いてあって、あとの半分が非常に悪いことを書いてあるので、それが分離しているならいいけれども、一応つながっているので、非常に困るというわけだよ。これが全部悪いことだったら黙殺したり、悪い本だといって切り捨てられるんだけれども、ああいう本は、かえってカトリックにとっても都合が悪いんじゃないかな。
井上 
 ぼくは遠藤さんの読ましていただいて、やっぱり孤児院に入っていたとき、マリアさまに対する信仰だけだったわけですよね。やさしいという感じがしたんです、カトリックというのは。それで東京へ出てきて……これはまあ、遠藤さんのおっしゃっていることをぼくはなぞっているだけですけれども、非常にきびしい、父の宗教というんですか。孤児院のときは、確かに母の宗教だと思っていたんですね。それで東京に出てきたとたん、こうきびしくなるというのはどうもおかしいと思っていたところへ、遠藤さんのお書きになったのを最近ずっと読んでみると、やっぱりやさしい母なる宗教ですよね。だから、なんかぼくはホッとして、そういう解釈でカトリックというのはいいんだなという気になってきたんですけれどもね。なんか、東京と地方のカトリックというのは、ちょっと違っていたんです、ぼくの考えでは。
遠藤 
 しかし あなたの孤児院は、とってもやさしかったの?
井上 
 とにかく、涙が出るくらいやさしかったですね、外人の修道士が。
遠藤 
 それが上智にきたら、とたんにきびしい。
井上 
 はっきり言うと、女の子にはやさしいけれども、男の子には、木で鼻をくくるようなあいさつをしたりなんか……。
遠藤 
 あれはイエズス会だからね。イエズス会というのは、男性的なきびしさを要求する部分があるんじゃないのかね。
井上 
 そうかもしれません ぼくが仙台にいたときは、ラサール会ですから、修道士だけの会ですから、ちょっと身をひそめているという感じがあるんですよね。公の席に出ると、一歩いつも退いているという。なんかそういうところが作用したのかもしれませんけれども、とってもやさしい、いい人たちばっかりだったですね。
遠藤 
 ぼくらのころもやっぱりそうかな。イエズス会の性格なのかな。神父さんも、自分にやさしく、他人にきびしいところがあるからな(笑い)。
井上 
 そうですね。仙台の人たちが、自分にきびしく、他人にきびしくというのは、けっきょく、自分にもやさしいし、他人にもやさしいということになっちゃうんですね。
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