虚構世界はなぜ必要か? 書評|古谷 利裕(勁草書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年3月30日 / 新聞掲載日:2019年3月29日(第3283号)

虚構が描く現実・技術・虚構
虚構の役割は虚構の構造から考え得るか

虚構世界はなぜ必要か?
著 者:古谷 利裕
出版社:勁草書房
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 「虚構世界はなぜ必要か」という問いへの答え方には複数のパターンが存在し得る。例えばSFアニメであれば、それを見た研究者に影響を与え、科学技術に反映され、人々が使う製品に活かされるかもしれない。あるいは視聴者の倫理観を変化させることもあるだろう。しかし本書はそのような可能性を直接的に議論した本ではない。フィクション作品内で描かれる現実・虚構の在り方を次々に紹介してゆく、というのが、この問いに答えるために著者の古谷が取った些か奇妙な方法論である。

古谷はまずフィクションを「あるフレームによって現実から切り離された領域で起こる出来事」と広く定義する。その上で、ポスト・トゥルース時代のいま、一見虚構の力が強くなっているように見えるが、実際は虚構が利用されているだけであると指摘する。また、虚構の力が弱まった理由として、物語が現実に与える影響より技術が現実に与える影響が大きくなっているように思われている現状も指摘される。そこで、虚構の役割をフィクション作品から探ろうというのが、本書の大まかなテーマである。

主な考察のパターンとしては、例えばVR/インターネットなどの新しい技術が登場するSFアニメで、仮想空間/電脳空間など虚構世界と現実の関係がどう描かれているかを見る、という構造が多い。本書のユニークな点は、この「虚構世界」が上記のような技術的なものだけでなく、ごっこ遊びや政治的対立によっても生じるものだと並列に論じられている形式にある。中二病のような妄想や周囲との関係性、あるいは戦争が作り出す社会的立場によっても、人が認識する現実の在り方は変化するのだ。

このような社会や技術がもたらす感覚としての「虚構」と、作品としての「フィクション」が、言葉の整理をされずほぼ区別なく扱われているという点は、本書の面白さの源泉でもあり、同時に分析の精度を損なう混乱の原因にもなっている。定義の面では、虚構世界が「何にとって」「どのように」必要か、という部分の分類もないため、各アニメの考察を通して描かれているはずの「虚構世界はなぜ必要か」に対する答えは曖昧模糊としている。

そもそもフィクションの内部から虚構の役割を探るアプローチでは、フィクション外での虚構の役割を調査することはできない。虚構が技術や現実(我々の住む「この」現実)に与えた影響を議論できない本書はむしろ、技術が現実や虚構に与えた影響の大きさと、現実が技術や虚構に与えた影響の大きさを描き出すことに図らずも成功してしまっている。

「虚構世界はなぜ必要か」という問いに対し、古谷は最後に一つの回答として、①「行動して後悔した」、②「行動したから後悔せずにすんだ」、③「行動しなかったから後悔した」、④「行動しなかったから後悔しなかった」の中で唯一反実仮想的にしか経験できない④を実感に織り込むのがフィクションの意味の一つであると主張する。現実には起こらなかったことを掘り起こし、経験不可能な「別様の私」を考えること。それはたしかに「虚構」にしかできないことではあるだろう。だが、これは前述の「フィクション」定義に鑑みるとほとんどトートロジーのような回答であるし、意外な結論でもない。各アニメの考察は楽しめたのだが、フィクションだけを見て虚構の役割を考え得るという前提自体に潜む難しさを感じさせられた一冊であった。
この記事の中でご紹介した本
虚構世界はなぜ必要か?/勁草書房
虚構世界はなぜ必要か?
著 者:古谷 利裕
出版社:勁草書房
以下のオンライン書店でご購入できます
「虚構世界はなぜ必要か?」出版社のホームページはこちら
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