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更新日:2019年4月6日 / 新聞掲載日:2019年4月5日(第3284号)

野崎歓氏最終講義「ネルヴァルと夢の書物」レポート

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三月一〇日、東京・文京区本郷の東京大学本郷キャンパスで、塩川徹也氏文化功労者顕彰記念講演会が開かれた。演題は「仏文でパスカルを〈勉強〉すること」。高校時代にパスカルの『パンセ』に出会った時のことから、フランス留学時代を経て現在まで、いかにパスカルと対峙してきたかについて語った。この模様を載録させてもらった。また、同日行われた野崎歓氏最終講義「ネルヴァルと夢の書物」をレポートする(編集部)
第1回
フイユトニストとして

野崎 歓氏

本郷キャンパスの大教室で行われた野崎歓氏の最終講義は、教室に入りきれない聴講者のために、急遽別の教室が開放され、映像で同時中継された。演題は、専門としてきたジェラール・ド・ネルヴァル。野崎氏自身、文芸誌『群像』でネルヴァル論を長期連載し、それを一冊にまとめた『異邦の香り』(二〇一〇年刊)によって、翌年第六二回読売文学賞を受賞した。

講義の冒頭は、ネルヴァルの作品に初めて触れた時の話からはじまった。大学一年の頃、友人の佐藤淳二氏(現・京都大学教授)から借りた『世界の文学 新集08』(中央公論社、一九七〇年刊)に収録された『火の娘』と『オーレリア』だった。当時シュールリアリスムに傾倒していた野崎氏は、アンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」の中で、ネルヴァルの名前を知り、興味を抱くことになる。
「ネルヴァルの人柄や生涯についての文章を読んでいくと、ある時パレロワイヤルで、オマール海老に青いリボンをつけて散歩させたという逸話があり、いたく気に入りました。ネルヴァルは友人たちがおかしがるのに対して、「僕はオマール海老が好きなんだ。おとなしくて真面目で、海の秘密に通じているし、吠えたりしないから」と答えた。その答え自体が、僕にとっては素晴らしい詩のように感じられました。『世界の文学』に収録された作品は、正直言ってよくわからなかったんですが、底知れない手応えと広がりを感じ、ネルヴァルの謎に少しでも分け入りたいという気持ちで、卒業論文のテーマに選びました。以後、横道にそれながらも、今日に至っています。」

一九世紀初頭に生まれたネルヴァルは「フランス・ロマン主義第二世代にあたり、ヴィクトール・ユゴーの名前に代表される第一世代の栄光に強く憧れて、早くから文学を志した」という。最初の大きな仕事は、ゲーテ『ファウスト』第一部の翻訳だった。若干一九歳の時のことである。その後パリ大学医学部に登録するも、医者への道は早々に諦め、「フランスで勃興期を迎えていた活字ジャーナリズムの世界に身を投じる」こととなる。新聞の文芸欄(フイユトン)に記事を執筆する、職業的ジャーナリストに対して「フイユトニスト」という呼称が生まれた時期でもあった。ネルヴァルは、その仕事を生活の糧とした。記事の内容は、主に劇評と旅行記事であり、「記事には文学的な興趣も盛り込まれ、フイユトニスト自身の個性も発揮されるようになっていた」。野崎氏は、メディア拡張期における、そうしたネルヴァルの「物書きとしてのポジションに興味を引かれた」という。
「そこには、そのまま現代に通じる職業的文筆家の最初の姿があります。ヴィクトール・ユゴー的な崇めるべき詩人像に比べれば、ごく慎ましく、しがない売文業者としてのありように過ぎません。しかしフイユトンは、読者との新たな関係に基づく、生き生きとした文章が紡ぎ出される場所でもあったのではないか。とりわけネルヴァルの場合、まさにメディア的な、あいだに立つものとしての作家像が、ここで確立されたように思います。まず彼は翻訳家であり、異国の言語で書かれたテクストを、フランス語読者のために訳す媒介者でした。同時に、毎晩のように演劇を見て、その内容を伝える、劇場と読者のあいだに位置するものでもありました。もし現代に生きていたら、彼は必ずや映画評論家になっていただろうと思っています。それに加えて、旅行記作者の仕事があります。〈ツーリスム〉という言葉が英語経由でフランス語に入ってきたのは一八四〇年代初めですが、観光旅行の時代における新たな旅行記のあり方を、彼は模索しました。それはエキゾチックな異国の情景をフランスの読者に伝える媒介者としての仕事であり、旅の印象を文章に翻訳する作業でもありました。

このように様々な領域のあいだに立ち、媒介者としての言葉を紡いでいった。その意味で翻訳・劇評・旅行記は、ネルヴァルにおいて一貫した文章の営みをなしていたように思います。そこから、媒介者自身の内的な体験をも表出する可能性が生じていきます。たとえば、一見劇評かと思わせて、実は自分が夢に見た架空の劇だったというような記事を書いています。そうしたジャーナリズムの仕事に、ネルヴァルの後年の文学の萌芽がある。これが、僕が最初に書いた論文で主張したひとつの事柄でした。」
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