共生のパトス 書評|大橋 良介(こぶし書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年3月23日 / 新聞掲載日:2019年3月22日(第3282号)

倫理と宗教の交わる地点
感性、他者、共同体、そして宗教の現象学

共生のパトス
著 者:大橋 良介
出版社:こぶし書房
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共生のパトス(大橋 良介)こぶし書房
共生のパトス
大橋 良介
こぶし書房
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「悲」と書いて「コンパシオーン」と読ませる。この副題にまずこだわってみたい。

「コンパシオーン(com-passion)」は、辞書的には「あわれみ」「同情」「思いやり」と訳されるだろうし、「悲苦(passion)」を共に(com)するという意味で受け取られるのが普通だろう。キリスト教においては、たとえば「マタイ福音書」などをみれば、イエス・キリストが貧しく病んだ民に癒しの奇跡を起こすとき、そこには「あわれみ」の情がその心中にあったとされている。イエス・キリストは、この情に動かされて、眼の見えない者の眼に「触れ」、眼を見えるようにする。他方で、著者が指摘するように大乗仏教の「大悲」も、英訳されると「コンパシオーン」となる。キリスト教と仏教のおそらくまったく歴史的文脈の異なる語彙が同じ単語に翻訳されている、という事態は、両宗教の異なりの中にも何か共通のものがあることを示唆しているし、それは単に偶然的に一致したということではなく、宗教の、少なくともそれを受け止める人々の宗教感情の本質的な部分の所在を暗示しているのだろう。

本書では、そのような「コンパシオーン(悲)」の「現象」の構造を探求することで、それを現代世界の危機的状況への対応とする道を探るのだが、その際、この「悲」は、やはり仏教における「空」の境位と関連させられる。いわば「空」の現象形態が「コンパシオーン(悲)」なのである。

こうした大枠を踏まえれば、本書が倫理と宗教の交わる地点、また他者論と共同性の理論の交わる地点にその記述の足場を置くものであることも容易に推察できよう。著者はそのために「現象学」を援用する。全体の構成としては、感性論、他者論、共同体論、宗教論という流れで理解できようし、「コンパシオーン(悲)」を「非―共通の共通感覚」としてとらえるものであると言ってよいだろう。

浩瀚な著書の全体を要約することはとてもできないし、あまり意味があることでもないので、いくつか読者のためのインデックスのようなものを示しておこう。著者は他者の「遠近さ」「高深さ」という奇妙な用語を用いる。撞着語法と思われるだろうが、たとえばレヴィナスが隣人としての他者の「顔」の現れに無限の絶対的な「他」からの呼びかけを見るように、最も近い隣人のうちに最も遠い他者を見るということがあるだろう。こうした一見矛盾と見える形容を用いながら、著者は他者との非共同的な共同性という事象を取り出してくる。また「局処―世界」ということが言われるが、それはこのような他者の現象の場所として、無底的な世界の自己局所化を意味するのである。

最終的には、この「悲」の現象は「空」における「ケノーシス」として提示され、そこではレヴィナスの「悲苦(souffrance)」の概念が西谷啓治の「ケノーシス」解釈と結びつけられ、両者の遠さと同時に近さが示されるのである。

著者は周知の通り、ハイデガーと西田幾多郎、ドイツ観念論についての第一人者であり、海外でも著名な研究者であるが、本書にはこれまでの著者の思想の歩みの到達点への第一歩があるように思われる。言及される哲学者は実に多岐に及び、またその叙述も多くの話題について自由連想的に飛躍するような趣もあり、西洋哲学と日本哲学、仏教思想についての相当な基礎知識がなくてはついていくのは大変かもしれない。しかし、ここで論じられているのは、意外に「単純なこと」、哲学者たちは言い損ねてきたが、それを生きるべき人たちは生きてきたような、単純なことなのかもしれない、という読後感を持つのは私だけではないだろう。

イエス・キリストは、「憐れみ」の情に動かされて、眼の見えない者の眼に「触れ」た。すると眼の見えない者は見えるようになった。眼に見えるものが何もないままに憐れみの手に触れられるというのは、どういう感じだったのだろうか。視覚にも触覚にも先立つが、しかし視覚や触覚が可能となるような、この他者との接触の根本にある感情は、哲学の言葉で置き換えるまでもないのかもしれない。信じる人はそれを生き、経験しているのだから。それでも哲学はその現象を謎として問わずにはいられないのである。
この記事の中でご紹介した本
共生のパトス/こぶし書房
共生のパトス
著 者:大橋 良介
出版社:こぶし書房
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