井上法子『永遠でないほうの火』(2016) 駅長が両手をふってうなずいて ああいとしいね、驟雨がくるね|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
更新日:2019年3月26日 / 新聞掲載日:2019年3月22日(第3282号)

駅長が両手をふってうなずいて ああいとしいね、驟雨がくるね
井上法子『永遠でないほうの火』(2016)

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「駅長」が登場する短歌はそこそこあるのだが、単なる「駅員」と違ってどうも現実離れしたファンタジーめいた存在として描かれることが多い。掲出歌もそうだし、東直子の「駅長の頬そめたあと遠ざかるハロゲン・ランプは海を知らない」(『春原さんのリコーダー』)もそんな感じだ。同じ駅職員とはいっても、一般の乗客と接触する機会がほとんどないので、どうしてもリアリティをもって描けないのかもしれない。
「駅長」はいつだって、駅長室というプレートのかかった部屋の向こうにいる謎めいた存在だ。動物の名誉駅長なんてのが全国各地にたくさんいるのも、駅長という役職が具体的にどんな仕事をしているのかわからない正体不明さのために成立しているような気がしなくもない。

掲出歌に登場する「駅長」は、われわれを導いてくれる全知全能の神様のような印象を与えてくれる。駅長が、両手をふってうなずいてくれることは、ちっぽけな人間たちを肯定してくれる許しのようだ。作者の井上法子は福島県いわき市出身である。その歌に登場する鉄道のとおる港町は故郷がモデルだろうことは想像できるし、東日本大震災と福島第一原発事故の記憶が少なからずその終末的世界観に影響もしているだろう。ただ、現実の出来事に当てはめて解釈してゆくほどに歌がつまらなく見えてしまうという傾向もある作風だ。この「駅長」は光の向こうにいる不思議な先導者としてただ思い描くのが一番いいのだろう。(やまだ・わたる=歌人)
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