〈雅楽〉の誕生 田辺尚雄が見た大東亜の響き 書評|鈴木 聖子(春秋社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年3月23日 / 新聞掲載日:2019年3月22日(第3282号)

〈雅楽〉の誕生 田辺尚雄が見た大東亜の響き 書評
「日本音楽」の前提を考え 直すために必須の文献

〈雅楽〉の誕生 田辺尚雄が見た大東亜の響き
著 者:鈴木 聖子
出版社:春秋社
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雅楽を音楽事典で引くと、大ざっぱにいって神社に伝わる神楽、大陸より輸入された隋唐の管絃、それをもとに日本で作られた催馬楽の三種類を指すと書かれている。相当出自の異なる三種類がいつ、一つの語にまとめられたのか。雅楽合奏に長く加わりながらこの疑問を持った著者は、田辺尚雄(一八八三―一九八四)に出会う。田辺は日本に音楽学を樹立した一人で百冊を超える著作を持つ。ただし私自身はその場に応じて言動を変える乱筆家という印象しかなく、彼がある時期唱えた「大東亜音楽学」を植民地主義と関係づけたことがある。しかし本書を読み、それが西洋音楽やその学知に対抗しうる日本やアジア独自の学・楽を立ち上げようという長いあゆみの一場面であったと教えられた。

雅楽の語は元の中国では宮廷の楽を指した。隋唐の宮廷外の俗楽が天皇家に伝えられると、雅楽と呼び習わされた。同時に和製漢語として「音楽」がその同意語として作られた。元は宮中の大陸風の楽に限定されていた「音楽」が、明治には普遍主義的な西洋語、ミュージックの訳語に採用され、「日本音楽」という一種の矛盾語が生まれた。田辺はそこで西洋的な意味の日本音楽と原義の日本音楽の調停を図ろうとした。このとき、語の来歴をたどれば大陸の楽だが、その地元応用の歌謡と、宮中に伝承された祭事の楽をひっくるめた日本音楽として、雅楽が「誕生」した。本書は雅楽概念の誕生と音楽学者の知的伝記を不可分なものと論じている。

田辺の出発点は東京帝国大学物理学科に提出した音響学の卒論で、自然科学的発想にもとづく真の人文科学としての音楽の学を確立しようと試みた。著者は寺田寅彦、長岡半太郎、田中正平ら物理学科の先輩との知的交流を単なる逸話と片付けず、人文科学者田辺誕生の胎盤と考えている。西洋モデルの自然中心の「科学」導入の文脈のなかで、伝承音楽の「科学」樹立のプロセスを見直しているのは、科学史的に興味深い。また一九二〇年代、ヨーロッパで興った比較音楽学(初期の民族音楽学)を田辺はいち早く咀嚼し、西洋と非西洋の地理的比較ではなく、雅楽の歴史的比較(天平時代と大正時代)を科学的に行っていた。正倉院の調査から隋唐の先に西域、アッシリアに雅楽の起源を求めたのは、今ではロマンチックな世界音楽像と受け取られるだろうが、日中の交流を越えたアジアの文脈で雅楽を考える一歩だったと、著者は田辺が参照したヨーロッパの文献の図版を根拠に論じている。雅楽は西洋芸術に比肩しうる唯一の東洋=アジア=日本音楽と田辺は結論した。「家庭に催馬楽を」という田辺の大正期の突飛な提言を、著者は西洋の家庭音楽に対する対抗案と評価している。

著者は田辺の膨大で一見場当たり的な著作群を読みこみ、背後に一貫した知性を発見した。数千時間のビデオ映像から六〇分のドキュメンタリーを編集するような労力が行間から感じ取れる。今では受け入れがたい進化論的歴史観や不正確な史料の扱いを後代の視点であげつらうのではなく、言説の歴史性を示す徴として読み直している。あまりに田辺寄りに見える箇所もあるが、論旨の明確化のために、本書の元になった博士論文圧縮の際に削られたのだろう。

著者の仕事は綿密を極め、たとえば田辺が日本音楽の非西洋的な美の核に「粋」を措定した著作を九鬼周造が読んで、後に『〈いき〉の構造』で参照したと、九鬼文庫のなかの田辺本への書き込みから証明している。戦後の東京藝大カリキュラムへの雅楽導入可否にあたって、時の同学学長小宮豊隆と田辺(二人は漱石の同門)と、田辺の弟子たちが絡んだ論戦は、現場中継のように克明に描かれている。決めつけの多い田辺の文章の細部から、躊躇や煙幕や自信など言外の意を汲み取るのも、膨大な文書群を通読した者ならではのことだ。ほかにも数百の書簡調査から論敵であった兼常清佐宛ての一通を発見し、水面下の二人の交流を描き出している。

本書を通して改めて見えてくるのは、近代化のなかの天皇家の重さである。田辺も宮中の外で伝承された雅楽の正統性を論じたことで、宮内省から出入り禁止となったというし、今でも民間の雅楽会は、宮中とは別仕立てで動いている。さんざん議論されてきたことだが、天皇制を戴く国民国家の二重構造について、本書は予期せぬ一面から明かしてくれる。「日本音楽」の前提を考え直すためにも必須の文献と思う。
この記事の中でご紹介した本
〈雅楽〉の誕生 田辺尚雄が見た大東亜の響き/春秋社
〈雅楽〉の誕生 田辺尚雄が見た大東亜の響き
著 者:鈴木 聖子
出版社:春秋社
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