対談=吉川浩満×綿野恵太 ダーウィニアン・レフト再考 連続トークイベント〈今なぜ批評なのか〉第一回載録|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年3月29日 / 新聞掲載日:2019年3月29日(第3283号)

対談=吉川浩満×綿野恵太
ダーウィニアン・レフト再考
連続トークイベント〈今なぜ批評なのか〉第一回載録

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第5回
公正としての正義

吉川  
 結局、この世の中は欺瞞にまみれていると言いたいだけなんじゃないかと思うことがあります。もちろん、欺瞞の暴露や事実の提示は大事ですし、実際、彼らが引用している科学的エビデンスの一部はこれから普通に常識に含まれるようになると思います。

でも、事実の提示がそのまま現存の価値観の否定や新しい価値観の提示になるわけではない。いま、本当に言いたいことを言ってみろよと言いましたが、たとえば新反動主義のカーティス・ヤーヴィンが提唱するCEOみたいな君主を戴く新官房主義とか、反リベラルで新反動主義の男だけの島を作ろうみたいな話は、そうした例かもしれません。そういう提案は興味深いし、やってみたらどうだろうとさえ思います。そうしたマノスフィア(男性界/オトコ村)において集合行為問題や共有地のジレンマがどうなるのか見てみたい。でなければ、さっきも言ったように、半分は欺瞞の暴露なので、「そうだね、だからなんなの?」と言うしかない。
綿野  
 女性は妊娠・出産する。男女には違いがある。だからといって女性差別はゆるされない。フェミニズムがつねに問題にしてきたことですが、その問題が脳科学や進化心理学といった新しい装いでつねに回帰してきている気がします。吉川浩満さんと山本貴光さんが寄稿されていた『バックラッシュ』(二〇〇六年、双風舎)でも、保守派による脳科学理解が批判されています。ただ最近はどうしても「フェイク」ばかりが問題視されてしまって、エビデンスと一体になった保守的な言説が見過ごされてきた気がします。差別的な言説というのが非合理・不合理で、根拠がないって批判している人が多いんですが、むしろ差別的な言説ほど合理的につくりあげようとしているものはない。合理的であることと、差別的であることとは違う。そこは認識しておいた方がいいと思っています。
吉川  
 そういう意味では、たとえば前回のバックラッシュ、二〇〇〇年代に特徴的だったニセ科学をベースにした男女差別や人種差別は減っていると思います。完全なるフェイクか、インテレクチュアル・ダークウェブのような、結構しっかりしたエビデンスに基づく差別的言説になっている。だから、それを批判する側も、アップデートしていかないといけない。

もちろん、差別するのは不合理であるというのは、まったくその通りです。しかし不合理だからといって批判すると、差別が合理的になされる局面もたくさんあるので、同じような形では批判できなくなってしまう。差別は人の尊厳を傷つけるから駄目なんだと、普通に批判した方がいいと思いますね。
綿野  
 たとえば、オルタナライトには「加速主義」と呼ばれる考えがありますよね。資本にはどんどん共同体を解体していく力がある。かつてのような身分制がなくなっていく。マルクスが指摘したように「資本の文明化作用」というべき、平等をつくっていく側面がある。たとえば、橘さんの本でも「リベラルな社会ほど遺伝の影響が大きくなる」と皮肉めいたかたちで書かれていました。資本があらゆる文化や共同体を解体していくんだから、アイデンティティの最後の拠り所になるのが生物学的な特徴になるように見えるのは当然だといえる。非マイノリティ・ポリティクスは、アイデンティティ運動だから、アイデンティティにおける生物学的な特徴をメインに据えれば、運動は作りやすい。
吉川  
 そういう意味では、平仄が合っている。理屈で言うと、世界がリベラル化すればするほど、持って生まれた社会的な格差が解消され、生得的なものだけの勝負になっていく。スポーツの世界の極限のところでは、かなりの程度そうなっていると思いますね。たとえば陸上競技を見ればよくわかる。
綿野  
 ウサイン・ボルトみたいな、持って生まれた「才能」のある人間しか勝てなくなる。
吉川  
 その時にいつも思うのは、だからこそリベラルな公正としての正義が大事なんじゃないかということです。確かに、リベラルになればなるほど、条件が同じになっていくので、生得的な元々の違いだけが突出してくる。理屈ではそうなんですよ。ただ、生まれつきのものって、完全に運、偶然によりますよね。リベラルな社会になるほど生得的なものが突出するということは、リベラルな社会になるほど根源的な偶然に左右されるようになるということです。他方でリベラリズムは、それに対するガチでストレートな解答を持ってもいる。無知のヴェールの想定を思い起こしていただきたいのですが、不運な人と自分を交換してもいいような機会の平等を求めるという原則です。そう考えると、他にも功利主義とか、いろんな強力な原理があるかもしれないけれど、この生得性の理不尽さに対する直接の答えを持っているところにリベラリズムの意義がある。そう私は考えますね。
綿野  
 アメリカの新反動主義者はロールズが理想した国家なんて維持したくないと言っているわけですね。ここから脱出したいと。
吉川  
 新しい分離主義ですね。
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この記事の中でご紹介した本
人間の解剖はサルの解剖のための鍵である/河出書房新社
人間の解剖はサルの解剖のための鍵である
著 者:吉川 浩満
出版社:河出書房新社
以下のオンライン書店でご購入できます
「人間の解剖はサルの解剖のための鍵である」出版社のホームページはこちら
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