待鳥聡史・宇野重規・苅部直・谷口功一トークイベント載録 平成の社会科学を振り返る ―――公共性からコモンズへ|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 特集
更新日:2019年3月22日 / 新聞掲載日:2019年3月22日(第3282号)

待鳥聡史・宇野重規・苅部直・谷口功一トークイベント載録
平成の社会科学を振り返る
―――公共性からコモンズへ

このエントリーをはてなブックマークに追加
第2回
翻訳不能な言葉

東京堂書店・神田神保町店には、100名近くの聴衆が集まった

谷口 
 私自身は公共性を専門にしているんですが、面白いと思うのは、この言葉は、外国語に翻訳不能なんですね。「パブリックネス」でもないし、ハーバーマスの本のタイトルにもなっている、ドイツ語の「オッフェントリヒカイト」は、英語では「オープンネス」という意味でしかない。だから、公共性あるいは公共という言葉は、日本独自の議論文脈の中で使われているところがあるんじゃないか。今の話を聞いていて、改めてそう思いました。その意味では、平成三十年間の社会科学の流れの中で、この言葉を顧みるのも、意味があることだろうと思います。

ここからは各章の紹介、そして印象に残った論文について、ひと言ずつお願いします。
待鳥 
 第六章「コモンズとしての政党」を書きました。まさに応用篇です。私自身は政党や議会の研究をしてきたこともあって、政党という存在が行きづまっているという意識が、まず大前提としてあります。先程話題に出ましたが、日本の場合、平成の三十年間は、政党のあり方を変える、あるいは政党間競争のあり方を変えることを、一所懸命やってきたわけです。では、政党というのが現状、どうなっているのかといえば、「オワコン」になりつつある印象が強い。それならば、政党がなくなったらいいのか。そうではないと思います。今までと同じでは使えないが、政党という枠組みが、政治の中で果たしている役割は消え去るわけではない。どうやって、今とは別の意味あるユニットに変えていけるのか。そのことを考える際に、コモンズの概念が使えるのではないか。二〇世紀の政党モデルでは、中にいる人間が、一方では自己利益をひたすら追求しつつ、他方では組織運営のために自己犠牲が求められてきた。そして、利益が犠牲を上回ると存続し、成長する。それとは違ったタイプの政党像が、コモンズという観点から描けるかもしれないということを、今回は書いています。

「印象に残った章」についてですが、編者としてはどの章も魅力的です。是非、通してお読みいただきたい。その中でも、研究会の報告を聞いた時から面白いと思ったのは、苅部さんの「近代日本における「共有地」問題」です。宇野さんの話にも出てきましたが、コミュニタリアン的なものとコモンズをくっつけて考える、そうした考え方が根強くあり、そのことを含めて、苅部さんならではの筆致で書いている。とても興味深く拝読しました。
苅部 直氏

苅部 
 僕が書いた第二章「近代日本における「共有地」問題」は、日本の農村に伝統的にあった「入会」の慣行をめぐるものです。その村の人なら誰でも、一定のルールを守りながら共有地に入って、ワラビや薪を取ったり、木を伐ったりできる権利がある。この入会を、コモンズの先駆的形態として再評価するような本や論文は、第二章の注でもふれた通り厖大な数にのぼります。そこで視点を変えて、大正・昭和の時期に入会がどう論じられてきたのかを調べてみたら、おもしろい問題につきあたりました。注目したのは、戒能通孝という法学者です。戒能は小繋事件という入会権の裁判に関わるために、東京都立大学の教授を辞めて弁護士になった。
その『小繋事件』(岩波新書)という名著が数年前に復刊されています。これを読むと、地主が共有地を私有化し、ヤクザをそこに貼り付けて村人が入るのを阻止したので、衝突事件が頻繁に起こる。また地主が村人に焼酎を配って懐柔し、分裂させようとする。入会権を守るのは生やさしいことではありません。それはコミュニティに根ざした権利ではあるけれども、一人ひとりが自分の生活を守るために、地主と闘っている。

入会をめぐる紛争について戒能が論文を書いたのは戦争中のことですが、結果として、戦後民主主義の源流の一つにもなった。戦時中の論文で、個人の権利を守る営みが「国民」どうしのつながりの意識を支えるという議論を展開しています。同じ時期の丸山眞男や大塚久雄の問題関心とかなり近い。戒能は東大法学部での丸山の七年先輩で、丸山が学生・助手時代にマルクス主義の読書会を密かに開いていた時のメンバーでもありました。「忠君愛国」のモラルとは異なる、対等な共同体としてのネイションの紐帯を作りあげる道を、入会権を守って闘う農民たちを出発点として考えようとした。

しかしこの本、僕のものも含めて、ぎすぎすした内容のものが多いですね(笑)。特にぎすぎすしているのが、谷口さんの「ミートボールと立憲主義」と、田所さんの「保留地というコモンズの苦悩」かなと思います。これを公共性とコモンズの違いという点から考えると、「公共性」の場合、はじめに東京都民・千代田区民といったメンバーが決まっていて、その中で議論するというようなイメージがあります。しかしコモンズの場合は、宇野さんのお話にもあったように、入会地のような具体的な場所や事柄から出発して、それに関わる人たちをどう選別し、管理するかという課題に焦点をあてる。そのことが、この本の論文ではさまざまな形で論じられているように思いますね。
宇野 
 コモンズについて専門の研究者ではない私が、このお題を示された時、最初に何を思いついたか。論文でも触れていますが、アントニオ・ネグリです。彼は『〈帝国〉』で大きな話題になりましたが、その頃から「〈共〉(コモン)」という言葉を強調しています。『コモンウェルス』という英語のタイトルの本も書いている。フランス政治哲学に近しいネグリが、「レピュブリック」ではなく、あえてイギリスっぽい言葉を使っているのはなぜか。来日した時に、訊ねたことがあります。
1 3 4 5 6
この記事の中でご紹介した本
社会のなかのコモンズ 公共性を超えて/白水社
社会のなかのコモンズ 公共性を超えて
著 者:待鳥 聡史、宇野 重規
出版社:白水社
以下のオンライン書店でご購入できます
「社会のなかのコモンズ 公共性を超えて」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
苅部 直 氏の関連記事
谷口 功一 氏の関連記事
宇野 重規 氏の関連記事
読書人紙面掲載 特集のその他の記事
読書人紙面掲載 特集をもっと見る >
学問・人文 > 社会学関連記事
社会学の関連記事をもっと見る >