JR 書評|ウィリアム ギャディス(国書刊行会 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年3月23日 / 新聞掲載日:2019年3月22日(第3282号)

ギャディス、畢生の大作
読者は、本の中に滞在するために本書を開く

JR
著 者:ウィリアム ギャディス
翻訳者:木原 善彦
出版社:国書刊行会
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ウィリアム・ギャディス『JR』を読みながら、まるで絵巻物のようだ、と感じた。

全体を一望できない絵巻物は、少しずつ広げて鑑賞し、読み取ったことを頭の中で物語に再構成する。ひとつながりの内容に切れ目を入れるのは読者なのだ。『JR』も九百ページ弱の本文が一切章分けされておらず、それどころか場面転換の箇所に改行すらない。文章を見ながら、あ、ここから先はマンハッタンね、と読者が判断しなければならないのだ。

巻頭の登場人物一覧が八ページに及んでいることから判るように、本書は壮大な群像小説である。エピソードごとに語り手が切り替わるのではなく、何しろ場面転換自体がないのだから、言いたいことがある者が人垣を掻き分けるようにして前面に出てきたり、大事なことを語っている人物の背後で勝手に騒いだりして声を発する(このへんも、主人公を群衆の中に描き込む絵巻物に近い)。おしゃべりが空間に充満しているのである。

一つひとつの台詞を見ても、どの情報が後々重要になってくるかというようなしるしはないし、そもそも誰が言葉を発しているかも明示されない。社会が情報化する中で個が逆に孤立していくさまを表すモチーフとして、本書では電話相手の取り違えや混線がしばしば描かれる。『JR』における言葉は人と人をつなぐものではなく、誤解や捏造によって互いを突き放すものなのだ。無数の群衆が押し合いへし合いしている雑踏に飛び込んで何が起きているかを読み取る小説、と言うべきか。絵巻物と違って俯瞰できないので視界は悪い。読むというより読者は、本の中に滞在するために本書を開くのだ。大部の小説なのに、まったく飽きずに読み通すことができるのは、眺望の変化が楽しいからだろう。

無秩序に見える小説だが、作者は導線を準備している。証券取引きや企業買収といった、経済行為が話の中心になるのだ。冒頭では、バスト一族が経営する会社の株を巡り多数派工作が行われる場面が描かれる。株所有者の一人、エドワード・バストのサインを求めて弁護士が訪ねてくるが、彼は不在である。次に重要になるのは、とある中学校に関する話題で、前述のエドワードが一時的に音楽講師として働いているため、横滑りに(何しろ絵巻物だから)バスト家からやってくる。また教師の一人は、授業の一環として証券会社に生徒たちを連れて行き、実際に株売買を体験させる。そのとき、アメリカ経済を担う一員になることに異常な関心を示すのが本書の主人公、十一歳のJR・ヴァンサントである。

JRは、売り買いしたら利益は上がるかという視点でしか万物の事象を見ない、金融資本主義の申し子だ。本書の登場人物は芸術家であるエドワードのように人間の内面を重視する人々と、すべてを対価を生み出すための単位として考える経済活動家の二つに大別でき、前者の旗色が極めて悪い。エドワードは何を見ても感動しないJRの心の貧しさを嘆く。しかし大勢で勝利するのは、大人の見様見真似で金融取引を開始し、十一歳にして巨大複合体の社主になってしまうJRの方なのだ。生活のためJRに雇われることを選んだエドワードは、少年によって翻弄され、思いとはことごとく違う方向へ流されていく。金融経済における個人の価値を、作者はそんな形で象徴的に描いた。

一九七五年に発表された本書は、デビュー作がまったく売れなかったギャディスが二十年の歳月をかけて書いた畢生の大作である。発表当時よりも社会の金融資本主義化が進展した現在のほうが身につまされる内容であろうし、他に類例のない叙述形式や小説構造を持つなど、価値の決して古びない作品だ。背景で何が起きているかを推理するというミステリー的な読み方もできるし、登場人物たちは変人ばかりで可笑しくてたまらない。何度でも再読可能な本である。なんならこの中に住んでしまってもいいくらいに。
この記事の中でご紹介した本
JR/国書刊行会
JR
著 者:ウィリアム ギャディス
翻訳者:木原 善彦
出版社:国書刊行会
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