塩川徹也氏講演会載録 仏文でパスカルを〈勉強〉すること|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年4月5日 / 新聞掲載日:2019年4月5日(第3284号)

塩川徹也氏講演会載録
仏文でパスカルを〈勉強〉すること

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塩川 徹也氏
三月一〇日、東京・文京区本郷の東京大学本郷キャンパスで、塩川徹也氏文化功労者顕彰記念講演会が開かれた。
演題は「仏文でパスカルを〈勉強〉すること」。高校時代にパスカルの『パンセ』に出会った時のことから、フランス留学時代を経て現在まで、いかにパスカルと対峙してきたかについて語った。この模様を載録させてもらった。(編集部)
第1回
森有正と前田陽一先生

パンセ 上(パスカル)岩波書店
パンセ 上
パスカル
岩波書店
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フランス語フランス文学を看板に掲げる学科でパスカルを研究し教育することについて、私は、長年微妙な違和感を抱き続けてきました。そして、その違和感を通じて、パスカルの著作は文学と言えるのだろうか、パスカル研究とはいかなるディシプリンに属するのだろうか、そもそも文学とは、研究とは、ディシプリンとは何だろうといった一連の問題について、折に触れて考えてきました。その答えが出たかというと、未だ五里霧中です。今日はその模索の歩みを、戸惑いや躊躇いを含めて話したいと思います。

私が抱いた違和感の源がどこにあるのか。その見当をつけることは難しくありません。ひと言で言えば、パスカルの著作が果たして文学なのかどうか。『パンセ』の私の翻訳は、岩波文庫の青帯(哲学・教育・宗教)に分類されています。パルカルはフランスの古典モラリストの代表的存在ですが、他の主要なモラリストの作品、モンテーニュ『エセー』、ラ・ロシュフコー『箴言集』、ラ・ブリュイエール『カラクテール』が赤帯(外国文学)に分類されているのとは対照的です。パスカルは哲学者、宗教者ではあっても文学者ではないという通念があるようです。同じことはパスカル研究にも言えます。私がパスカルについて書いた本は、日本語のものもフランス語のものも哲学の分野に分類されています。どうやら哲学に属する仕事と見なされているらしいのです。
パンセ 中(パスカル)岩波書店
パンセ 中
パスカル
岩波書店
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そんなせせこましい詮索はどうでもいいのかもしれません。本郷仏文の特質は、その自由闊達な活動にあります。そこではラブレーの夢想したテレームの僧院のように、「あなたの望むことをしなさい」が唯一の規則のはずです。それに本郷には、パスカル研究の先達がいます。いわずと知れた森有正です。森先生は一九四八年から五三年にかけて、仏文の助教授をお務めになりました。五〇年秋には留学生としてフランスに旅立たれますので、授業を担当された期間は長くありませんが、受講生に深い印象を与えたようです。渡仏後は『バビロンの流れのほとりにて』をはじめとする哲学的エッセイで一斉を風靡し、多くの若者のうちに、フランス文学および思想への興味を呼び覚ましたことは、皆さまご承知の通りです。私自身、少なからぬ影響を被りました。またパリ留学中にはお世話になり、私の博士論文の公開審査にお出ましいただいたのは、忘れがたい思い出です。

森有正にもまして、本郷仏文と縁が深いのは、私の恩師である前田陽一先生です。一九三〇年代の初めに仏文の学生としてパスカルを勉強し、卒業後はすぐにパリに渡って、哲学者レオン・ブランシュヴィックのもとで研究を進め、『モンテーニュとパスカルの基督教弁証論』と題する博士論文を完成されます。一九四五年暮れにアメリカ経由で帰国され、旧制第一高校、そして戦後の学制改革で東京大学教養学部に転換した後は、教養学部でフランス語を教える傍ら、駒場の学部後期課程の設立に尽力され、フランスの社会と文化の総合的な研究を目指す教養学科フランス分科を創設されました。こうして本郷と駒場の両方のキャンパスに、フランスの文化、とりわけ言語文化に特化した学科ないしコースが並立することになります。
パンセ 下(パスカル)岩波書店
パンセ 下
パスカル
岩波書店
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前田先生ご自身は本郷にも長年にわたってご出講になり、特に大学院では、人文科学研究科仏語仏文学専修課程の担当として、『パンセ』の文献批判学の演習を通じて後進を育成されました。私自身、学部は駒場、大学院は本郷で一貫して前田先生の指導を受けて、パスカル研究の道に入ったことを思えば、私が仏文に所属したからといって、特に不思議はないのかもしれません。それにもかかわらず、仏文に対する違和感が拭えなかったとすれば、 原因は私にあったことになります。自身の人生設計つまり進路の決定の仕方に関する考え方、そして何よりパスカルに対する考え方、アプローチの仕方に問題があったのです。

私は一九六八年四月、本郷仏文の大学院に入学しました。将来フランス語あるいはフランス文学の教員になるという意思を、そこで自分と他者に示したわけです。しかし当時、仏文の教員になることは全く念頭にありませんでした。まず私が駒場のフランス科出身で、仏文のことをよく知らなかったせいですが、それ以上に、当時は外国語が前期課程の必修科目となっており、私の目には、フランス語教員の方が仏文教員よりもはるかに大きな存在感を持っていたからです。駒場の先生方の多くは、狭い意味でのフランス文学の分野を超えて、活発な文筆活動、芸術活動を展開されていました。それが教室におけるフランス語の授業とは一線を画していることは、未熟な学生にも推測できました。そうだとするならば、前期課程の外国語の教員になれば、教室での職務の傍ら、好きなパスカルの勉強ができるのではないかと考えたとしても無理はありません。しかしもっと根本的な理由は、当時の私が、ディシプリンとしてのフランス文学、つまりひとつの総体としてとらえられたフランス文学を学ぶことに興味も関心もなかったところにあります。それどころか、フランスの文化や文明一般に対する、強い憧れもありませんでした。私の関心はすべてパスカルに集中し、パスカルとの関連においてしかフランスの文物を勉強する気になれませんでした。

大学入学の時、私は理科一類に入りました。それからフランス科に進学したのですが、それは、ひたすら前田陽一先生のもとでパスカルを勉強したかったからです。しかしパスカルを勉強することは、フランス文学ないし思想の枠でパスカル研究者になることに、そのまま繋がるのでしょうか。これが当時の私を悩まし、今でも折に触れては思い出し反省する問題です
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この記事の中でご紹介した本
パンセ 上/岩波書店
パンセ 上
著 者:パスカル
出版社:岩波書店
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パンセ 中/岩波書店
パンセ 中
著 者:パスカル
出版社:岩波書店
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パンセ 下/岩波書店
パンセ 下
著 者:パスカル
出版社:岩波書店
以下のオンライン書店でご購入できます
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