待鳥聡史・宇野重規・苅部直・谷口功一トークイベント載録 平成の社会科学を振り返る ―――公共性からコモンズへ|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年3月22日 / 新聞掲載日:2019年3月22日(第3282号)

待鳥聡史・宇野重規・苅部直・谷口功一トークイベント載録
平成の社会科学を振り返る
―――公共性からコモンズへ

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第4回
リアルな個人像

待鳥 聡史氏
谷口 
 ここからは、自由な形で議論していきたいと思います。待鳥さんからお願いします。
待鳥 
 苅部さんが「ぎすぎすした内容のものが多い」と言われましたよね。現代のコモンズを考える上で、これは否定し難い事実というか、出発点です。田所さんの保留地の話も、悲惨な現実に触れていますし、鈴木さんが論じたサイバー空間、宇宙空間の話も、揉め事が絶えない。私の子どもの頃の印象では、宇宙空間は夢と希望に満ち溢れていたはずなんですが、実際にはゴミが飛んでいるし、その押し付け合いも行われている。結局、コモンズについて考える時に、人間個々人と切り離されてしまうと美しい空間に描くことができるわけですが、実際はそうではない。公共性や公共圏の話もそうかもしれませんが、そうした概念の中に、これまでリアルな個人の要素が落ちていたんじゃないかという気がしています。抽象的な人間像や集団を考えることから出発して議論する。これは、ある理念型を描き出すためには必要なことですが、今日的な課題を考える上ではあまり役立たない。現代の問題の場合に大事なのは、具体的でリアルな個人像から考えていくことだと思っています。もしくは実際にいる人間にとって意味のある存在として、たとえばコモンズについて考えていく。であるならば、コモンズは、必ずしもいいものとしてだけ描かれるわけではない。これも当たり前のことだと思います。今回のプロジェクトは、そういう試みだったのだと考えています。
苅部 
 「公共性」という言葉は日本語以外に訳せないという谷口さんのご指摘は、考えてみるとおもしろいですね。日本語の「公」という言葉がもつニュアンスと関わると思います。たとえば「公徳」「公徳心」という言葉はよく使われますし、中国語・韓国語にも同じ漢字熟語があります。しかし「公徳」は、調べた範囲では中国古典に用例がありません。おそらく出発点は、福澤諭吉が造語して『文明論之概略』(一八七五年)のなかでキイワードとして使ったものです。それは、J・S・ミル『自由論』のなかにあるソーシャル・ヴァーチューという概念の訳語だったと思われる。人間関係のなかで発揮する道徳性という意味です。福澤の場合、これは社会の全体・長い時代の変化を見わたして判断する能力としての「公智」と組み合わせになっていて、むしろ「公智」の方が重要だと論じていた。

しかし結果として「公徳」の方だけが日常語として定着します。どうも「公」という漢字がもつ道徳性のニュアンスにひきずられて、公徳・公共心・公共性を、無条件にありがたいものだと思ってしまう傾向が、日本にはあるのではないか。そうした思い込みからいったん離れて、メンバーシップの問題などを考えるためには、コモンズ概念が有効になるでしょう。ただ、「公共性」という言葉がすでに平成末期になると古びてきたという事情もありますね。平成の最後に出てきたのは、民主党政権の「新しい公共」と、文科省が定めた高校の新科目「公共」です。ある言葉を政府が使うようになると、手垢がついたような印象が生まれて、しだいにマイナスイメージをまとうようになる。コモンズもそうならないとは限りませんから、その前にいろいろ議論しておくのが大事なんでしょうね。
宇野 
 待鳥さんとの対談で面白かったのは、コモンズというのは都市的だという話です。もっと言うと、「大阪的」だと。つまり本来の都市は、いろんな人が流れ込んで来て、都市というコモンズを共有する。しかしメンバーは、必ずしも仲がいいわけではない。それでも同じ場所で共存し、一定のルールを作りながらやっていく。しかも商人の町・大阪は、江戸と違って権力者によって作られたのではない。多様な地域から集まって来た商人たちが、自分たちでルールを定め、秩序を作っていく。これがコモンズのイメージだと、待鳥さんが言われた。その点を踏まえて言うと、砂原さんの「コモンズとしての住宅は可能だったか」を面白く読みました。日本でコモンズ論をやるとしたら、住まいの問題を語るのが一番リアルだと思います。砂原さんは、一九七〇年代から八〇年代にかけて、日本の住宅政策が大きく転換する時期を扱っていて、非常に示唆的です。公的な賃貸住宅を供給する方向から持ち家政策へと、事実上変わっていく時代です。対談でも触れましたが、アメリカだと、中古で家を買い、それを綺麗にして、価値を高めていく。周囲にある家も同様に綺麗になれば、その地域全体が美しくなり、家の値段も上がる。そこで売って、また別の家を買う。中古市場が成熟しているからこそできることです。しかし、日本ではそれができない。一旦家を買えば、重いローンを払い続け、売りたくても売れない。そのまま同じ場所に住むしかないわけです。持ち家政策の結果、都市が出入り自由じゃなくなってしまった。この辺りの現実を抜きにして、「都市はコモンズだ」と言っても、あまりリアリティがない。砂原さんは、日本の都市は、本当の意味でコモンズとしてうまく発達してこなかった、その鍵は住宅政策にあったんじゃないかという話をされている。

対談の後編で少し話したことですが、私は、学校の教室、教育現場について考えていく時にも、コモンズの概念は使えると思っています。教室というのは、学びというテーマで共有する人たちが集まって、一緒にやっていくコモンズの場ですからね。しかし小・中・高校を見ればわかりますが、四六時中一緒に過ごしていれば、嫌でもコミュニティ化する。仲良くなるメンバーもいれば、一つ間違えると、いじめがキツクなる。そのような学校を、今度どうやって改善していくか。大学だって、コモンズの面から議論したら面白い。なんでもかんでもコモンズで説明するのはよくないですが、使えるテーマは多い。いろいろなところに応用可能だと思います。
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この記事の中でご紹介した本
社会のなかのコモンズ 公共性を超えて/白水社
社会のなかのコモンズ 公共性を超えて
著 者:待鳥 聡史、宇野 重規
出版社:白水社
以下のオンライン書店でご購入できます
「社会のなかのコモンズ 公共性を超えて」出版社のホームページはこちら
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