フーガはユーガ 書評|伊坂 幸太郎(実業之日本社 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年3月23日 / 新聞掲載日:2019年3月22日(第3282号)

フーガはユーガ 書評
不運な過去を持つ双子の力
"信頼できない語り手"が主人公である意味

フーガはユーガ
著 者:伊坂 幸太郎
出版社:実業之日本社
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瞬間移動——。そのありきたりなモチーフを使って、決してクリシェに陥らない物語を紡ぎ上げることができるのは、伊坂幸太郎が稀代のストーリーテラーだからだろう。

主人公は、ある双子の男の子だ。優雅と風雅。二人は、二時間遅れで生まれてきた一卵性双生児なのだが、どちらが兄でどちらが弟かは、恣意的に両親によって決められた。両親は、子供をネグレクト、そして、虐待をして、教育らしい教育を施してこなかった。

物語は優雅がテレビ制作会社に勤める高杉という男に、自分(たち)の過去を語るところから幕をあける。彼らは実に不運だった。暴力ばかり奮う父親に、愛情の「あ」の字も持ち合わせていない母親。そのもとで、惨めな少年時代を送ることになった。

だからだろう。彼らは、人一倍、正義感が強い。弱いものを助けたい、というのではなくて、強さを武器に弱いものを虐げる人間が許せなかった。そのことが最初に垣間見える場面は、ワタボコリと名付けられたいじめられっ子を助けるところだ。広尾という同級生は、子供達の間で権力を握っていた。ワタボコリは、そんな広尾の標的だった。埃を食べさせる。女子トイレに閉じ込める。小学生時代の大半をそのような昏いなかで過ごしてきた。中学生になっても、それは変わらなかった。

ある時、優雅と風雅はワタボコリが体育館裏の倉庫に閉じ込められる現場を目撃する。彼らには、「恐ろしくも憎しみの対象である」父親と広尾が重なって見えた。我慢がならない——そう考えた二人は、ワタボコリ救出作戦を立てる。アレを使って。瞬間移動だ。

二人は不思議なことに、誕生日の一日に限って、二時間置きに身体が入れ替わる。まったく、作者は思い切った物語を考えたものだ。その不思議な現象を使って、一人が倉庫内に隠れ、一人が外にいる状態を作り、ワタボコリともども瞬間移動をしてみせるのだ。

そうそう、思い切った物語といえば、この小説の語り手、優雅は、高杉に、自分がこれから話す内容には嘘や記憶違いが混じってますから、と前置きをしている。つまり、信頼できない語り手であることをあらかじめ読者にわからせておくのである。

この瞬間移動を用いて、二人は、数々の悪人を懲らしめてきた。例えば、中学を卒業してから風雅にできた彼女の小玉。ある出来事をきっかけに知己の仲になった風雅は、小玉が彼らじしんと同じ境遇にいることを悟る。同じ境遇とは、すなわち、両親による、虐待。探っていくと、事情はそれよりももっと恐ろしかった。小玉の両親はすでに亡くなり、叔父によって育てられていたのだが、その叔父は小玉を全裸で水槽に閉じ込め窒息させるというショーを定期的に開いて、金儲けを企んでいたのである。彼らの正義感が許せるわけがない。瞬間移動がここでも活躍する。

あるいは、大学生になって優雅が出会った、母子。コンビニであることをきっかけに知り合った母子と優雅は次第に仲睦まじくなる。しかし、その時に現れたのが、父親だ。「僕と風雅を足蹴にし、僕たちの人生そのものを蹴っ飛ばしていた」あの男が、邪魔をする。二人を誘拐し、レイプしようとしたのだ。瞬間移動で、彼女らは助けられるも、風雅は命を落とす。

そんな悲劇を、どうして高杉に、優雅が語っているかって? なぜ作者が信頼できない語り手を主人公に設定したのかは、ラスト十頁で判明する。その時、読者は、稀代のストーリーテラーの策略にハマったことを寿ぐだろう。
この記事の中でご紹介した本
フーガはユーガ/実業之日本社
フーガはユーガ
著 者:伊坂 幸太郎
出版社:実業之日本社
以下のオンライン書店でご購入できます
「フーガはユーガ」出版社のホームページはこちら
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